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この捻れた世界にて、〜悪役令嬢は愛する者のために戦う〜  作者: 3色あんこ
第4部 常世に最も近い国

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第19話 赤い薬



──ルヴァン王国。


 王都にある教会。

 聖女クラリッサ・エヴェレットの私室では、今日も穏やかな時間が流れていた。


「ふふ……」


 クラリッサは窓辺に座り、庭を眺めながら小さく笑っている。

 以前の彼女からは、想像もできないほど穏やかな表情だった。

 侍女が紅茶を用意する。


「聖女様。本日のお茶はこちらでございます」

「ありがとう」


 クラリッサは微笑んでカップを受け取った。


「……今日は、とても気分がいいわ」

「それは何よりでございます」


 侍女もほっとしたように笑う。

 最近のクラリッサは、驚くほど穏やかだった。

 以前のように突然怒り出すこともない。

 誰かを激しく罵ることもない。

 夜中に取り乱すこともない。

 ──まるで別人だった。


 その変化を説明したのは、バルタザール・グレゴリオ枢機卿だった。


『聖魔力が大きすぎるのだ』


 彼はそう説明した。


『暴走しかけていた聖魔力が精神にまで影響を及ぼし、不安定な状態を引き起こしていたのだろう』


 そして、ケースの中からひとつの小瓶を取り出す。

 その中身は真っ赤な液体で満たされていた。


『定期的にこの抑制剤を投与すれば問題ありません』


 最初、クラリッサは半信半疑だった。

 けれど初めて薬を打ってから、驚くほど心が静かになった。

 頭の中を覆っていた靄が晴れたようで、何を見ても苛立たない、誰かの言葉に過剰に反応しない、眠ることもできる、食事も美味しい。

 そして何より、心が穏やかだった。


「……これが、本来の私なのね」


 クラリッサはそう思った。

 だから血のように赤い薬を疑う理由など、なかった。




「聖女様」


 部屋へ入ってきたのは、バルタザールだった。


「枢機卿様」


 クラリッサは笑顔を向ける。


「今日はどうされたのですか?」

「少々、確認したいことがありましてな」


 バルタザールはクラリッサの様子を観察する。


「体調はいかがですかな?」

「とても良いですわ」

「精神状態は?」

「問題ありません」

「苛立ちや不安は?」

「ありませんわ」

「睡眠は?」

「とてもよく眠れてますわ」


 クラリッサは微笑む。


「最近は、とても穏やかな気持ちで過ごせています」

「それは結構」


 バルタザールも満足そうに頷いた。

 そして懐から小さな箱を取り出す。

 蓋を開けると中に入っていたのは一本の小さな薬瓶。

 その中には血液を思わせるほど鮮やかな赤い液体が入っていた。


「では、今日も投与しておきましょう」

「はい」


 クラリッサは腕を差し出した。

 赤い薬が注射器へ吸い上げられ、そして針が肌へ刺さった。


「……っ」


 薬が身体へ入っていく。

 数秒。

 クラリッサは目を閉じる。


「……ふぅ」


 そしてゆっくりと息を吐いた。


「やっぱり……これを打つと落ち着きます」

「そうでしょうな」


 バルタザールは頷いた。


「聖魔力の暴走を抑えているのですから」

「そう……」


 クラリッサは自分の腕を見る。


「この薬があるなら、私は大丈夫なのですね?」

「ええ」


 バルタザールは迷いなく答えた。


「何も心配する必要はありません」


 クラリッサは安心したように笑った。




 それから、しばらくして。


「……あら?」


 クラリッサは鏡の前で首を傾げた。

 最近、少しだけ薬の効果が切れるのが早い気がする。

 以前なら一度投与すれば、かなり長い間穏やかな気持ちでいられた。


「……今日は、少し早いわね」


 胸の奥がざわつき、理由もなく苛立つ。

 頭の中が落ち着かなく、手が僅かに震える。


「……嫌」


 クラリッサは自分の腕を抱く。


「嫌……」


 そして机の上に置かれた赤い薬瓶を見る。

 あれを打てばまた落ち着く。


「……枢機卿様」


 クラリッサは侍女を呼んだ。


「はい」

「バルタザール枢機卿を呼んで」

「かしこまりました」


 侍女が部屋を出ていく。

 ほどなくしてバルタザールがやって来た。


「どうされましたかな?」

「……薬を」

「薬?」

「いつもより、落ち着かなくなってしまって……」


 クラリッサは不安そうに言った。


「もう一度、打っていただけませんか?」


 バルタザールは少しだけ眉を動かした。


「前回の投与から、まだそれほど経っておりませんが」

「……そうなのですか?」

「ええ」

「でも……」


 クラリッサは赤い薬瓶を見る。


「これがないと、嫌なのです」


 バルタザールはしばらく彼女を見つめた。


「……分かりました」


 赤い薬が用意される。

 再び針が刺さり、クラリッサの表情から力が抜けていく。

 ざわついていた心が静かになり、震えていた手も止まった。


「……ああ」


 安堵の息。


「やっぱり……これね」


 クラリッサは微笑む。


「これがあれば、大丈夫」


 バルタザールは何も言わなかった。




 さらに数日後。


「薬をください」

「聖女様、まだ前回から4日しか──」

「薬を」


 クラリッサの声が強くなる。


「……分かりました」


 さらに数日後。


「薬を」

「ですが……」

「薬をください!」


 そしてまた数日。


「……薬を」


 投与間隔は、ほんの少しずつ短くなっていった

 クラリッサ自身は、それに気づいていない。

 気づいていたとしても気にすることなどできなかった。

 薬が切れると、不安になり落ち着かなくなる。

 身体が重くなり、頭の中がざわつく。

 そして赤い薬を打てば、すべてが消える。


「……大丈夫」


 クラリッサは鏡の中の自分に微笑む。


「私は、大丈夫」


 その背後、机の上には空になった薬瓶が、以前より増えていた。

 一本、また一本。

 そしてまた一本。


 赤い液体だけが静かに、彼女の身体へと入り続けていた。

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