第16話 癒やしの家と、小さな弟子
神津国へ来て、数日。
神殿の試練を終えた一行は、凪から紹介された薬師──瑠璃堂薬玄の屋敷、水晶治療院を訪れていた。
「……」
薬玄が人差し指と中指を揃え、妖術を込めてミレイユの喉に慎重に触れた。
指先から微かな気配が流れ込み、皮膚の下を辿っていく。
傷跡。
硬化した組織そして、その奥にある声帯そのものへ。
「……声帯の損傷は、やはりかなり深いな」
薬玄は静かに呟いた。
「ただし、完全に失われたわけではない」
イリシアの表情が変わる。
「……それは」
「治療できる可能性がある、ということだ」
ミレイユが目を見開いた。
すぐさま、彼女は持っていた筆談帳に文字を書く。
『本当に?』
「ああ」
薬玄は即答した。
「もっとも、一日二日でどうにかなるものではない。まず身体全体の状態を調べる。そのうえで喉の治療に入る」
そして薬玄は、ミレイユを見る。
「数日はここで過ごしてもらうことになる」
ミレイユは一瞬だけ、イリシアたちを見る。
離れる。
そのことに、ほんの少し不安が滲んだ。
それを察したイリシアが、そっとミレイユの手を握った。
「大丈夫ですわ。わたくしたちは、ちゃんと近くにおりますもの」
ミレイユが筆談帳を取り出す。
『でも、みんなの旅の邪魔に……』
「邪魔なんかじゃありません」
イリシアは首を横に振った。
「ミレイユ様が元気になることが、今のわたくしたちにとって一番大切です」
ヴィクトルも頷く。
「その通りだよ」
ジュリアンも腕を組みながら笑った。
「ここまで来たんだ。今度こそ、しっかり治してもらおうぜ」
ミーナは勢いよく頷く。
「そうそう!ミレイユさんが喋れるようになったら、いっぱいお話ししましょうね!」
ルークも静かに笑う。
「……そのためにここまで来たんだからな」
ミレイユはしばらく皆を見つめ、やがてゆっくりと笑った。
しっかりと頷くとイリシアも微笑む。
「では、しばらくの間お願いしますわ」
「ああ。任せてもらおう」
薬玄はそう答えた。
「薬玄先生」
廊下の向こうから、少年の声が聞こえた。
ぱたぱたと軽い足音。
「次の薬草の調合が終わりました」
部屋へ入ってきたのは、まだ幼さの残る少年だった。
しかし、その目には年齢に似つかわしくないほどの落ち着きがある。
「……あ」
咲羅が目を丸くした。
「翠翔!」
「さく姉?あ、お客様……」
少年──翠翔は、咲羅を見ると周囲に軽く頭を下げる。
そのまま咲羅は、翠翔を皆に紹介する。
「皆さん一度お会いしていると思いますが私の弟、翠翔です!」
「初めまして」
翠翔は丁寧に頭を下げた。
「翠翔はね、薬玄先生のお弟子さんなんですよ!」
「弟子?」
イリシアが驚くと、薬玄が少しだけ口元を上げた。
「そうだ。こいつは私の弟子だ」
「えへへ」
「褒められて喜ぶな。まだまだ未熟だぞ」
「はい」
即答だった。
その素直さに、イリシアは思わず微笑む。
すると翠翔の視線が、ミレイユへ向いた。
「……この方が、今回の患者さんですか?」
「ああ」
薬玄が頷く。
「喉の損傷がかなり酷い。しばらくここで治療する」
「そうですか」
翠翔はミレイユの姿をじっと見る。
そして──
「先生」
「なんだ」
「喉だけじゃないと思います」
薬玄の眉が僅かに動いた。
「……ほう?」
翠翔はミレイユの首元を見ながら続ける。
「傷そのものは治りかけています。でも、周囲の筋肉がずっと緊張しています」
「……」
「長期間、痛みを我慢していたんじゃないでしょうか」
ミレイユが驚いたように目を見開く。
イリシアも息を呑み、翠翔はさらに続けた。
「それに、食事をする時にも無意識に首をかばっているのではないでしょうか?」
薬玄が翠翔を見る。
「よく見ているな」
「ありがとうございます」
「だが、まだ観察だけだ。推測で決めつけるなよ?」
「はい」
薬玄はミレイユへ向き直る。
「少し質問する。食事の時、飲み込みにくさはあるか?」
ミレイユは筆記板に文字を書いた。
『少しあります』
「痛みは?」
『時々』
「なるほど」
薬玄は頷き、そして翠翔を見る。
「では、今の話から何をするべきだと思う?」
翠翔は少し考えた。
「喉の治療だけじゃなく、周囲の筋肉や神経の状態も調べます」
「正解だ」
翠翔の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます!」
そのやり取りを見ていたミーナが、ぽつり。
「……なんか親子みたい」
「誰が親子だ」
薬玄が即座に返す。
「師弟だ」
「あ、師弟なんだ」
「そうだ」
翠翔が嬉しそうに頷いた。
「僕、父や母、さく姉のように武術はからっきしで、それよりも治癒術が得意だったので薬玄先生に教えてもらってるんです」
「そうですのね」
イリシアが微笑む。
「素晴らしい師匠に出会えたのですね」
「……」
薬玄が少しだけ視線を逸らした。
「……そういうことを平然と言うな。調子が狂う」
ミーナが笑う。
「薬玄先生、照れてるー!」
「うるさい」
屋敷に小さな笑い声が広がった。
その空気を見て、ミレイユも嬉しそうに笑っている。
ここなら、きっと大丈夫。
イリシアはそう思った。
「それでは、ミレイユ様」
イリシアは彼女の前にしゃがみ込む。
「わたくしたちは、今日から咲羅さんに案内していただく予定ですわ」
ミレイユが筆談帳に書く。
『外交、頑張ってください』
「……はい」
少し寂しそうに笑いながらも、イリシアは頷いた。
「必ず、また迎えに参りますわ」
ミレイユは筆談帳を見せた。
『待っています』
イリシアはその文字を見て、優しく笑った。
「ええ」
そうして、一行は薬玄の屋敷を後にした。
◇
「それでは皆さん!」
屋敷を出た途端、咲羅が両手を広げた。
「今日から私が神津国をご案内します!」
「よろしくお願いします!」
ミーナが元気よく手を上げる。
「まずどこ行んでふか?」
「そうですね……」
咲羅は少し考える。
「まずは薬草市場!」
「薬草!」
ミーナの目が輝いた。
「次に医術研究局!」
「なんか凄そうです!」
「それから神社をいくつか巡って、職人街に行って……」
「食べ物は!?」
「もちろんあります!」
「やったあ!!」
ミーナが飛び跳ねた。
「咲羅殿、これは外交としてどうなんですか?」
ジュリアンが苦笑する。
「立派な外交ですよ!」
咲羅は胸を張る。
「この国の良いところを知ってもらうことも、大切な外交ですから!」
ヴィクトルが感心する。
「確かに、その通りだね」
「でしょう?」
咲羅は嬉しそうに笑った。
イリシアも笑う。
「では、今日は神津国のことをたくさん教えていただきましょう」
「はい!」
こうしてミレイユが治療を受ける数日間。
残された一行は、神津国の街を巡ることになった。
薬草が並ぶ市場。
珍しい薬を扱う店。
医術の研究施設。
長い歴史を持つ神社。
独特な意匠の工芸品。
そして、見たこともない料理の数々。
「これ、美味しい!」
「こっちも美味しいですわ」
「次はこれ食おうぜ!」
「ミーナ、さっきから食べてばかりではありませんこと?」
「だって美味しいんですもん!」
「ミーナ、一応外交だろ?」
「……食文化の視察、ですっ!」
「今考えただろ」
ルークのツッコミに咲羅が笑い、ヴィクトルも肩を震わせる。
イリシアも思わず笑った。
──こうして過ごすのも、悪くない。
けれど夕暮れが近づく頃イリシアはふと、空を見上げた。
「……ミレイユ様は、大丈夫でしょうか」
その呟きを聞いたヴィクトルが、隣に並ぶ。
「大丈夫だよ」
「……はい」
「薬玄殿は、将軍殿が信頼するほどの人物だ。それに、翠翔子息もいる」
「そうですわね」
イリシアは頷き、小さく笑った。
「今度は……彼女自身が、治る番ですものね」
「ああ」
ヴィクトルも微笑む。
「だから僕たちは、安心して待とう」
夕陽が、神津国の街並みを赤く染めていた。
その頃薬玄の屋敷では。
「先生」
「なんだ、翠翔」
「この患者さんの治療、僕にも手伝わせてください」
薬玄は一瞬だけ翠翔を見る。
「……なら、まずは検査記録をまとめる所からだ」
「はい!」
小さな弟子は、嬉しそうに頷いた。
ミレイユの治療は、始まったばかりだった。




