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断罪が五年前に終わっていたので今さら何をすればいいかわかりません  作者: 秋月 もみじ
第2章

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第5話 俺の管轄だ


 書庫の前に、見知らぬ男が立っていた。


 ユリウスが王都に着いた翌朝のことだ。いつも通り六時前に書庫へ向かうと、扉の前に書記官の制服を着た男が腕を組んで立ちはだかっている。


「リーゼロッテ嬢ですね。申し訳ありませんが、本日より書庫への立ち入りはご遠慮いただくことになりました」


「……はい?」


「書記官長ゲオルク殿の指示です。書庫内の古文書は本日付で機密指定に変更されました。関係者以外の立ち入りは禁止となります」


 男は一枚の書類を差し出した。宮廷書記官長の署名と印章が押された、機密指定の通達書。


 足元が冷えた。


(……来た)


 ユリウスの到着と、改竄の発見。そのどちらかが──あるいは両方が──誰かの逆鱗に触れたのだ。


「この通達は、いつ発行されたものですか」


「昨夜です」


 昨夜。ユリウスが到着して、証拠を持ち込んだその日の夜。偶然にしては、あまりに早い。


(ゲオルク書記官長殿は、私たちの動きを監視している──いえ、誰かに報告を受けている?)


 書記官の部下は無表情のまま、書庫の扉の前から動かない。


「申し訳ありませんが、お引き取りを」


 引き返すしかないのか。

 改竄の証拠。封印区画の古文書。あと一歩で──


「そこの機密指定通達、見せてもらおうか」


 背後から、足音。

 振り返るまでもなかった。この声は聞き間違えない。


 ヴォルフだった。

 いつもの黒い外套に、宮廷魔導師の紋章。手には革の書類鞄。朝の光の中で、灰色の瞳が書記官の部下を真っ直ぐ捉えている。


「宮廷魔導師殿。この件は書記官長殿の管轄であり──」


「通達を見せろ」


 短い。

 反論の余地を与えない、一語。


 部下が書類を渡す。ヴォルフが受け取り、目を通す。十秒もかからなかった。


「この通達には不備がある」


「……不備、ですか」


「機密指定の変更は宮廷事務局への事前申請が必要だ。申請番号が記載されていない。事務局の受理印もない。つまりこの通達は、事前申請なしに発行された無効な文書だ」


 書記官の部下の顔から血の気が引いた。


(……手続きの不備)


 私でも分かる。この王宮では、文書の手続きは厳格に定められている。機密指定の変更のような重要事項に事前申請がないのは、手続き上の重大な瑕疵だ。


 ヴォルフが通達を部下に突き返した。


「加えて、古文書修復事業は宮廷魔導師局が陛下の承認を得て正式に発令した国家事業だ。書記官長の管轄ではない」


「し、しかし書庫の文書管理は書記官長殿の──」


「文書管理は書記官長の職務だ。だが、国家事業として承認された修復対象の古文書は、事業期間中は宮廷魔導師局の管轄下に移る。王宮規則第四十三条の二。書記官長殿なら当然ご存知のはずだが」


 条文の番号まで正確に。

 この人、いつの間に王宮規則を暗記したのだろう。いや──最初から準備していたのか。こうなることを、予想していたかのように。


「書記官長殿にお伝えいただきたい」


 ヴォルフの声が、ほんの少し低くなった。

 ──半音。

 いつもの声より半音だけ低い。王宮の門前で側近を黙らせた時と同じだ。


「機密指定の申請書に不備がある。正規の手続きを踏んでから、改めて申請されるがよい。ただし、国家事業の期間中は宮廷魔導師局の管轄であることをお忘れなく」


 沈黙。


 書記官の部下は通達を受け取り、何も言えないまま廊下を去っていった。その背中が角を曲がるまで、ヴォルフは動かなかった。


 護衛のクラウスが、書庫の柱の陰から顔を出した。

 ──いつからいたのだろう、この子。


 クラウスの顔が妙に青い。いや、青いというより、怯えている。


(……なぜ護衛が怯えているの?)


「クラウス殿、大丈夫ですか?」


「は、はい。大丈夫です。ただ──師匠があの声出す時って、本気で怒ってる時なんで……」


 怒っている?


 ヴォルフを見た。いつもと変わらない無表情。感情の痕跡などどこにもない。通達を退けた時も、条文を引用した時も、淡々と事実を述べているだけに見えた。


(怒っている、には見えないけれど……)


 クラウスが一歩後ずさりしたのが見えた。ヴォルフの背中を見つめたまま、壁に張り付くようにして。


(……本当に怒っているの? 何に?)


 学術への冒涜。

 当然だ。国家事業として承認された修復作業を、不正な手続きで妨害しようとした。学者であるヴォルフが怒るのは自然なことだ。


(うん。学術を守ろうとしているのよね、この人は)


 そう思った。



 書庫に入る。

 いつもの紙とインクの匂い。作業台の上には、今朝も茶が用意されていた。


 ヴォルフは何も言わず、封印区画へ向かった。昨日、修復の優先順位を変更すると言っていた。鉄の扉の前で立ち止まり、紋様に手をかざす。青白い光が走り、低い音とともに封印が解けた。


「入れ」


 鉄の扉の向こうは、薄暗い小部屋だった。

 魔法灯が自動的に灯り、中が見える。


「……これは」


 息を呑んだ。


 小部屋の壁一面に、古文書が積み上げられていた。書庫の本棚よりもずっと古い──三百年以上前のものだと、紙の色と装丁で分かる。しかも、全てが損傷している。水濡れ、虫食い、カビ。放置されていた年月の長さが、劣化の度合いに刻まれている。


 その中に、一冊の革装丁の文書があった。

 他のものとは明らかに違う。背表紙に、淡い金色の紋様が刻まれている──魔法の痕跡だ。


「これは……魔法契約書ですか?」


「の、断片だ。完全な状態ではない」


 ヴォルフが革装丁の文書を慎重に取り出した。表紙を開くと、中の羊皮紙は半分以上が損壊している。読める文字はごくわずかだった。


 けれど──読める部分だけで十分だった。


 「聖女」の文字。

 「代価」の文字。

 そして、「生命」の文字。


「ヴォルフ殿。これは──」


「三百年前の魔法契約書の一部だ。完全な修復ができれば、全容が判明する」


 聖女。代価。生命。

 三つの言葉が、頭の中で回っている。


(聖女の力に、代価がある? 生命に関わる代価?)


 マティルダ聖女様の力──回復と浄化の聖魔法。あの力に、何か隠された代価があるとしたら。


 そして、その代価を記した文書が、王宮の書庫の奥深くに封印されていたとしたら。


「修復できますか」


 ヴォルフの問いに、私は古文書の損傷状態を見極めた。水濡れによる紙の癒着。カビによる表面の腐食。虫食いの穴。どれも深刻だが──


「……時間はかかります。でも、できます」


 できる。

 五年間で培った技術が、今ここで必要とされている。


 ヴォルフが頷いた。


「頼む」


 たった二文字。

 けれどその声には、いつもの事務的な簡潔さとは違う──信頼の重みがあった。


(……この人は、私の技術を信じてくれている)


 学術的パートナーとしての信頼。それだけで十分だ。それだけで、ここにいる意味がある。


 封印区画から作業台に戻る。

 三百年前の魔法契約書を、注意深く作業台の上に広げた。


 聖女。代価。生命。


 この三つの言葉が何を意味するのか。

 答えは、この損壊した羊皮紙の中に眠っている。


 私の仕事は、それを起こすことだ。

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