第5話 代償
今朝と同じ部屋で、同じように目を覚ました。
違うのは、左の頬と右肩に、鈍い痛みが残っていること。
そして——うつらうつらと舟をこぐルアが、黒猫を膝に乗せて、椅子に座っていたことだ。
こくり、こくりと頭が落ちるたび、膝の黒猫が迷惑そうに耳を動かしているが、それでも逃げないあたり、もう諦めたのかもしれない。
(……結果を知っていたなら、あそこまで馬鹿正直にシナリオを再現しなくてもよかったな。痛い)
ゲーム通りに進んでいたことに、テンションが上がっていたのは間違いなく、忠実に演じきってしまった自分に満足感すら覚える。
ただ、それはそれとして、頬は痛い。
ゴソゴソと身体を起こすと、その気配にルアがハッと顔を上げた。
「だ、大丈夫ですか!?
ダリオさんに変なこと言うから、殴られたんですよ、リツさん。
吹き飛んで……死んじゃったかと思いました」
(変なことを言ったからって、いきなり吹き飛ばすのはどうなんだ。くそ脳筋め……)
「いてて……」と、痛む頬を押さえていると、ルアが目を逸らし、ボソボソと何か言い始めた。
「……でも、殴られても、仕方ないと思うんですよね。
あんな状況で、あんな、変なこと言うなんて……。
それに、私だって、年頃なんですから……。
全く、もう……。助けてもらったのは、感謝してますけど……。
こんな、一晩くらいで、そういう感じになられても、わからないっていうか……。
そういうつもりなら、ちゃんとお互い話をしないと、とか……」
ゲームのシナリオでは、このあたりまでは言及がなかったが、なるほど。この世界では、現実よりずいぶん婚期が早いらしい。
年頃の女の子に求婚めいたことを言ったのだから、確かに自分にも吹き飛ばされた責任はあるのかもしれない。
「それで! どういう、つもりなんですか!」
どこまでが独り言だったのか判然としないが、ひとしきり言い終わったあと、最後だけはっきりこちらを向いて語気を強めてきた。
これは、質問なのだろう。
色白なルアの耳が、赤く染まっているのがよく見えた。
シナリオ通りなら、このあと一緒に行動することになる。
これ以上、少しでも勘違いさせるような素振りはしないほうが良いだろう——という、大人としてのちゃんとした判断をしてみる。
「そのままの意味だよ。探索者になるのに、仲間が欲しい。
それに、バーサーカー化の治し方も、一緒に探せたらと思ったんだ」
うん。正しい回答だと思う。
現実世界ならそもそも年が離れすぎてて危ない話になってしまうのであるからして、この判断で間違いない。
ルアを見ると、呆気に取られたような顔をしていたが、言われた内容を理解していくと、さらに顔を赤くしていった。
そして、つかつかと近づいてきて——
パンッ!
「……『そのままの意味』じゃ、ない!! 分かりにくいのよ!! バカ!」
今度は気を失わずに済んだが、頬に、くっきりと手の形が刻まれた。
(バーサーカー化、しなくてよかった……)
ダリオのときよりも痛い気がするのは気のせいだろうか……
——今後、痛い思いをするシナリオは、極力避けよう。
リツは固く、心に誓った。
*
その夜。
ルアもダリオも寝静まり、あてがわれた部屋で一人、天井を見上げていた。
叩かれた頬は、まだ少し熱を持っている。
ベッドの隅には、黒猫姿のステラが丸くなって、規則正しい寝息を立てていた。
ふと、昼間のステラの言葉が蘇ってきた。
——この世界で死んだら、現実でも死にます。
頭では、分かっているし、何度でも頷ける。
ここはもう、リセットボタンのない世界なんだと。
(……それなのに、どうしてこんなに、他人事みたいなんだろうな)
痛みは確かに感じたのに、それすら、どこか画面の向こうの出来事のように遠い。
「本当に死ぬ」ということが、まだ、自分の身体に馴染んでいない感じがした。
十年、この世界を眺めてきた。
攻略していく中で、何百回と死に、何百回とやり直した。
死は、そのたびに数字と文字で通知されるものでしかなかった。
その感覚が、まだ、抜けきっていないのだろう。
そして、死ぬのは自分だけではない。
この世界は、死を簡単に描く。
ゲームだった頃は、それを物語の重みとして受け取れていた。
名前のあるキャラクターが退場するたびに、よくできた展開だと感心すらしていたのだ。
だが、それが現実になってしまった。
主要人物だから筋書きに守られている、などということはない。
戦えば、人は死ぬ。
この世界は、それが当たり前だと証明してみせるように、人を死なせていく。
この物語はどうなってしまうのだろう。
……ルアはどうなってしまうのだろう。
この先に何が起こるのか、想像はぐるぐると頭を巡るばかりで、出口は一向に見つからない。
不安を感じたまま、まぶたが重くなっていく。
落ちる間際、規則正しかったはずの黒猫の寝息が、いつのまにか止まっていた。
黒い毛並みの中で、金色の目が細く開いて、こちらを見ている。
それに気づく前に、リツの意識は夢の中へと潜っていった。




