第20話 赤い薬の正体
ルヴァン王国。
教会の上層階。
バルタザール・グレゴリオ枢機卿は、一人で書類を眺めていた。
机の上には、一本の小さな薬瓶。
中に入っているのは──血のように赤い液体。
「……」
バルタザールは、それを手に取ると小さく笑った。
「実に便利なものだ」
この薬をクラリッサへ投与するようになってから。
彼女の精神状態は驚くほど安定した。
以前のように暴れ出すことも、感情が激しく乱れることもない。
本人も、この薬があれば自分は大丈夫だと信じている。
「少しずつ、効き目が弱くなってきたようですな」
バルタザールは淡々と呟いた。
当然だった。
最初に使っていた薬と、今の薬は中身が違う。
最初の薬、それはミレイユの血。
そして魔族の血。
その二つを混ぜたものだった。
聖魔力を持つ者の血、しかもミレイユは、極めて強い聖魔力を持っていた。
だからこそ魔族の血を混ぜても、一定の均衡が保たれていた。
クラリッサにそれを投与し偽りの聖魔力を持たせることにより聖女として据え置くことができていた。
しかし今、ミレイユはい居なくなってしまった。
方々に手を突く探しているもののなかなか手がかりは掴めず。
消えた聖職者が何人かいるもののそれらの消息も不明のままだ。
「仕方ありませんからな」
バルタザールは薬瓶を机へ置く。
「代用品を使うしかない」
そこで使われたのが、そこらにいる聖職者たちの血だった。
聖魔力を持つ聖職者。
そう聞けば、ミレイユの代わりになりそうに思える。
だが実際には違った。
聖魔力の質も、量も、濃さも、ミレイユとは比較にならない。
結果、同じように魔族の血を混ぜれば魔族側の力が強くなる。
薬の効き目が薄れるのも当然だった。
だから投与する頻度が増えている。
少しずつクラリッサの身体へ、魔族の因子が蓄積されていく。
そのことを、バルタザールは知っていた。
◇
「聖女様の状態はいかがですか?」
部下が尋ねる。 その瞳は、白と黒が反転した異様な色をしていた。
「問題ない」
バルタザールは即答した。 書類から目を上げないまま、冷たい声で続ける。
「精神状態は安定している」
「ですが……最近、薬の投与間隔が」
「分かっている」
バルタザールはようやく顔を上げた。 部下と同じく、白黒が反転した瞳が、薄暗い室内で静かに光る。
「薬の効果が弱くなっているのでしょう」
「それは……危険では?」
「何がですかな?」
部下が言葉に詰まる。 反転した瞳が、わずかに細められた。
バルタザールは、薄く笑った。
「聖女が少々変化したところで、何の問題があるというのです?」
「……」
「むしろ」
バルタザールは薬瓶を手に取り、ゆっくりと揺らす。 反転した瞳が、瓶の中の液体を映して、さらに異様な光を帯びた。
「受肉型へ変化してくれれば、それはそれで都合がいい」
静かな声だった。 だが、その静けさの奥に、何か冷たい期待が潜んでいる。
「聖女クラリッサ・エヴェレットが魔族へ堕ちたとして──」
バルタザールは肩をすくめる。 白黒反転した瞳が、部下のそれを真正面から捉えた。
「私はこう言えばいい」
──知らなかった。
聖女の聖魔力が暴走していた。
治療のために薬を与えていた。
まさか、その薬が原因で魔族化するなど知る由もなかった。
「それで十分でしょう」
バルタザールは笑った。 その笑みは、反転した瞳の下で、どこか歪んで見えた。
「私は何も知らなかった」
それだけでいい。
クラリッサが壊れようと。 魔族へ変わろうと。
バルタザール自身には何の損害もない。
むしろ受肉型魔族となった聖女など、利用価値は、今より高い。
ただしバルタザールには、一つだけ想定外のことがあった。
「……ミレイユ」
その名前を口にした瞬間バルタザールの表情から笑みが消えた。
あの異常な聖魔力を持つ少女。
あの少女が成長すれば我々魔族の脅威になりかねない。
だから、クラリッサを偽りの聖女にするために薬の材料として利用していた存在。
そして、自分が喉を潰した存在、聖魔法を使わせないため、発声できないようにするために、何度も、何度も、喉を傷つけた。
「……生きているとは思えんが」
バルタザールは呟く。
ミレイユがいなくなった。
正確には、教会から消えた。
その後の行方は分かっていない。
「どこかで野垂れ死んでいるのであれば、それでいい」
売り飛ばされたのか。
どこかで力尽きたのか。
誰かに拾われたのか。
それすら分からない。
ふとバルタザールの指が止まる。
もし、生きていたら?
もし、誰かに保護されていたら?
「……あの喉が、治っていたら?」
その瞬間、バルタザールの脳裏に、一つの国が浮かんだ。
──カミツ国。
世界でも類を見ない高度な医療技術を持つ国。
長い年月を生きる人々が蓄積してきた医学、そして神津国の医術。
「……」
バルタザールは考える。
あの喉がもし、もしも治っていたとしたら。
「……いや」
すぐに否定した。
あれほど損傷した喉だ声帯にまで及んだ傷。
あれを、いくら神津国の医療技術が高度だからといって……
「いくらなんでも、治せるかどうかも分からない」
そもそも.そんな可能性を考えること自体が馬鹿らしい。
「第一王子……」
ふと別の情報が脳裏を過ぎる。
ヴィクトル・フォン・ルーヴェン。
現在、ルヴァン王国の外交使節として東方へ向かっている。
向かった先は……
「……カミツ国」
バルタザールの目が細くなる。
まさか、第一王子が外交のためにカミツ国へ向かう。
そして……
「……あの小娘を?」
連れて行った?
治療のために?
その考えが浮かんだ瞬間バルタザールは黙り込んだ。
「……いや」
だがすぐに首を横に振る。
ミレイユが消えた時期と、第一王子たちが旅立った時期が一致しない。
「……考えすぎか」
バルタザールはそう呟いた。
偶然だそうに決まっている。
第一王子が外交のためにカミツ国へ向かった。
それだけミレイユとは何の関係もない。
「……」
バルタザールは薬瓶を見つめる。
血のように赤い液体。
その中にはもう、ミレイユの血は入っていない。
「……まあ、いい」
バルタザールは薬瓶をしまった。
「生きていたとしても」
あの小娘に何ができる?
声を奪い、聖魔法を封じ、力も奪った。
「今さら、何ができるというのです」
そう呟きバルタザールは背を向けた。
ひいいい!所々間に合ってなくてすみません!!!




