第4話 バーサーカー化
つまり——どういうことだ?
単に「ゲームの世界に入り込んでしまった」のではなく、現実となったゲームの、その続きを生きているということだろうか。
そして自分は、それを攻略するために必要な存在として、ここに置かれている。
疑問が多すぎて、なによりも先に「一つずつ整理しなければ」という感覚が来る。
やはり、社会人としてみっちり働いてきた経験が、こんなところでも生きているのかもしれない。
「ステラさん、わからないことだらけなので教えてください。まず——ここは『ダークロ』の世界ということですね?」
「はい、合っています」
「どうやって、こんなことができたんですか?」
「わかりません」
「……なんだよ、それ……」
つい、語気が尖る。こっちは状況が飲み込めずに必死なのに、相手は眉ひとつ動かさず即答してくる。
その温度差に、苛立ちが込み上げた。
だが、ここで食ってかかっても仕方ない。ひとつ息を吐いて、質問を絞り込む。
「うーん……じゃあ、三つだけ、先に聞きたい。クリアすれば、現実に戻れるか? この世界で死んだら、どうなるか? そして——俺がここにいる理由を、ステラは知っているか?」
「一点目、戻れます。二点目、死にます。現実世界でも、死にます。三点目、この世界を救ってください」
即答だった。
「……現実世界でも、死にます」
——という一言だけが、いやにくっきりと耳に残った。
頭では理解できた。ここで死ねば、現実の自分も死ぬ。シンプルな話だ。
だが、不思議なほど、実感が湧かない。昨日、あの炎の中を走り抜けたときの熱さも、腕に刻まれた傷の痛みも——確かに覚えているのに、どこか他人の体験のように遠い感覚がする。
(……本当に、死ぬんだな)
そう、頭の中で言葉にしてみる。
けれど、その言葉は、胸の奥まで届かずに、表面をするりと滑り落ちていくだけだった。
それ以上の質問は、すぐには出てこなかった。
*
ギシッ、ギシッと、階段を上ってくる足音がした。続けて、ゴンゴンと無遠慮に扉を叩く音。
「おい、起きてるか。開けるぞ」
返事を待つ気もないらしく、声と同時に扉が開いて、昨夜のガタイの良い男が、のそりと顔を覗かせた。
背は頭ひとつぶん高く、肩幅は扉枠にぶつかりそうなほどある。無精髭に覆われた顎と、日に焼けた太い首。四十がらみだろうか、目尻の皺だけが人の好さそうな形に刻まれていた。
「おお、起きてたか。昨日は助かった。……ん? 珍しいな、黒猫か。お前の猫か? まあいい。俺はダリオ。この村のまとめ役だ」
ステラのほうへ目をやると、いつの間にか黒猫の姿に戻って、椅子の上で尻尾をゆらゆらと揺らしていた。素知らぬ顔だ。
「リツといいます。昨夜は、泊めていただいてありがとうございました」
「おう。とりあえず起きて、降りてこい。それから、ゆっくり話そう」
*
一階に下りると、テーブルの椅子に、ルアが座っていた。
昨日の憔悴しきった様子とは少し違う。顔色はまだ青白いが、その大きな青色の瞳の奥には、落ち着きと、芯のある強さのようなものが戻っている。
「昨日は、ありがとうございました。改めて……私、ルアと言います」
そう言って、ぺこりと頭を下げる。それから、意を決したように顔を上げた。
「記憶が、曖昧なところがあって……。昨日、何があったのか、教えてもらえますか」
ダリオに促され、少し考えてから口を開いた。
「俺は、リツと言います。
探索者になるために、リオネス王国へ向かう途中でした。
森に差し掛かったところで、ルアさんが魔獣に襲われているのを見て、加勢したんです。
弓矢で応戦しましたが——最終的に魔獣を倒したのは、ルアさんの魔法でした。
その炎で森が燃え広がったので、一緒に逃げて、ここまで来た。そういう流れです」
ルアが、ゆっくりと首を振った。
「でも……私の魔法は、火を起こす程度のものです。
魔獣を倒したり、森を燃やしたりなんて、そんな威力は——」
(……バーサーカー化のことを、どこまで言うべきか。
ストーリーが大きくねじ曲がるかもしれない。
まだ動き方も読めないうちに、踏み込みすぎた説明は避けたほうがいい……か)
迷った末、事実だけを口にした。
「俺にも、理由はわかりません。
ただ——あのときのルアさんは、真っ赤な瞳をしていました」
「何だと!?」
ガタッ! と、ダリオが勢いよく立ち上がった。椅子が床を擦る音が、やけに大きく響く。
「赤い瞳……。ルア、お前、魔獣との会話で強い衝撃を受けたと言っていたな。……クソッ」
ダリオの顔から、いつもの豪快さが消えていた。
「ダリオさん……どういう、ことなんですか」
ルアの声が、不安に揺れている。
ダリオは、すぐには答えなかった。一度大きく息を吐き、言葉を選ぶように間を置いてから、ゆっくりと口を開いた。
「落ち着いて聞け。まず先に言っておくが——お前さんが見たっていう、化ける魔獣。それは中位魔獣のヴルドだろう」
ダリオは、ルアの目をまっすぐ見て言った。
「まず、ヴルドに吹き込まれたことは信じなくていい。
魔女のバアさんは、どんな不意打ちを食らったところで、ヴルドごときにやられるタマじゃない。これは確実だ」
確信を持った口ぶりでダリオが続ける。
「そして——本来であれば、第一位階も超えていないお前が、ヴルドを倒せる魔法を使えるわけがない。
相手は、仮にも中位魔獣だからな」
「じゃあ……なんで……」
ルアの声が、消え入りそうに掠れた。
ダリオは、ゆっくりと言葉を継ぐ。
「大概の人間は、人格が壊れるほどの興奮状態に陥ると、廃人になるか、記憶を失うかのどちらかだ。
だが——ごく稀に、強靭な精神を持つ者は、もう一つの人格を自動で作り出して、自分を守ろうとする。
そういう人間ってのは、たいてい、桁外れの魔力を抱えてる」
ダリオの視線が、ルアに据えられる。
「バアさんが言っていた。ルアには、とんでもない量の魔力があるとな。
……ヴルドの嘘と、襲われた恐怖。それが、引き金になっちまったんだろう」
ルアは、何も言わず、ただ続きを待っている。
「赤い瞳が顕現して、攻撃力も魔力も、異常なまでに跳ね上がる。それが、その状態の証だ。
人間ってのは普段、自分の力の一割も使っちゃいない。それが——丸ごと、十割引き出される。
ヴルドを一瞬で消し炭にできたのも、それなら説明がつく」
「……私、何も、覚えていなくて」
「覚えてなくて当然だ」
ダリオは、静かに言った。
「この状態を——『バーサーカー化』という。
その間は、意識がなくなる。だから、お前には記憶がないんだ」
ずっと気丈に聞いていたルアの瞳が、ゆらりと揺れた。
「……そんな」
たった一言。
けれど、その声には、抱えきれないものが滲んでいた。
ダリオは、大きな手をルアの肩に置いた。
「お前さんは、何も悪くない。魔獣どもの、悪魔みたいなやり口の、被害者だ。……それに」
一度言葉を切って、力強く続ける。
「直す方法は、ある」
そして、ルアが少し落ち着いたのを見計らってから、ダリオがこちらに向き直った。
「改めて、ありがとうよ。ボウズがいなけりゃ、ルアが危なかった。
なにか礼がしたいんだが……見たところ、弓矢しか持ってないみたいだな。
王国に向かうなら、いろいろ準備してやろうか?」
(そうだ……この流れになるのか。本来であれば、旅立ちに向けた、金か武器かスキルをもらえるイベント……)
「いえ、大丈夫です」
「そう言うな。礼をさせてもらわなきゃ、こっちの気が済まん。武器はどうだ?」
「いえ、大丈夫です」
「うーん……じゃあ、金か?」
「いえ、大丈夫です」
「なんだ、強情なやつだな! むむむ……。
そうだ、村にスキルブックがあったはずだ。それでどうだ? 貴重だぞ!」
「いえ、大丈夫です」
「なんだと! なら、本当に何もいらないんだな!? 二言はないな!? もう聞かんぞ!」
「はい。大丈夫です」
(そう。ここは初期アイテムに釣られず、徹底的に断らないといけない。
ダリオは脳筋だが仁義は通すマンだから、仁義を果たせないと、だんだんおかしくなっていくんだ……。
断り続ければ、いずれ勝手に燃え上がる。さて、どうだ)
「ダメだ……ダメだダメだ! なんでもいいから言え!
リオネス王国の元騎士の名にかけて、受けた恩を返さんままなど、許されることではない!
どんな小さなことでもいい! 俺に叶えられるものなら、何だって叶えてやる!
だから言え!!」
(——来た。ここだ)
「ダリオさん。今、なんでもいいと、言いましたね」
「む? 何か、あるのか!?」
「……それでは」
一拍、置いた。
「ルアさんを、ください」
(……現実でも言ったことないのに。
なんで異世界で、出会ったばかりの十代の少女に、こんなことを言ってるんだ、俺は……)
「な——なんだとォ!? 貴様ァ! ふざけているのか!!!」
ゴンッ。
鈍い音とともに、意識が、ぷつりと途切れた。
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