1話
生い立ちから書きました。朝音との出会いに向けての土台になる話です。
『朝顔夜音』
七月三十一日の夜に彼女は誕生した。ウルガとハオネの第二子、次女であり朝音の実妹だ。夜音は物心ついたときからの記憶しかない。朝音のような並外れた記憶力はなく、ただの凡人として生まれてきた。しかし父親のウルガは、朝音のような才女を望んでいた。
期待された価値に見合わない。それが露呈しないようにと、必死に背伸びをして生きる。無才の夜音に用意されていた道は、過酷なものだった。
そもそも夜音は、ウルガのとある計画のためにつくられた歯車だ。歯車とは代えのきく命、つまり彼女は他人のためのパーツでしかなかった。
緑木家との関係を、より太くするための計画。それが夜音の定められた人生における主軸だった。ウルガの計画とはこのことで、あわよくば緑木家の当主に成り代わる、という我欲に満ちた願望も存在していた。
朝顔家の血を引く娘を緑木本家の者と婚姻させ、他の花家を牽制。そのまま嫁入りさせることで、緑木家と朝顔家の繋がりを深める。そうして生まれた子を傀儡にし、統治の権力を手に入れる。ウルガの狙いは、朝顔家が上位花家を統治する立場になる事だった。
子供が生まれれば半分は朝顔家の血、半分は緑木家の血。血統重視の社会構造では、緑木家の血が混じるだけで自然と地位が上がる。血の繋がりさえあれば年功序列に従って、ウルガの立場に重役が割り振られるのだ。そのためウルガは、いずれ緑木領地を統べる立場になることも夢ではないと考えている。
そんな野望は叶うはずもない夢物語である。緑木家には子息が三人いるのだから。ウルガが緑木の当主になるためには、子息三人全てに朝顔家の女をつけた上で子息を候補から排する必要がある。
彼に、それほどの覚悟は無い。それでもウルガには、こんな将来が見えていた。「孫を操り人形にし、実質的に自分が緑木の当主になる」そんな大それた事も、実現可能にするための計画なのだ。
しかし彼の計画を知る者は居ないため、誰からも口出しされることがなかった。非現実的だと忠告されることもなく、密やかに計画は進行している。
夜音は生まれる前から朝音と比べられていた。生まれた瞬間も幼子としての成長過程も、発語や容姿に至るまでも。夜音に乳児だった頃の記憶がないことが、幸いといわれるほどに。このまま何もかも朝音と比較されながら育つのかと思われたが、そうではなかった。その比較に終止符を打つ出来事が起こったのだ。
時は夜音が二歳になった頃。幼児は初めて、喃語ではなく単語を口にする。
「あしゃね」
一番最初に喋った言葉は、母でも父でもなかった。夜音の両親が呆気にとられている側で、潤葉は顎を撫でた。ウルガは動揺で止まった自身の時を動かすために、冷静な潤葉へ話を振る。
「潤葉、これをどう思う」「宜しくないと思います」
返答は予想と一致していた。ウルガは同感から頷く。
ハオネは頬に手をあてて、小首を傾げる。
「夜音に、朝音の名を聞かせすぎたのかしら」
「恐らくは」
潤葉の相槌に、ウルガは肩をすくめ首を振った。
「朝音の時よりも、親らしく居たはずなのだがね」
夜音は旧朝顔本家で育てられていた。現朝顔本家は敷地内、最東の角にある新築の洋館。ウルガの仕事場や居住は本館にある。しかし彼は毎日、仕事の合間や終わりに旧本家へ通っていた。
「確かに側にいる時間は長かったわ」
ハオネが顔を曇らせた。
彼女は朝顔家創設者、一代目家長であり朝音と夜音の母親。表向きには死没したことになっている。ウルガに家長を譲るための嘘だが、家長交代の反対派を抑える錦の御旗だ。旧本家で隠居しているハオネは、夜音の育児に専念していた。
内省を含んだ溜息の後、ハオネは呟く。
「その分かける言葉も増えていたのよ」
「そういうものだろうか」「ええ、きっと」
ウルガは口許に右手をかざし、乾いた笑い声を上げた。
「それほど朝音の名を口にしていた自覚がないな」
潤葉は嘲笑をこらえるために、奥歯を噛んだ。
「過ぎてしまったことはどうすることもできません」
周りの者を、ぐるりと順番に見る。この場に居るのは旧本家の主要人物のみ。夜音、音曜、ハオネ、ウルガ。
「故に、今後の事を考えましょう」
「まだ軌道修正は可能かしら」とハオネが尋ねる。潤葉は胸に片手をあてて、口許を緩め微笑した。
「ええ。私に策があります」
彼は夜音への接し方を見直すように助言した。全てを朝音と比べていては、健全な発育に関わると。そういうものかと疑うウルガを納得させるために、言葉を尽くす。最終的に彼を納得させたのは、朝音を引き合いに出した一言だった。
「朝音様は誰とも比べられず過ごし、天才になったではありませんか」
そうして両親は、夜音の前で「朝音」を口にしないよう取り決めた。ウルガは口約束のような曖昧さを許さず、潤葉へ旧本家内規則草案を作成するよう命令した。つつがなく草案を仕上げて提出すると、ウルガは細かく規定を追加した。
外出制限、立場による会話の許容、発言の自由、基礎生活習慣、学習時間の設定、不出来に対する処罰。ウルガが追加した規定は、どれも夜音の自由を奪うものばかり。
計画の歯車は、役目を充分に果たせる出来映えでなくては意味がないという思考なのだ。結果、夜音を望む形に生育するための、花のツタを縛り付けて矯正するような規則が完成した。それを承認して、ウルガは満足気に言う。
「これで夜音も、朝音のような才女となるだろう。将来が待ち遠しくなったな」
どうしたものかと潤葉は呆れた。夜音を朝音と比べず健全に育てるための提案が、歪んだ規定を生んだ。己の助言が、ウルガに正しく届かなかったことが悔やまれる。この規則が、いつまで用いられるのかが次の争点。
まだ二歳の夜音の将来は、日の目を見ることもなく閉ざされてしまうのか。理不尽に涙する子供を見たくない潤葉は、不自由を定められたYの人生を自由にすると誓う。
(ウルガ様は父親に向いていない。彼女に命が宿った経緯も酷いもので、止められなかった私にも責任があります。身勝手の自己満足ですが、私が夜音様の父代わりに。)
夜音の自由を取り戻すための画策は、怠らず抜かりなく手を尽くそう。時に奔走を要するとしても、夜音を護りたいと強く思ったのである。記念すべき初手、潤葉はウルガに内密でハオネへと、ある提案をした。
その日、旧本家内に館内規則が貼り出される。掲示をもって「朝音」は禁句と決定した。その事は旧本家内の正式なルールとなり、館で彼女の名を口にする者は居なくなる。
旧本家の館には元々、人形達を縛る規約があった。あくまで人形に適応される規約だ。人形達はルールに縛られることに慣れている。人間に従順であることが、人形としての良識なのだ。
しかし今回ばかりは、はいそうですかと服従し難い。二歳の幼児に対する細やかな規定は、人形の規約と大差無いのだ。人形達は主人であるウルガを猜疑し、物申さないハオネに疑念を抱いた。
「皆さん、ここを見て下さい。この規約はウルガ様が館にいらっしゃる時のみ有効と記されています」
とある真面目な人形が、貼り出された紙の隅に見つけた。共に貼り紙を見ていた人形が頷く。
「なるほど、この筆跡はハオネ様です」
言い出しっぺが紙の隅を指差した。
「この文言を最前項にして、再配布すべきです」
「ハオネ様の思考を汲むと、ウルガ様に見つかることは本末転倒です」
黙っていた三人目が意見する。
「皆に口伝します」
貼り紙に張り付いていた二人が振り向く。
「それは良い考えです」「手分けして伝えます」
三人目は、発言の意を表した挙手を続けたまま語る。
「夜音様は今、人間よりも人形よりも弱い存在です。私は夜音様を、お守りしたいと考えます。ウルガ様の、この規定は、過剰だと考えます」
二人が頷き合うと、発言中の人形も頷いて続ける。
「夜音様を、この規定から、強いてはウルガ様から守るべき、という結論です。皆も同じ考えですか」
二人は同時に挙手をした。「先に発言してください」と三人目が右手にいる人形に手をかざす。「同意します」続けて左手にいる人形が口を開く。「私も同意します」
そうして三体の人形は、他の人形へと言い伝えた。館にいる人形は従者を含めて全部で七体。機械的にルールを遵守する事は、人形の得意分野だ。ウルガの存在によってルールが変わるというのを、彼らは完璧に守るだろう。
そして数日が経った頃には、旧本家内に暗黙のルールが浸透した。「朝音」は常に禁句で、ウルガの前では夜音に厳しい規則を強いて、彼が居ない間はハオネに従って規則を抜いて夜音に接する。夜音の成育環境は、この館が全て。彼女が生きて行く世界の基盤は、こうして確立されたのだった。
始まりました夜音の人生! 花少女実験に参加するまでの短い人生ですが、最後までお付き合いの程よろしくお願いします。今回の話いかがだったでしょうか。とりあえず、旧朝顔本家に居る人形って音曜を除けば皆優秀とだけ覚えておいて欲しいです。
さて、次回予告「従者教育機関、人形1121」夜音の過去編2話目……来週投稿できる予定です。来週も頑張りますので、しばしお待ち下さい!




