第7話 神津国との外交交渉
翌朝。
カミツ国の城──その一室にて。
長い卓を挟み、三人の客人が並んでいた。
ルヴァン王国第一王子、ヴィクトル・フォン・ルーベン。
魔導の公爵令嬢、イリシア・ヴァルモンド。
そして剣の公爵家の次男、ジュリアン・アルヴァン。
対する神津国側には、統治者である神凪将軍──日之神 凪。
その隣には夫の悠慎。
そして守護巫女、九重。
昨日の歓迎の宴とは打って変わった、静かな空気だった。
凪は3人を順番に見つめる。
「さて。改めて、我が国へようこそ」
「こちらこそ、受け入れていただき感謝しております」
ヴィクトルが頭を下げる。
凪は小さく頷いた。
「昨日の歓迎の席でも伝えたが、そなたたちがこの国を訪れた目的について、我々が聞いているのは二つだけだ」
イリシアが姿勢を正す。
「一つは、ルヴァン王国と神津国との外交交渉。そしてもう一つが──」
凪はそこで言葉を切った。
「ある人物の治療」
イリシアの指先が、ほんの僅かに動いた。
だが、それ以上の反応は見せない。
凪もまた、そこには踏み込まなかった。
「治療については、まだ詳しい事情を聞いておらぬ。無理に今ここで話せとは言わん」
「……ありがとうございます」
イリシアが静かに礼をする。
「まずは外交の話をしようではないか」
「はい」
それから始まったのは、長い外交交渉だった。
航路。
交易。
魔法技術。
薬学。
海上での安全保障。
そして、魔族に対する情報共有。
特に最後の議題が出た瞬間、ジュリアンの表情が僅かに引き締まった。
凪もまた、先日のカント・マリスで起きた事件についてすでに報告を受けている。
「魔族は、国境など選ばぬ」
凪が低く言った。
「陸にいる者も、海にいる者も、同じように狙われる」
「その通りです」
ヴィクトルが頷く。
「ルヴァン王国としても、今後は魔族に関する情報を可能な限り共有したいと考えています」
「ふむ」
凪は腕を組んだ。
「我が国も異論はない」
悠慎が穏やかに続ける。
「長きにわたって国同士の交流が少なかったとはいえ、敵が同じならば協力する理由としては十分でしょう」
イリシアが頷く。
「我が国には魔導研究の蓄積があります。神津国には医術や妖術、そして神々の加護がある。互いの知識を共有できれば、魔族への対策も大きく前進するはずですわ」
「ほう」
九重が面白そうに目を細めた。
「魔導公爵家の令嬢は、なかなか面白いことを言うのう」
「お褒めいただき光栄ですわ」
「褒めたつもりはないぞ?」
「まあ」
イリシアがにっこり笑う。
九重の口元も僅かに吊り上がった。
その様子を見ていたジュリアンが、小さく息を吐く。
──この二人、妙に気が合いそうだ。
そんな空気の中、交渉は続いていった。
そして、数時間後。
凪がようやく書類を閉じた。
「──よし。外交については、これで大筋まとまったな」
ヴィクトルが頷く。
「ありがとうございます」
「うむ」
凪は背もたれへ身体を預ける。
「それで、だ」
三人を見る。
「そなたたちがこの国に来た目的は、外交だけではない」
「……はい」
「先ほども言った通り、我々が知っているのは『ある人物の治療』ということだけだ」
凪はそこで微笑んだ。
「誰を治療するのか。何を治すのか。どのような方法を求めているのか──それは今夜の食事会で聞くことにしよう」
イリシアの瞳が僅かに揺れた。
ミレイユの喉。
それは、彼女たちがこの国へ来た最大の目的の一つ。
「今夜は無礼講……とまでは言わぬが、少なくとも外交官同士の堅苦しい話だけでは終わらせん」
凪が笑う。
「そなたたちがこの国で何をしたいのか。何を求めているのか。遠慮なく話してくれ」
「承知いたしました」
ヴィクトルが頭を下げた。
「では、今夜の席を楽しみにしております」
「うむ」
凪が満足そうに頷く。
「──それでは、午前の仕事はここまでだ」
◇
その頃。
「では!」
明るい声が響いた。
「ここからは私にお任せください!」
「……え?」
ミーナが目を瞬く。
隣では、ミレイユも不思議そうに首を傾げていた。
「おいおい。どこへ連れてく気だ?」
ルークが咲羅を見る。
「お母様……ごほん、将軍から外交交渉中に客人をもてなせと仰せつかりましたので!」
咲羅は胸を張った。
「城内案内です!」
「城内案内!」
ミーナの顔がぱっと輝く。
「わーい!」
「へぇ」
ルークも周囲を見回した。
「そいつぁ面白そうじゃねぇか」
ミレイユがルークを見る。
「……?」
ルークは肩を竦めた。
「カミツ国の城なんざ、そうそう入れるもんじゃねぇだろ。見られるもんは見といた方が得だ」
ミーナが勢いよく頷く。
「そうそう!それにお城って宝物庫とかあるんでしょ!?」
「あるんじゃねぇか?」
「見てみたい!」
「宝物庫の場所まで教えてもらえりゃ、次に来た時は盗み放題だな」
「盗んじゃ駄目ですよ!?」
咲羅が即座に振り返った。
「ははっ」
ルークは悪びれもせず笑う。
「冗談だよ」
「絶対ちょっと本気でしたよね!?」
「さぁな」
「ルーク!」
ミーナが楽しそうに笑う。
「私も宝物庫行きたい!」
「お前は本気で盗みそうだからやめとけ」
「盗まないよ!」
「その顔は信用できねぇ」
「ひどーい!」
ミレイユは二人のやり取りを見ながら、筆談帳を取り出した。
さらさらと文字を書き、ルークへ見せる。
『本当に盗んだりしませんよね?』
「……」
ルークが筆談帳を覗き込む。
そして、少しだけ口元を吊り上げた。
「お前まで俺を疑うのかよ」
ミレイユがじっとルークを見る。
「…………」
「……分かった分かった。盗らねぇよ」
ミレイユがほっとしたように微笑む。
「ったく、信用ねぇな」
「普段の行いじゃない?」
ミーナが横から口を挟む。
「お前は黙ってろ」
「えー!」
その先頭を歩くのは、カミツ国の外交官──日之神 咲羅。
風神の加護を持つ少女は、昨日と変わらない明るい笑顔を浮かべていた。
「まずは庭園です!」
「庭園!」
ミーナの目が輝く。
「その次は?」
「薬草園!」
「薬草園!?」
「その次は神殿!」
「神殿!?」
「その次は──」
「まだあんのか?」
ルークが面白そうに眉を上げる。
「あります!」
咲羅は自信満々に胸を張った。
「この城なら、私が案内できる場所は全部ご案内します!」
「へぇ……」
ルークが周囲を見回す。
「じゃあ、地下牢」
「あります!」
「宝物庫」
「あります!」
「武器庫」
「あります!」
「隠し通路」
「…………あります!」
「ほぉ」
ルークの目が僅かに細くなる。
「面白ぇ城だな」
「ちょっと待ってください!」
咲羅が慌てて振り返った。
「なんで地下牢とか隠し通路とかから聞くんですか!?」
「城ってのはそういうとこが一番面白ぇだろ」
「普通は庭園とかですよ!」
「ミーナは?」
「私も隠し通路!」
「ほらな」
「ほらな、じゃないです!」
ミレイユは思わず口元を押さえた。
肩が小さく震えている。
「……嬢ちゃん?」
ルークが振り返る。
ミレイユは慌てて筆談帳を開いた。
『ふたりとも、楽しそうですね』
「……」
ルークはその文字を見ると、そっぽを向いた。
「まあな」
短く答えた。
「退屈よりはいいだろ」
ミレイユは目を細めて笑った。
「よーし!」
咲羅が再び前を向く。
「じゃあ、まずは庭園へ行きます!さあこちらへ!!」
「庭園!」
ミーナが駆け出す。
「おい、走んな」
「ルークも早く!」
「はいはい」
「ミーナさん!そっちは違います!」
「えっ!?」
「庭園はこっちです!」
「咲羅さん、最初に言ってよー!」
「言いました!」
「言ってない!」
「お前ら、城の案内始まったばっかなのに迷子になってんじゃねぇよ」
ルークが呆れたように言いながら、二人の後を追う。
ミレイユもその後ろをついていく。
「──あっ!」
ミーナが何かを見つけた。
「見て!あれ何!?」
「触るなよ」
「まだ触ってない!」
「これから触る顔してんだよ」
「触らないってば!」
「お前触らなくても壊すからなぁ」
「なんで!?」
「───っ!!」
ミーナの悲鳴が庭園に響いた。
ミレイユはとうとう耐えきれず。
声にならない笑いを漏らすように、口元を押さえた。
ルークがちらりと振り返る。
「……楽しそうじゃねぇか」
ミレイユは目を丸くする。
そして、こくん、と小さく頷いた。
その表情を見て、ルークも僅かに笑った。
──どうやら
こちらはこちらで、長い一日になりそうだった。
◇
一方その頃。
外交交渉を終えたヴィクトルは、ふと窓の外へ目を向けていた。
遠くから聞こえてくる、楽しそうな声。
「──ミーナさん!そこは入っちゃ駄目です!」
「えっ、駄目なの!?」
「専門家が手入れしてるので入れないんです!」
「じゃあルークは!?」
「人を変えても駄目です!国で保護している区域なので、専門家以外、将軍ですら入れないんですよ」
「え!?すごーい!」
「……」
ヴィクトルが目を閉じる。
イリシアも聞こえてきた声に、額へ手を当てた。
「……あの子たち、何をしていますの?」
ジュリアンが遠い目をする。
「考えない方がいいと思う」
「……そうですわね」
そして3人は揃って深いため息を吐いた。
カミツ国での2日目。
外交交渉は、ひとまず無事に終わった。
しかし本当の目的、ミレイユの喉を治すための方法を探す旅は、まだ始まったばかりだった。




