2話
先に瞬きをして、輝かしくも鬱陶しい世界に幕を降ろしたのは朝音だった。振り払うために腕を引くも、蕾花の制御を失って無意識に強化されている夜音の手は、びくともしない。
不機嫌な舌打ちが、夜音の意識を現に戻す。彼女は思い出したかのように「失礼」と言って、朝音を解放した。二人は示し合わせたかのように距離を取る。
「先程のご無礼をお詫びします。私は朝顔夜音。現朝顔家の家長であり、貴女の実妹にあたります。以後お見知りおきを」
「はいはい、謝罪を受け取りました」
何かを待つような沈黙の後、咳払いをした夜音が尋ねる。
「いつまでそうしているおつもりですの?」
朝音は肩をすくめて、さあ? というように首を振った。
「望まれている間、あと一時間半は、ここにいる」
「あら、そうでなくて。自己紹介もろくにできない木偶を、この部屋に呼んだ覚えはないと言っているのよ」
優しさを繕った声音で語りかけながら、寝台を降りて朝音との間合いを一歩ずつ詰めていく。
「私を次の人生へ導く死神なら、招いた覚えがあるのだけれど」
夜音は笑みを深めると、口元に手を添えて小さく嗤った。
「ねえ、死神様」
朝音は吐息に似た嘲笑をこぼして、やり返すように黒く笑む。
「はっ、死神ね。あなたを救済しに来たわけじゃないもの」
腰を曲げて夜音の心臓を指差し、とんっと突く。
「命の刈り方を誤って、次の生すら奪ってしまうかもしれないわ」
誤ってという単語に、ぴくりと肩を震わせる夜音。歯の軋む音がした次の瞬間、彼女は低く唸った。
「私のお姉様は失敗なんてしないのよ」
「は?」
どんっと突き飛ばされて、よろめく朝音。夜音は握った両拳を震わせて、肩を怒らせていた。牙を剥いた彼女は立て続けに叫んだ。
「私が模倣すべきお姉様は、朝音姉様は、朝顔朝音という人間は! 失敗なんてしないの隙がないの完璧なの」
頭を抱えて苦しげに吐き捨てたかと思えば、次の言葉は語気を強めて叫ぶ。
「それを、わた、私は真似しなきゃ、で──それこそお姉様みたいに完璧に!」
夜音は胸の辺りを掴んで、息苦しそうに続ける。
「そ、ッそれが、それが、お母様とお父様の、望みで。お姉様を完璧に模倣して、超えることが、私の存在価値でっ」
「……うざ」
彼女の激情を否定するような悪態が、やけにはっきりと耳を刺す。それを聞き逃せなかった夜音は、声の主を鋭く睨む。衝動のままに、半ば意図せず、制御の効かない蕾花力を使う。夜音の喉元から出た数本の鋭いツタが、朝音めがけて真っ直ぐに飛ぶ。
(同じ属性の蕾花でつけた傷は、蕾花による治癒が効かないっての、試せそうじゃない?)
彼女は避けようともせず、その顔で受け止める。びっと線を引いて、両頬に幾つか横向きの傷ができた。朝音は傷口から血が端切れのように垂れても、微動だにしない。夜音は狼狽しつつ喉元を手で覆い、ツタを消す。
朝音が緩慢な動きで傷を覆った。目元から下に片手をかざして、覆うやいなや蕾花力を使って治療する。一瞬、手の下が淡い金の光を放つ。次に朝音が手を離す頃には傷が消えていた。頬をさすって傷の有無を確かめる。
(なるほど、治癒が効かないってのは神経の話だったのね。確かに傷は塞がっているけれど、痛みが残って……実証したかったとはいえ、結構、くる。)
「なっ。なんで、避けなかったの。避けられたはずよ。体術も習えば直ぐに師範へ追いついて越して、それが朝音なんでしょう!?」
夜音が吠える。朝音は呆れたような長い吐息の末、流暢に話し始めた。
「アナタねえ、今見たことが全てなのよ。私はアナタの攻撃を防げなかった、これに尽きる。幻想ばかりを追っていないで、目の前にいる私を、現実を見なさい」
防げなかった訳ではなく、防がなかったのだ。それを理解していた夜音は、はぐらかされたことに悔しさを覚える。
(まともに取り合わないのは、対等だと思っていないから。見下しているから。私が、あの手紙に対してやっていた事と同じ、だから解る。)
夜音は閉じた口を、ぎゅっと一文字に結んだ。受け入れがたい話に、かろうじて耳を塞がずにいる。そんな表情で、喉元を覆っていた手を拳に変えた。力の限り握り締める前に親指をしまい、爪痕をつけにくくする。
「私は面倒を嫌って失敗を恐れて、皆が持て囃す己の能力に自信もない。才能と言われても、それを認められないし、無意味なため息ばかり吐いて、他人を冷笑する」
朝音が今まで誰にも言わなかった、胸の内に秘めていた自己認識。それを初対面の夜音を前にして、思わず口に出してしまったのだ。我に返って眼鏡のフレームを握り込む。
「……昔の私は神格化されすぎているだけ。体術のこと、習ってちょっとで師範に追いついたのは事実だけれど、越してなんかいない。昔だって最後には負けてた。きっと今でも負ける」
驚きに目を見張った夜音は拳を緩めた。赤らんだ指先を胸に当てて、一呼吸。
「朝顔家の書庫。所蔵本を全て読したというのは、事実かしら?」
(事実だったら、なんなのよ。改まって確認するくらいだから、彼女にとっては重要なんだろうけど……教えてあげない。)
朝音は腕を組んで目を伏せると、鼻で笑った。
「朝顔家にある本なんてたかが知れてる。緑木の書庫を読破してから胸を張りなさいよ。あそこには木家の書から水園の本、豊土の絵巻だってあるわ」
「私は茴香様の婚約者よ、いずれ読める日が来るわ。もう緑木家に婚約者のいないお姉様と違ってね」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる夜音。対象的に、朝音は顔を曇らせて眼鏡を握る。顔を背けて、防ぐように片手をかざす。
「はいはい、わかったから。アナタは私よりも上。こう認めてあげれば満足?」
理解不能と言ったような表情で言葉を失い、夜音は呆けた。噛み砕いて理解しようとしているのか、片言に呟く。
「お姉様が、私を、認める? 私が、お姉様より、上?」
『ありえない』
夜音は頬をつねった。自身の赤い跡が消えない内に、続けて朝音の頬もつねった。
「いっ──な、なによ急に」強まる指圧に音を上げる。
「ゔっ、痛いって言ってんでほ! 離ひなさいっ」
夜音は素直に手を離し、頬の感触が残る指先を不思議そうに見つめた。朝音は痛みの増した頬を押さえて、涙を飲む。
「夢でもなければ、幻覚でもないみたい……おかしいわね」
「はあ? おかしいのはアナタでしょ」
「そうよ、ありえない話だわ」
「聞く耳もないの?」
「ずっと超えられなかったお姉様の影から、出られたってことでしょ?」
半眼で睨みつけられているにも関わらず、夜音は年相応に顔を輝かせて迫る。唐突な至近距離に驚いた朝音は、思わず息を止める。仰け反りながら夜音の肩を押し返す。
「アナタこそありえない話をするのね。アナタを私の影にした覚えはないわ」
えとも、へとも聞き取れる間抜けな声を上げて、夜音が固まる。隙ありと見た朝音が横へ逃げて、安堵の息を吐いてから眼鏡を握った。
「だってアナタの名前、夜音でしょう? もとから夜、はなから闇。影なんかに収まっているはずがないわ。可笑しいじゃない。闇の自認が、矮小な影なんですもの」
壁に背をもたれた朝音が、交互に指さす。
「私が朝で光。アナタが夜で闇。二つは対で、どちらも……」
どちらも等しくて、共に存在することを望まれている。とは言えずに口を噤み、複雑な心境に顔を顰めた。夜音が続きを促すように首を傾げる。彼女に掛かる影が濃くなると同時に、部屋の明るさが増す。水色だった部屋が卵色に満ちた。顔だけで振り返った朝音は、窓から差す光に目を細める。
視線の少し上にある、空と地を分かつ線から光が広がっていた。木々を通して差す光は、温かみを帯びて、伸びた木々の影は冷めた灰色で。朝、一日の始まりを告げる日の出だ。すっかり明るくなった部屋に視線を戻し、唾棄するがごとく吐き捨てる。
「あの母親らしい名前よね、幼稚で趣味が悪い」
(あの人が好いた名前だから気に入っては──ああもう、感情が鬱陶しい!)
苛立ちに任せて前髪を掻き上げ、ぐしゃりと掴み、引っ張る。巻き込まれた弾みで、眼鏡が床に跳んでいった。うつむきがちな視界に、その眼鏡が転がり込む。眼鏡から蕾花を連想した朝音は、閃きを得て顔を跳ね上げる。乱れた前髪から覗く爛々とした瞳が、身構える夜音を見つめた。
『──これだ』
実験成功の鍵を見つけた朝音は、光へ続く道も見つけたのだ。ほくそ笑みを、できるだけ優しい面へ作り変えて、語りかける。
「私を模倣しろなんて、誰かに言われたのか、自分で決めたのかすら、私は知らない。そんな私でも言える確かなこと」
朝音が手を伸ばすと、微かに震えていた夜音が、息を呑んで硬直する。彼女が胸を押さえていた白い手は強張って、固く拳を握っている。朝音は、それを解いて両手で包み込む。その手から逃れようとしたのを、引き止めて続ける。
「夜音は朝音にはなれないし、ならなくていいの。アナタはきっとそのままで、私に勝る。初めて会ったけれど、一目見て直感したわ。アナタは私より優れた人間よ」
とどめとばかりに、朝音は慈愛深い笑みを湛えた。人形に仕舞った心、夜音の本心が揺らぐ。明暗が揺れて、視界が煌めいて。ぐわりと歪んだ世界が、彼女を現実から弾き出し、感情に溺れさせる。
『私、お姉様の言葉に救われてる?』
(やだ、奪わないで。私の生きる力、私を構築する全て──憎しみを奪わないで。全部憎んで、その全部を見返す為に生きているの。それ以外の生き方は知らないの。こんなの嘘よ、嘘に決まってるわ。)
嫌悪感を漂わせていた顔色は、毒気のない柔らかな微笑みに変わっている。出会い頭とは真逆の感情を向けられている。夜音は困惑して、否定することすらままならない。震える声で必死に呟く。
「違う、嘘。嘘よ……ありえない、知らない、わからない」
感情に蕾花を刺激された夜音は発作を起こし、胸を抑えて崩折れる。朝音は手を差し伸べることはせず、黙って見下ろした。人を物として認識している冷徹な瞳だった。
実験の失敗続きで思い通りにならないことが多かったが、久しぶりに思い通りになったのである。朝音は堪えきれずに溢したという感じで、くすりと嗤う。
「なあに、響いちゃった?」
ついに、メインの二人が出会いました。今日は記念日になりますね! それでは読者の皆様に、お尋ねします。「朝顔の私刑」は、こんな感じの姉妹を主軸に進んでいきますが、いかがでしょうか? なんか思っていたのと違う、でもいいので感想を教えて頂けると助かります。ご意見は作品の糧になりますので、ひとこと頼みます。気長にお待ちしてます。
読者の皆様の中には、駆け出しの頃からこの作品を読んでくださっている方もいらっしゃると思います。三年も待たせてしまい申し訳ありません。今日まで読んでくださり、誠にありがとうございます。
ここまで長かったですが、ここからも長いです。丁寧に書きすぎなんでしょうね、もっと取捨選択をして書けるようになりたいものです。が、ここから始まる二人の終わりまで、書きたいシーンは山積みですからね、楽しく書きますよ!
次回予告「夜音死す。枯れる想いと花咲く命」乞うご期待──次回の投稿は目処が立ち次第、活動報告にてお知らせします。




