第8話 救出作戦会議
第一王子ヴィクトルの執務室は、いつもとは異なる緊張した空気に包まれていた。
机の上に投影された五つの立体映像が、淡い銀青色の光を放っている。
アラン・ヴァルモンド
ルーク
エレナ
ミーナ
そして革新派枢機卿ラファエル・ドミニク。
それぞれが別々の場所にいるはずなのに、まるで同じ空間に集まっているかのような臨場感があった。
全員の視線が、イリシア・ヴァルモンドに集中していた。
「皆様、お時間をいただきありがとうございます」
イリシアはゆっくりと立ち上がった。
月光を思わせる銀髪が優雅に揺れ、青い瞳が一人ひとりを静かに見渡す。
その姿には、指揮者としての確かな威厳が宿っていた。
「これより、わたくしが数ヶ月に渡り準備して参りました、ミレイユ・アンサリオ救出作戦について、ご説明いたしますわ」
彼女は机の中央に一つの魔法水晶を置いた。
淡い紫色の光が広がり、映像が浮かび上がる。
そこに映し出されたのは、薄暗い客室での密会──
第二王子フィリップと偽りの聖女クラリッサの姿だった。
『では決まりですね、殿下』
クラリッサが甘く微笑む。
『誕生日の祝賀会で、リリアナとの婚約を破棄する。そしてその場で私を新たな婚約者として紹介してくださいませ』
フィリップは満足げに頷いた。
『ああ。安心してくれ、クラリッサ。
リリアナの罪状など、後からいくらでも作れる……君は何も心配しなくていい』
映像がそこで途切れた。
室内に重い沈黙が落ちた。
「……馬鹿か、あいつは」
最初に口を開いたのはヴィクトルだった。
額を押さえ、呆れたようなため息を吐く。
「救いようがないな……」
ジュリアンも頭痛を堪えるようにこめかみを押さえていた。
「少なくとも、断罪劇が起こることはほぼ確定ですわ」
イリシアが静かに告げた。
「そしてその場には、保守派の重鎮である枢機卿バルタザールも同席する予定です」
「つまり」
ソフィアが腕を組み、冷静に分析する。
「教会上層部が一堂に王城へ集まる」
「ええ」
イリシアは頷き、机に新たな資料を広げた。
教会の見取り図、警備配置表、地下構造図、避難経路の詳細──どれも精密に描かれている。
「こちらの地図や警備情報は、ラファエル枢機卿からいただいたものです。
作戦決行日は、フィリップ王子生誕祝賀会当日とします」
イリシアは祝賀会の正式招待状を取り出し、日程を指で示した。
「まず、わたくしとヴィクトル殿下、そしてソフィア様は会場へ参加します。
目的はクラリッサ様とバルタザール枢機卿の監視、そしてできるだけ注意を引き付けて、救出部隊が気付かれないように時間稼ぎをしなければいけません」
その言葉に、ヴィクトルは力強く頷いた。信頼のこもった視線をイリシアへ返す。ソフィアもまた、彼と同じように深く頷き返した。
「任せてくれ」
ヴィクトルの声は低く、揺るぎない。
「問題ありません。万全を期します」
ソフィアの言葉は、以前と同じく落ち着いていたが、その奥には燃えるような覚悟が宿っていた。
イリシアは今度は隣に座るジュリアンに向き直った。
彼の表情はすでに緊張と集中で引き締まっている。
「ジュリアン様」
「はっ」
「ルーク、エレナ、ミーナを加えた四名で救出部隊を編成していただきます。
……どうか、ミレイユ様を無事に連れ戻してください」
その瞬間、通信機の画面に映るルークが軽く手を挙げ、にやりと笑った。
『潜入と工作担当だ。任せろ』
エレナは眼鏡を押し上げ、いつもの冷静な口調で淡々と続ける。
その声には一切の無駄がなかった。
『情報解析とリアルタイム支援を担当します。作戦中の全動向を把握し、即時対応します』
そしてミーナは、画面の中で元気いっぱいに飛び跳ねるように身を乗り出した。
赤色の髪が揺れ、瞳がきらきらと輝いている。
『鍵開けと変装担当です! 任せてください!』
「堂々と言うことか……?」
ジュリアンが呆れたように呟き、額を軽く押さえた。
その反応に、ミーナはますます胸を張って笑顔を弾けさせる。
『褒めてください!』
「褒めてない」
『えへへ!』
「聞いてないな?」
『聞いてません!』
「頭痛い……」
ジュリアンが顔を片手で覆う姿に、柔らかな笑いが漏れた。
イリシアも思わず口元を緩めながら、しかしすぐに表情を引き締めた。
「ラファエル様」
イリシアが視線を通信機越しに移すと、そこには厳しい表情のラファエルが映っていた。
「救出中、教会内の警備を可能な限り手薄くしていただけますか?」
『承知しました。私も内部から支援します』
ラファエルは真剣な面持ちで頷いた。その瞳には、教会に対する複雑な想いと、確かな決意が宿っていた。
イリシアはそのまま隣の通信機へ視線を滑らせた。
「アランお兄様」
『国王陛下への報告役だね』
兄の声はいつも通り落ち着いていて、状況を的確に読み取っていた。
「はい。……すべてを正確に、そして迅速に陛下へお伝えください」
『了解した』
役割が次々と埋まっていく。
そしてイリシアは、最後の一枚の地図を机に置いた。
大陸全土を記した大規模な地図だった。
「救出後についてですわ」
彼女の白い指が、東の果てにある一つの島国を指し示した。
「ミレイユ様を救出した後、わたくしは彼女を連れてカミツ国へ向かいます」
室内が静まり返った。
「カミツ国……?」
ソフィアが眉をひそめる。
「はい。彼女の喉の傷を根本的に治療できる可能性があるのは、現在あの国だけです」
誰も異論を唱えなかった。
ミレイユの傷の深刻さは、全員が共有していた。
「その道中は少数精鋭が望ましいでしょう。兄様より強い魔術師であるわたくしなら──」
「なるほど、そこまでは分かった」
ヴィクトルが頷いた。
「だが」
彼の金色の瞳が細くなる。
「一つだけ、重大な欠陥がある」
「欠陥?」
「君自身だよ、イリシア」
イリシアが瞬きをした。
「わたくしですの?」
「そうだ」
ヴィクトルは深いため息を吐いた。
「君、一人で行くつもりだろう?」
「ええ」
「却下だ」
即答だった。
「なぜですの?わたくしは王国有数の──」
「知っている」
ヴィクトルが静かに遮った。
「君が強いことも、賢いことも、誰よりも努力家であることも、全て知っている。
だからこそ、一人で行かせる理由にはならない」
イリシアが反論しようと口を開きかけたが、ヴィクトルの真剣な眼差しに言葉を飲み込んだ。
「でしたら、殿下にお願いがあります」
「なんだい?」
「わたくしと……婚約破棄していただけませんか?」
完全な沈黙が落ちた。
ジュリアンが固まり、ソフィアが眼鏡を押さえる。
映像の向こうでも全員が凍りついた。
「……ど、どういうことだい?」
ヴィクトルが慎重に聞き返した。
イリシアは真剣な顔で説明を始めた。
「カミツ国は大陸のほぼ反対側。どれだけ急いでも片道2ヶ月半はかかります。
わたくしとミレイユ様が同時に姿を消せば、保守派は確実に気付きます。
そこで──殿下から婚約破棄された傷心の令嬢が、療養のために長期旅行に出る、という筋書きを利用するのです」
「なるほど……確かに筋は通っている」
ジュリアンが呟いた。
「でしょう?そして口約束で婚約破棄を宣言していただければ、わたくしの事業団の情報操作役が、適切に噂を流してくれます。
これならば社交界から姿を消しても不自然ではありません。
殿下も教会寄りの姿勢を見せやすくなり、調査がしやすくなるでしょう?」
ソフィアが頭を抱えた。
「理にはかなっていますが……」
「そうだね」
ヴィクトルが頷いた。
「理にはかなっている」
イリシアが少し得意げになった瞬間──
「却下だ」
「えっ」
今度は本当に間抜けな声が出てしまった。
ヴィクトルは額を押さえ、優しく、しかし力強く言った。
「イリシア。君は時々、本当におかしい」
「失礼ですわね」
「自分の価値を、軽く見積もりすぎる」
室内が再び静まり返った。
「君は平気で自分を囮にし、泥を被り、評判を落とすことを選択肢に入れる。」
「どれも必要な事ですわ」
「そういうところだよ」
深いため息の後、ヴィクトルは真っ直ぐに彼女を見つめた。
「君は変なところで鈍感だから、はっきり言っておく」
「……?」
「僕は君のことを、誰よりも大切に思っている」
沈黙。
ソフィアが固まり、ジュリアンが天井を仰いだ。
鏡の向こうでミーナが口を両手で押さえ、アランは頭を抱えた。
「でん……か?」
当の本人だけが、まだ理解できていない。
ヴィクトルは一度目を閉じて深く息を吸い、優しく微笑んだ。
「きっかけは親同士が決めた婚約だった。
だけど、信念を曲げない君を見た。
誰よりも努力する君を見た。
誰よりも強くなろうとする君を見た。そして──」
彼の声は温かく、穏やかだった。
「そんな君を、心から愛おしいと思っている」
完全に沈黙した室内。
ジュリアンは窓の外を、ソフィアは顔を覆い、ラファエルは苦笑を浮かべ、ルークは面白そうに眺め、ミーナは爆発寸前だった。
「……?」
イリシアだけが本当に分かっていない様子で首を傾げた。
ヴィクトルは盛大にため息を吐き、諦めたように笑った。
「まさか本当に気付いていなかったのかい?はぁ……」
そして、決然と言った。
「だから婚約破棄なんてしない。
君が嫌だと言っても同行する。代替案と国王陛下への許可申請はこちらで済ませる。以上」
イリシアは数秒固まった後、ようやく理解したのか、一気に耳の先まで真っ赤になった。
その様子を見て、ジュリアンがぽつりと呟いた。
「……救出作戦会議だったよな?」
「そのはずでしたね」
ソフィアも呆然と頷く。
そして鏡の向こうから、ミーナの甲高い絶叫が響き渡った。
『きゃああああああああああ!!!!!』
その瞬間、張り詰めていた空気が一気に崩れ、執務室に笑いと照れくささが広がった。
作戦会議は、予想外の熱を帯びて終了したのだった。
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