第44話 最奥の間
遺跡の真ん中で人心地つける状況ではないものの、言いようのない達成感を味わっていると、横たわっている男から、ボソボソボソと声が聞こえてきた。
近づいてみると、呼吸が浅く、何かをつぶやいている。
「なんだ」
「……してぶれ……こ……ふぃ……くれ……」
ギョッとして顔を覗き込むと——目も歯もなく、鼻も潰れていた。
蝕まれ続けたのか、それとも、それ以前の拷問なのか。完全に使い捨ての器だ。
「た……む……」
空気が漏れるようなかすかな声だったが、言っていることは伝わった。
リツは、自分の腰の短剣に手をかけてみるが、柄を握ったところで、指が止まる。
魔獣は数え切れないほど斬ってきた。迷わず殺した。
だが、目の前で横たわっているのは人間で、その喉に刃を当てるという想像だけで、それ以上の思考が鈍くなっていく。
その間も、男は浅い呼吸を繰り返している。
もう……どう見ても、助からないのは分かっている。もちろん、助けられないことも分かっている。
この状況で、苦しんでいる人を助けるには、刃を抜くしかない。
だが、そんな思いやりよりも、自分の中に、人を殺したという事実が残ることが歯止めをかけ続けていた。
気づくと、横にスルギが立っていた。
「リツ……」
呼ばれても、顔を上げられなかった。
「もう、助からないだろう」
「……ああ」
「だ……の……ぅ……」
男が、同じ言葉を繰り返す。
スルギはしばらく黙ってそれを見下ろしていたが、やがて意を決した表情で、自分の刀を静かに抜いた。
「僕がやるよ」
「スルギ、待——」
言い終わる前に、スルギは刀を垂直に立て、左胸の上から、ずぶりと突き立てた。
刃が肉に沈む鈍い感触だけが、握ってもいないリツの手にまで届いた気がした。
男の小刻みな震えが止まり、静かに——動かなくなった。
スルギが刀を引き抜き、血を払う。その手つきは落ち着いていた。
何か言わなければと思ったが、言葉が出てこなかった。
それを合図としたかのように、リツが腰に差していた虚空刀が震え始めた。
重たい空気に構うことなく、気楽な声を上げる。
「お迎えだあ……」
そう言ったかと思うと、石畳の隙間から、黒い半透明の鎖が這い出してきた。
一本ではない。無数の鎖が、床から、壁から、噴き出すように伸び上がる。
「な——」
鎖は虚空刀を捉えたあと、リツの足に絡み、周囲にいる四人にも次々と巻きついていく。
あたり一面が鎖に埋め尽くされ、全員を捉えたところで、鎖は一瞬だけ静止し、一気に引き始めた。
レイアが叫ぶ。
「後処理だ! あいつが死んだから発動した、たぶん魔法だ——」
視界が横に流れたが、物理的に引かれるのとは異なり、壁を、扉を、階層そのものを通り抜けていく感覚があった。
時空迷宮の順路など無視して、ただ一直線に、どこかへ運ばれていく。
*
「は?」
男の声がした。
「ちょっと、待てよ。この鎖が動いたってことは……暗殺者、殺されたのか?」
「そうみたいだね」
今度は女の声が聞こえる。
「まさか。あれを? 誰が」
そんなやり取りが聞こえるうちに鎖がほどけていき、放り出されたのは、広大な石の間だった。
中央に、巨大な魔導ゴーレムが立っているのが見える。
本来ならこの距離にいるだけでも危険なはずだが、魔導ゴーレムは動いていなかった。
全身を同じ黒い鎖で幾重にも縛られ、床に縫い止められていたからである。
(……これが、遺跡核の最奥の間——)
そして、ゴーレムの奥に、二人。
一人は小柄で、フードを目深に被っているため顔が見えない。
もう一人は、弓を担いだ、背の高い男だ。
二人とも、真っ黒な外套を着ている。
会話のやり取りからして、間違いなく——敵だ。
男が、担いだ弓に手をかけながら、放り出された五人を見回した。
「まじじゃねえか、こんな奴らがか?」
からんっ、と音がして、鎖が解けきったために、虚空刀がリツの近くに落ちる。
すぐさま、落ちた虚空刀へ新しい鎖が這い寄り、再び巻き付いていく。
誰も動けないまま、緊迫した空気が、肌をびりびりと刺してくる。
「触るなよ、ミラ。持ったら終わりだからな」
「……分かってる。だから縛ってるの」
「はあ……ちょっと話も聞いたほうがいいよなあ……まあ、とりあえず面倒そうだから、魔法使いだけ殺しとくか」
男が事も無げにそう言うと、素早い手つきで弓を取り出し、矢を番えないまま弦を弾いた。
動きはギリギリ目で追えたが、身体は反応できない。
直後に、斜め後ろでドスッという鈍い音がする。
全員が振り返る。
後ろにいたゼーレゼの喉に、正面から矢が立ち、鏃が後ろへ突き抜けていた。
「な——ゼーレゼ!」
表情も変えず固まったまま、目の色が消えている。
そして、声が届く前に、その身体は前のめりに崩れ落ち、石畳に赤い血が広がっていく。
男は、分かりやすい動きで、弓を再度背中に戻しつつ、気だるげに言った。
「流石に五人相手は骨が折れるしなあ、魔法使いは面倒だから嫌いなんだよ」
突然のことに誰も、なにも反応ができなかった。
そのまま——一人、死んだ。




