3話
「お察しの通り? ぜーんぶ嘘。ははっ、舌が腐りそう!」
発作の苦痛を忘れて、夜音は絶句した。
(……そうよね、これが私の世界だもの。存在を認められて赦される、そんなことは一生ない。)
全身の力が抜けて、眼前が暗黒になった気さえする。夜音は確かに光を見ていたのだ。朝音がかけた偽りの言葉は、まばゆいくらいの光を放っていた。夜音が無意識に求め続けていた地上の陽光、夜の闇から彼女を救い出す朝日。
(私の存在価値は薄弱なまま。存在の証明を続けても、救われないし報われない。頭では解っていたから、こんなことで気づかされてしまうのね。)
『心が救いを望んでいると』
朝音は屈んで夜音の顎を掴んだ。その顔を持ち上げて視線を合わせる。夜音は涙を溜めた赤い目で、朝音を見つめた。泣き出しそうでいて、笑い出しそうにも見える表情は、彼女の想いを一切読み取らせない。一方朝音が向ける蔑みの視線は、熱を帯びていた。視界に収めた夜音を可哀想で愛しいと訴えているかのように。
「こんな甘言に絆されるなんて、アナタの蕾花は素直ねえ。見え透いた嘘に揺れ動く感情とか……心とか、持っていられたの?」
茶化すように小首を傾げた朝音の瞳から、熱が一気に失せる。吐き捨てる言葉には殺意が滲んでいた。
「お人形のくせに」
夜音を乱暴に床へ戻し、立ち上がる。様子見のために黙る朝音。しかし反論はない。彼女は床に伏せたまま、起き上がろうともしなかった。はだけた寝間着から、白い脚が伸びる。腿に重複した傷跡があった。それを見てみぬふりをした朝音は、床に転がったままの眼鏡を拾い上げて、続きを語る。
「馬鹿ね、ついでに間抜け。何を頑張ってきたのか知らないけれど、もう一度言ってあげる。アナタはどれだけ努力したってね、完璧な私にはなれない」
朝音の表情が曇る。放つ言葉が過去の傷を抉った。掛け直していない眼鏡を片手に握りしめて、はっきりしない視界に目を細める。
「完璧だった私には、心がなかった。アナタが追っている最年少家長朝顔朝音は、ただの操り人形なのよ。ねえ、解ったでしょう? 完璧な人形を模倣できないということは、アナタは既に心をもった人間ってこと」
うつむいたままの夜音が、静かに尋ねた。
「どうして私には心があるの。お姉様には、なかったんでしょ?」
『アナタが、両親が、壊したから』
朝音は答えずに、無言で眼鏡を掛ける。
「どうしてどうして私に、だけっ。同じにならないと、お姉様と同じにならないと、私は生きてちゃだめなのに……いらない」
うつ伏せのまま、苦しそうに背を丸めて叫ぶ。
「いらないっ、心なんて要らない──捨ててやる!」
朝音は肉眼で見えている彼女の蕾花を一瞥した。置き去りにしていた木箱から実験器具を取り出す。集中した蕾花力によって、夜音の蕾花は開きかけている。このまま開花すれば、彼女は肥料になって死ぬ。朝音の狙いは、そこにあった。
『激情による自然開花』
感情をあえて昂ぶらせ、できるだけ自然な形で開花させる。今までの実験では、自然開花の臨床結果は得られていない。蕾花は、そう簡単に自然開花しないのだ。自身の命が危ぶまれた時、感情が激しく動いた時。という伝承を頼りに、どの範囲が開花の後押しになるのか実験を重ねたが、明確な基準は発見できなかった。そのため自然開花は打ち切り、朝音は薬物による開花ばかりで花少女への蘇生を試みていたのだ。
(開花の維持が少しできたとしても、蘇生までは叶わなかった。尽く失敗した原因は、最初の段階にあると考えて間違いないわね。感情というヒントがなければ、思い至りもしなかったけれど。)
朝音は確信に近い気持ちで、自然開花でなければ蘇生は不可能だと仮定する。
夜音は咳込んで、所々欠かしながら、ぶつぶつと唸っている。耳を済ませて、その呟きを聞き取った朝音は、眼鏡を握りながら口を歪めた。彼女を追い詰めすぎたかも知れない、と肝を冷やす。しかし同時に、こうも思っていた。
『ざまあないわ』
「もう一生誰かのお人形でいいから、存在価値を下さい。人間になってしまった私を殺して下さい。そしたら、ちゃんと人形になりますから。ここに、居ていいって認めて下さい」
夜音は確かにそう言っていたのである。朝音は躊躇いを覚えて、一歩後ずさった。
(引いてはいけない。中途半端にしては失敗する。)
『アナタに罰を、新しい命を』
歯を食いしばって眼鏡を外す。二歩踏み込んで、夜音を仰向けに転がして胸ぐらを掴む。
「ざまあないわ! 他人の承認が無ければ存在できないなんて言う奴に、存在価値が宿るはずもないのよ!」
ついに涙を流した少女に、畳み掛ける。
「一生誰かの人形でいいなんて、人間が言うな! 人間が格下の人形に堕ちたところで、認める奴なんかいない!」
嗚咽を漏らす少女の頬を、振りかぶって叩く。涙が散った。
「なりたくて、いくら望んでも! 失った心が還らなくて、人間になれない……惨めな人形もいるのよ」
夜音は溢れていた涙を乾かして、目を見開いたまま呼吸を忘れる。朝音は浅く吐息して、黒い笑みを浮かべた。
「お望み通りに殺してやるわよ。人殺し、得意なの。アナタを含めれば実績は80、失敗しない」
乾いた笑い声を響かせた後、付け足す。
「そうそう、人形になれるかは保証できないから。ご承知おきくださあいってね」
消えかけていた憎しみの炎が煽られて炎上し、弱々しさなど見る影もなく、猛々しく燃え上がる。夜音の蕾花が金色の光を放って開花した。しかし開花は数秒も維持されず、萎れた。彼女の体が負荷に耐えられなかったのだ。蕾花が根を張っていた心臓が弾けたのか、夜音は血反吐した。
飛び血を避けるため、寝間着を彼女の口に押し当てる。血が滲みる前にと手を離す。胸ぐらを掴んでいた手も退けようとした瞬間、夜音が切羽詰まった剣幕でその手を留める。口元の寝間着がずり落ちて、流血で染まった胸元をのぞかせる。
「……ろって、や、う」
「なあに? 聞こえないわよ」
「呪ってやる!」
蕾花が枯れ始めている瀕死状態の、か弱い少女のそれとは思えない力強さで、朝音の手を握る。指が食い込んでいた。彼女は呻き声にも似た喘鳴を混ぜて、恨み言葉を連ねた。
「あなたを、絶対に許さない! し、んでもっ……呪ってやるっ!」
朝音は驚きに目を見張るも、直ぐに表情を消して、彼女の言葉切り捨てた。
「へえ、ご勝手にどうぞ」
希望を失った瞳は濁り、それを見開いたまま夜音は息絶えた。開花の足を引っ張っていた肉体が意志を失ったことにより、蕾花は死体を肥料にして、再び美しい花を咲かせた。白い朝顔、数本入っている紫の筋が、少女の髪の毛に良く似ていた。やがて花は枯れ、種を落とした。その様子を眺めながら、朝音は内省を済ます。
『言い過ぎた、言わなくていいことも』
(荒治療だったかもしれない。あの精神状態では、記憶の引き継ぎに支障が出る可能性が……そんな事はどうでもいい。言われたことを完遂しなければならない。命を救う、この命令に心は含まれていなかった。だから、これでいい。)
たった四粒の種と引き換えに、夜音の肉体は跡形もなく消えた。彼女が着ていた白い寝間着だけが、床に残る。朝音は想定通りの結果にひとつ、安堵の息を吐く。傷ついたままの神経が疼く頬を、軽く叩いて集中を促す。
次の手順は、この種に生花の生命力を吸わせること。窓辺から咲きたてだった白い朝顔を摘み、液状になるまで擦り潰す。この時、花の蕾花力が放散しないように蕾花滞留剤を混ぜる。一株分、花から根までの全てを液状にしたものを、部位ごとに分けて試験管に入れておく。根から最後は花になるよう、順番に種へ吸わせるべく、種を置いたペトリ皿に液体を注ぐ。一本目を種が吸収しきってから二本目、三本目と。
今までは、この段階で失敗してきた。蕾花の種が、植物を受け付けないことが多かったのだ。しかし今回は、被検体の蕾花に似た質の花を手に入れることができた。現段階での失敗確率は、限りなく低いものになっている。ひとつ懸念があるとすれば、被検体の精神状態が蘇生に望ましくないことだけ。
そんな朝音の懸念を、種が晴らす。最後の試験管を注ぎ終えたペトリ皿には、膨らみを持った種だけが残ったのだ。高鳴る胸を抑えつける。
『上手くいった』
感動しつつ、種を慎重な手つきで鉢植まで運ぶ。緑木当主が与えてくれた本によれば、この種を土に埋めることで「花少女」に生まれ変わる、蘇生させる事ができるはずなのだ。
机に置いておいた鉢植えに種を蒔き、夜音の蕾花力を溶かした水溶液をかけた。水溶液は先ほどの血反吐を受け止めた寝間着を、絞って得た。すると子葉が出た。それは、すくすくと育ち、やがて一本の指となった。そこからは、あっというまだった。
指は手になり手首からはもう一方の指が生え、それも手となり、にょきにょきと腕が伸びて行くと二つに分かれたのだ。まるで花を咲かすかの様に、少女の頭部を腕の間から生やす。頭部から細い髪が浮き上がり、一度に色を持ち、それぞれに伸びていく。
上半身を出さない内に鉢植えが割れた。傾いて落ちてくる少女の体を、朝音が抱きとめる。その体は水の様に、酷く冷え切っていた。
(死人の体温。今まで何度も確認して肌に染み付いている……直ぐに判断できる温度だ。)
しかし彼女は呼吸をしていた。一度枯れた、こんなにも冷たい、けれども呼吸をしている──生きているのだ。一度死んだ彼女は、花少女として蘇ったのだ。
朝音は元通りの体になった夜音を、そっと抱き上げて寝台に乗せる。薄い布団を掛けてやると、その薄ささながらに、身体の輪郭が浮かび上がった。
「15731、朝顔の花少女」
すっかり白んだ光が、夜音の陶器ような肌に照り返す。彼女の全身が淡く光っているように見えた。見惚れるくらいに美しい少女。人間離れした白い顔と髪には、一房の紫と毛先を染める紫が映える。瞳を開いたら、どんな色が現れるのだろう。変わらない満月か、それとも宵闇か。
扉がノックされた。朝音は我に返って、訪問客の入室を許可する。
「お迎えに上がりました、朝音様」
朝曜を筆頭に、潤葉と夜曜が続いて顔を出す。結果を尋ねてこない人形達を前に、朝音が口を開く。
「実験は成功よ、この子は直ぐに目を醒ますはず。蕾花が安定しているから開花の維持も問題なさそう、今のところは、ね」
「それは、僥倖……いいえ、流石ですね朝音様」
潤葉が安堵の笑みを浮かべて、深々と一礼した。複雑な表情で朝音を見つめる夜曜の背を、軽く潤葉が押す。
「夜曜、朝音様へ感謝を」
夜曜が口をへの字に曲げて、不服を顕にする。朝音は、彼からの感謝を断るように説明を始めた。
「ひとつ重要な点があるわ。彼女に水以外を与えないこと。人間と同じ食事は毒になるの。死人に逆戻りさせたくなかったら、水と光で生きる植物同然と思って、細心の注意を払いなさい」
説明をしつつ、実験器具を片付ける。ざっと抱えて木箱に放り込む。厚手の布が詰まっている木箱は、試験管やらペトリ皿を割ることなく包み込んだ。朝音は蓋をした木箱を抱えて、立ち上がる。割れた鉢植えと床に撒かれた土は、そのままにして、足早に寝室から出る。
「朝音様、鉢の片付けは──」
引き止める朝曜に木箱を押し付けて、背を向けた。わずかに口許を緩めては再び結び、ひらりを手を振って、扉の前から去る。
「私の役目は終わり。後は宜しく」
慌てて後を追った朝曜は、追い越して先導し、朝音の部屋へ帰った。
自室に戻った朝音は、小屋から持ってきた荷物をまとめ始める。木箱の中身を詰め直した後に、小屋へ帰るつもりなのだ。しかし朝音の目論見を知らない朝曜は、単純に治療後の片付けだろうと察する。手持ち無沙汰になった人形は、部屋の掃除を始めた。
朝音は何も言わない従者に気を揉む。朝曜が呼び出された理由に、検討はついている。主人の元を離れたのだから、事後報告くらいはあるべきだろう。しかし朝曜に、そんな素振りはなく粛々と手を動かしている。仕方なく朝音は聞き出しに掛かった。
「仔細に、とは言わないけれど一報くらい入れなさい。結局どうなったのよ」
「どう、とは?」
朝曜が手を止めて、振り向いた。
「同棲のこと。解消になったなら私は嬉しいのだけど」
「いいえ、弟とはこのまま暮らすことになりました」
朝曜の正気を疑いつつ、かろうじて「そう」と返事を絞り出す。
「今後何事もなく、良好な関係でいられたらいいわね。これから夜音とは、定期的に顔を合わせなくちゃならないんだから」
その言葉に、朝曜は少しばかり胸を張る。自身の決断が間違いでなかったことが誇らしかったのだ。朝音が言うには、被験者の夜音は朝音の管理が必要らしく、これから先夜音には定期検診が必要とのこと。つまり、仕事で夜曜に会う機会が生まれたのだ。朝曜は選択を誤った未来を想像して肝を冷やす。
(潤葉先輩に従って、あの子とのわだかまりを解かずに同棲を解消していたら……仕事だとしても、お互いに合わせる顔がなかっただろう。私の我儘が、あの子の為にもなった。そう思っても良いだろうか。)
人間と人形には望んだ通りの日常が訪れる。夜曜には変わらず仕える主人が居て、朝曜にも敬愛する主人が戻った。
「うまくやって。面倒事は勘弁だから」
朝曜に向けた言葉のはずが、自身にも刺さる。
(面倒事は勘弁。そうね、負ってしまったけれど、これ以上は切り捨てる。あれが死ぬまで体の面倒は見る。それだけ。)
本日何度目になるか分からない、ため息を吐いた。同時に消え入るような声も吐き出される。
「めんどくさ……」
朝顔が萎む頃、一日は始まる。それは終わりへと向かう道。朝音によって人生を繋いだ夜音、夜音の命を開花させた朝音。花は花らしく咲けば、必ず枯れる。主である花に宿る曜も、花として産まれた人間も、花少女として生まれ変わった彼女も、決して花の定めから逃れることはできない。
次回予告「おはよう夜音! 新しい人生が始まるよ!」
次の投稿は来月になります。下書きがなくゼロから書くため、少しばかり時間を頂戴します。なるべく早く仕上がるように鋭意執筆……応援よろしくお願いします。




