第15話 神の加護と、癒やしの道
神の試練を終えた二人は、そのまま神凪将軍のもとへと向かうこととなった。
御殿の長い廊下を歩く。
ヴィクトルとジュリアンは、未だに試練の余韻を身体に残していた。
ヴィクトルの身体には、水神と炎神。
ジュリアンの身体には、雷神。
それぞれの神の加護が宿っている。
その事実を、本人たち以上に正確に理解している者がいた。
神凪将軍──日之神 凪。
そして、その隣に控える九重である。
謁見の間へ入った瞬間。
凪は二人を見た。
ほんの一瞬それだけで彼女の目が細められる。
「……なるほどな」
静かな声。
「どうやら、無事に帰ってきたようだな」
ヴィクトルとジュリアンが一礼する。
「はい」
「試練を突破しました」
その言葉を聞くよりも早く凪は二人を見つめた。
ヴィクトルの周囲に漂う、ほんの僅かな水と炎の気配。
ジュリアンの身体から滲み出る、雷の残滓。
それを見れば十分だった。
「神の加護を得たか」
凪が呟く。
九重も、満足げに頷いた。
「うむ。妾が見届けた故、間違いないぞ?」
九尾の瞳が細められる。
「水神と炎神。そして雷神……まったく、とんでもない者たちを連れてきたものじゃ」
ヴィクトルは苦笑した。
「自分でも、まだ実感がありません」
「でしょうね」
凪はそう言ってから。ゆっくりと二人を見渡した。
「試練を突破し、無事に神の加護を得たそなたらに、願いをひとつ叶えてやろう」
その言葉にヴィクトルとジュリアンは一瞬たりとも迷わなかった。
二人は同時に、ミレイユを振り返る。
「……!」
突然、自分へ向けられた視線に。
ミレイユが目を見開く。
そして二人の声が重なった。
「「ミレイユ嬢の喉を……治したい」」
「──!」
ミレイユの瞳が大きく見開かれる。
自分のために二人が神の加護を得た直後に願ったもの
、それが自分の声を取り戻すことだった。
ミレイユは唇を震わせる。
「……っ」
声を出そうとするが、喉から出てくるのは掠れた空気だけ。
「…………」
伝えたい、ありがとう、と。嬉しい、と。
ずっと自分のために戦ってくれてありがとう、と。
けれど声が出ない。そのことが今はどうしようもなく歯がゆかった。
ミレイユの瞳に涙が滲む。
イリシアがそっと彼女の肩へ手を置いた。
「大丈夫ですわ」
優しくそう囁く。
「今度こそ……きっと」
ミレイユは何度も頷いた。
九重はそんなミレイユを見つめると、深く静かに頷いた。
そして凪へ視線を向ける。
「……将軍」
凪もすでに答えを決めていた。
「その願い」
低くしかしはっきりとした声が響く。
「しかと受けた」
凪は立ち上がる。
その姿には一国を背負う者としての威厳があった。
「我が旧知に── 瑠璃堂 薬玄という男がおる」
「瑠璃堂……薬玄?」
イリシアが呟く。
「世界随一の医術師だ」
凪は続ける。
「多少ひねくれ者ではあるがな」
「……」
「しかし」
その言葉には絶対的な信頼が込められていた。
「腕は確かだ」
凪はミレイユを見る。
「お主の喉を治せる可能性があるとすれば、あの男だろう」
ミレイユの瞳に希望が灯る。
「お主らを紹介しよう」
「……!」
ヴィクトルが息を呑み、ジュリアンほ拳を握った。
イリシアは胸の前で手を組み。
「ありがとうございます……!」
深々と頭を下げた。
凪は頷く。
「礼ならば、治療が終わってからでよい。今はただ、可能性を掴みに行け」
「はい!」
ヴィクトルが力強く返事をした。
その声にミレイユも嬉しそうに微笑んだ。
──こうして、ミレイユの治療に新たな道が開かれた。
◇
城下町の一角。
人々の喧騒から少し離れた場所に一軒の屋敷があった。
白壁、整えられた庭、窓から差し込む光。
派手さはないが、隅々まで清潔に保たれたその屋敷には。
医療を扱う場所特有の、静謐な空気が漂っていた。
「こちらです」
使用人に案内され一行は屋敷の中へ入る。
「……」
室内には淡い薬草の香りが漂っていた。
そしてその奥一人の男性が立っていた。
黒髪、整えられた衣服、真っ白な白衣。
年齢は40歳前後だろう。
姿勢は真っ直ぐ、所作には一切の無駄がない、凪が一歩前へ出る。
「瑠璃堂薬玄」
男が振り返った。
鋭い瞳だが、その表情は穏やかだった。
「……神凪将軍」
薬玄は静かに頭を下げる。
「本日はお越しいただき、光栄に存じます」
「こちらこそ突然すまぬな、例の患者を連れてきた」
「そうですか」
薬玄は顔を上げる。
その視線が一行を順番に捉えていく。
そして最後にミレイユへ、薬玄の目が止まった。
「……」
何も言わないまま、ただじっとミレイユを見ている。
まるでその姿だけで彼女の状態を推測しようとしているかのようだった。
ヴィクトルが一歩前へ出る。
「お初にお目にかかります。ヴィクトル・フォン・ルーヴェン。ルヴァン王国第一王子です」
王族らしい堂々とした声音で名乗ったヴィクトルに続き、イリシアが前へ出る。
「お初にお目にかかります。わたくしはイリシア・ヴァルモンド。ルヴァン王国のヴァルモンド公爵家の嫡子でございます」
優雅に一礼する。
続いて、ジュリアンが一歩進み出た。
「ジュリアン・アルヴァン。アルヴァン公爵家の次男でヴィクトル殿下の専属護衛です。以後、お見知りおきを」
簡潔ながらも礼を失しない名乗り方。
最後に、イリシアの後ろに控えていた二人が前へ出る。
「ルーク。この使節隊の護衛をしている」
「ミーナです。同じく、イリシア様の護衛を務めております」
二人は揃って一礼する。
五人の挨拶に瑠璃堂薬玄も深々とお時期をする。
「丁寧な挨拶感謝する。ある程度の事は将軍から聞き及んでいると思うが自己紹介させてくれ。私の名は瑠璃堂 薬玄。神凪将軍の専属医師にして水晶治療院の院長を務めている。」
「瑠璃堂薬玄様。こちらが、今回診ていただきたいミレイユ・アンサリオ様です」
「そうか」
薬玄は頷く。
「ではいくつか確認させていただいても?」
薬玄の穏やかな声に。
ミレイユはこくり、と頷いた。
薬玄は彼女の前へ歩み寄る。
「声を出す必要はありません」
その言葉にミレイユが少し驚いたように目を瞬く。
「筆談でも構いません」
薬玄は机の上から紙を一枚取り出した。
「無理に発声させる必要はないでしょう」
そしてミレイユの喉を確認する。
傷跡、幾度も繰り返された損傷、長期間にわたる出血、声帯そのものへの深い傷。
薬玄は眉間に僅かに皺を寄せた。
「……」
その手が喉へ触れると、ミレイユは少しだけ身体を強張らせた。
「痛みますか?」
ミレイユは首を横に振る。
「そうですか」
薬玄は頷いた。
「口を開けてください」
指示に従う。
薬玄は小さな器具を使い、慎重に喉の奥を確認していく。
「……声帯の損傷」
小さく呟く。
「そして、周囲の組織にも複数の 瘢痕がありますね」
イリシアが不安そうに尋ねる。
「……治療は可能でしょうか?」
薬玄はすぐには答えなかった。
手にしていた書物を開く。
そこには様々な人体の構造や薬草や、魔法治療についての記録がびっしりと書き込まれていた。
薬玄はページを捲りながら。
「……声帯の損傷、長期の発声不能、そして魔力による治癒痕……」
一つ一つ確認していく。
やがて、ぱたん。と本を閉じた。
ミレイユが不安そうに薬玄を見る。
薬玄はそんな彼女へ柔らかく微笑んだ。
「恐れることはありません」
「……!」
「必ず声を取り戻せる──とは、まだ断言できません」
正直な言葉だが、その続きは希望だった。
「ですが手立てはあります」
薬玄はミレイユの目を真っ直ぐ見つめる。
ミレイユの瞳が揺れる。
「適切な薬剤の調合と、傷ついた声帯を再生させるための治療。そして魔力回路への干渉を最小限に抑えながら、治癒を促す必要があります」
薬玄は続ける。
「準備に数日いただきたい」
「数日……」
イリシアが呟く。
薬玄は頷いた。
「その間に必要な薬を用意します」
そしてミレイユへ視線を戻す。
「焦る必要はありません。今までよく耐えましたね」
その一言で、ミレイユの目から、ぽろり、と涙が落ちた。
「…………」
薬玄は何も言わずに、ただ静かに微笑んでいた。
やがてミレイユは胸元へ手を当て、深く頭を下げた。
薬玄が微笑む。
「礼儀正しい方ですね」
ヴィクトルはそんな二人を見ながら小さく息を吐いた。
「……頼もしい方だな」
ジュリアンも頷く。
「ああ」
イリシアもようやく肩の力を抜いた。
長い旅だった。
アル=ジャウハルでの戦い。
カント・マリスでの事件。
そして神の試練。
何度も何度も危険を越えてきた。
それでもここまで来た。
そして今ようやくミレイユの喉を治すための本当の治療が始まろうとしている。
薬玄は静かに告げた。
「では、これよりあなたの声を取り戻すための治療を始めましょう」
ミレイユは涙を拭い力強く頷いた。
──次なる希望への道がこうして確かに開かれた。




