第43話 妖月・虚空刀
痩せた身体に、ぼろぼろの外套。
しゃべっているようには見えないが、声が聞こえる。
「順調に進みすぎだよ。間に合わないかと思ったじゃないか。
まあ……巻き込まれる人が少なくてよかったと言うべきか、君たちだけで可哀想にと言うべきか」
そう聞こえたと思うと、男は腰に下げていた得物を抜いた。
何の刃物なのかは分からなかったが、敵意を向けられているのは仕草で分かる。
各自が武器に力を込める。
——そう身構えた瞬間、空気が濁り、蝕まれていくような感覚が、空間いっぱいに広がった。
「え……」
誰のものともつかない声が上がる。
周囲に目を向けると、リツの前にいるレイアは、両手に銃を構えていたはずが、警戒を解いたかのように、だらりと腕を両脇に下ろしていた。
後ろをちらりと見ると、ゼーレゼは大きな杖にぐったりと寄りかかっており、クオンは刀に手をかけたまま、何も映っていない目で前方を見ている。
「……ぐっ、う……」
スルギだけが、膝をつきながらも刀を杖にして、意識を保とうともがいていた。
歯を食いしばり、震える腕で身体を持ち上げようとしている。
(——ああ、やっぱりだ)
『虚ろ』
心を空にする状態異常の症状が起きている。
「……あれ?」
どこからともなく聞こえる声が、首をかしげたような響きを帯びた。
「あれれ? おかしいな。おかしいことがいっぱいだ。
おまえ、なんで効いてない? それに、バーサーカーの娘はどれだ?」
構えを解かないまま、リツの背中を冷たいものが伝う。
(——ルアのことだ)
教会は、ルアがバーサーカー化していることを、すでに知っている。
確か、ゲームでは、スルギたちと合同で魔窟に潜ったときに察知された、とあったはずだ。
そしてこの男は、バーサーカーになったルアを殺すために、ここへ来た——神聖教会の暗殺者だ。
……だが、シナリオが変わっている。
ガーランドがルアを止めたから、彼女はここにいない。
(……これで、ルアを守れたんだろうか)
少なくとも、この場でルアがどうにかなることはない。
だが、今のリツに安堵している余裕は微塵もなかった。
目の前の男は、明らかに余裕の空気を漂わせている。
「そこで抗えてるのは鬼の息子だもんなあ。合ってるよな
鬼の息子と狂戦士の娘が一緒にいると言ってたからな
うーん……あー、じゃあ王都にいるのかー。そっちかあ、残念だなあ。まあいいや
暗殺なんだから、どうせ全員殺さないとだめだし」
声は、外套をまとった男から発せられているものではない。
禍々しい空気の出どころは、男が片手に握っている——刃だ。
刃渡り五十センチほどの、片刃の刃物。
刀にしては短く、短剣と呼ぶには長い。小太刀、といったところだろうか。
鞘は白木で、飾りひとつない。
そして柄には、湾曲した円の中で、三つの目が——意思を持って、蠢いていた。
スルギが、片手をつきながらも立ち上がろうとしている。
「ぐぅう……させる、か……」
刀はスルギを無視して、話し続ける。
「で、お前は〜……なんで平気なんだ? 『虚ろ』の耐性持ちか? 珍しいな」
「スルギ、動くな」
「リ……ツ……なに……を……」
「動くなって言ってるだろ!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
「……いいから、寝てろ」
スルギの腕から力が抜けた。虚ろが、じわりと意識を削いでいく。
それでいい。それでいいのだ。
「へえ」
男はどこも見ていないが、興味深そうな声だけが聞こえる。
「かばうんだ。自分も死ぬのに——」
そう聞こえた瞬間には、男はもう地を蹴っていた。
消えたように見えた。
次の瞬間には、目の前に切っ先がある。
「——っ!」
空間包囲。
展開した面が、刃の軌道を一瞬だけ受け止める。
ガキン、と硬いものがぶつかる音。すぐに砕けた。
リツは半身をずらし、刃が肩口をかすめるのを許した。
熱いものが走ったが、構っていられない。
(——見えた)
男は速い。だが瞬識のおかげで、どの間合いから、どの角度で入ってくるのかに、身体の反応がぎりぎり追いついている。
「おっ、何だその魔法。よく間に合うな」
二撃目。三撃目。四撃目。
下からの切り上げに続けて、素早く重い刃が振り下ろされてくる。
包囲を張り、破られ、また包囲を張る。
受けられてはいるものの、刃が当たれば一撃で硝子のように崩壊するのを繰り返している。
「うんうん、楽しくなってきたな。なんだそれ、壁か?」
声に余裕があるのは、自分の身体で戦っているわけではないからだろうか。
ゲームで得た知識が、頭の隅から引きずり出されてくる。
——妖月・虚空刀。
名匠セーギ・ゼフェルガーが打った、名刀にして妖刀。
鞘から引き抜けば、常時「虚ろ」の状態異常を振りまく。
持ち手も例外ではない。虚ろに囚われて精神を蝕まれ、人格を失って廃人になれば、刀の奴隷となる。
神聖教会がバーサーカーを暗殺するために用いる禁具であり、感情の起伏で起きる暴走を万に一つも許さないための、対バーサーカー装備である。
男はもうとっくに刀の奴隷のようになっている。神聖教会が抱えている、使い捨ての犯罪者なのだろう。
バーサーカーを討つために、別の狂人を作り上げる。都合の良い話である。
十二撃目。十三撃目。
まるでリツを試すように、様々な角度から刃が繰り出されるが、全てを空間包囲でいなし続ける。
魔連の指輪が熱を持っていくのが分かる。魔法が、途切れずに繋がっていく。
「うんうん。なるほど。ここまで連続展開できるのか
これはこっちも決め手に欠けるなあ。もう少し工夫が必要だ」
来る。
右から脇腹に向かってくる切りつけに空間包囲を合わせると、男は直前で手を止め、目にも留まらぬ速さで持ち方を変え、上からの切り落としにかかった。
——新しい空間包囲は、間に合わない。
ギンッ
「えっ」
刀の、間の抜けたような声が聞こえる。
再展開であれば、間違いなく間に合わなかっただろう。
脇腹に張った空間包囲が形を変え、一部が四角く伸び出し、男が握る刃の柄尻をぴたりと突いて、刀を押し飛ばしていた。
空間変成。
一度張った面を、伸ばし、曲げ、突起させる。
第三位階で手に入れた、包囲を「動かす」ための魔法である。
刀がくるくると宙を舞う。
刀に動きを支配されている男は、伸び切った足を即座に沈め、それを追って飛び上がる。
だが、その前に、刀が飛んでいった先へ空間包囲を生成し、その一部を突起させて、もう一度弾き飛ばす。
その先には、リツがいる。
飛んできた刀を空間包囲で受け止め、リツはその柄を手に取った。
——身体が、軽い。
自分のものではない力が、腕から背中へ、脚へと流れ込んでくる。
「なんでだぁ……?」
刀が気の抜けたような声を出している。
リツの、狙い通りだった。
攻め手には欠けていたが、これまで手に入れてきた力を駆使して、肝心要の武器を取り上げたのだ。
男は刀めがけて突撃してきていたが、リツが握った瞬間、他のみんなと同じように、だらりと力が抜け、そのまま地面に倒れ込んだ。
急いで男に近づくと、腰から鞘を抜き取り、刀を納める。
張り詰めていた空気が緩み、みんなに生気が戻ってくるのが分かる。
男が動き出すなら倒さねばならない、と注意を払うが、もう廃人なのだろう、わずかに震えるだけで立ち上がれる様子はない。
そもそもこの細い身体では、あの連撃を繰り出すこと自体、身が保たないのだろう。
みんなの様子を見に行くと、ちょうど徐々に立ち上がり始めたところだった。
「これ……状態異常か……」
「何……これ……なんか……私、ぼうっとしてた……?」
レイアはなんとなく理解していそうである。
クオンはなにがなんだか分からないという様子で、ぼやぼやとした顔をしている。
順に見ていくと、レイア、クオン、ゼーレゼ、そして——スルギも無事だった。
そこまで確かめて、リツは一気に胸をなでおろした。
ああ、良かった。ゲームではどうしても死ぬ運命だったスルギが——生きている。
ゲームでは、ルアとともに西ケレを訪れることになる。
そこでルアを狙った暗殺者に襲われ、主人公もなすすべもなく『虚ろ』に落ちる。
そして——鬼の一族の耐性で、ぎりぎり状態異常に抗ったスルギが、ルアを庇って殺される。
これは暗殺者にとっても予想外だった。
それを目の当たりにしたルアは、衝撃から『虚ろ』を抜ける。
とはいえ、力の差は歴然としている。
ルアは静定石を外す決断をすると、自らバーサーカー化し、壊滅的な魔法を繰り出して暗殺者を倒す。
だが、そこからルアの暴走が止まらず、遺跡が倒壊。
主人公たちも閉じ込められ、ガーランドが来てルアを制圧する頃には、街も壊滅していた。
そして、ルアは心身を病み、その後——自死する。
ゲームのメインシナリオとして、通らざるを得ない道だ。
最初に旅をともにした二人が、そろって死ぬ。
その絶望の物語が、今、変わったのだ。
状態異常無効、瞬識、魔連の指輪、空間包囲、空間変成。
最初から持っていた、状態異常無効や四識眼にも助けられた。
だが、それだけでは、虚空刀に押し切られていただろう。
魔女イェゼルデの家から指輪を持ち出したこと。
センテやレイアと出会い混色魔窟に潜り、位階を上げられたこと。
そのせいで、ガーランドの修行が受けられなくなるなどの歪みは出た。
だが、ゲームでは取れなかった選択肢の中で強くなって、リツはここに立っている。
そして、スルギもルアも生きている。
これでいい。
これでよかったのだと、初めて思えた。
これまでリツが選んできた選択が、未来を変えたのだ。




