第34話 夏風は、君と歩くために
イリシアたち東方使節団が王都を旅立ってから、1ヶ月。
ルヴァン王国、王都。
ヴァルモンド公爵邸の庭では、青々と茂る木々の葉が夏風に揺れ、遠くからは蝉の鳴き声が静かに響いていた。
窓辺に腰掛けたリリアナ・ヴァルモンドは、紅茶を一口飲み、庭を眺める。
あの日から、1ヶ月。
断罪劇で負った心の傷は、まだ完全には癒えていない。
それでも──
「リリアナ」
兄、アラン・ヴァルモンドが優しく声を掛けた。
「最近、少し笑うようになったね」
リリアナは少し照れたように微笑む。
「……そうでしょうか?」
「うん」
それは紛れもない事実だった。
ラファエル・ドミニクから聞かされた真実。
フィリップ王子は魔族に操られていたこと。
自分へ向けられた罪状は全て捏造だったこと。
その話だけでも救われた。
だが、それ以上に──
幼なじみであるセドリック・リュシアンの存在が大きかった。
彼は何度も公爵邸を訪れた。
「新しい魔法理論について相談したいんだけど」
そんな理由をつけて。
時には手紙を。
時には焼き菓子を。
時には季節の花を。
何も言わず、ただ隣にいてくれた。
その優しさが、少しずつリリアナの凍り付いた心を溶かしていった。
そして今日。
初めてリリアナの方から誘った。
「セドリック様」
庭園の東屋で本を読んでいた青年が顔を上げる。
「うん?」
「こ、今度……一緒に劇を観に行きませんか?」
ページをめくる手が止まった。
「え?」
リリアナは恥ずかしそうに笑う。
「婚約のお話が出る前みたいに…幼なじみとして、また一緒にお出掛けしたいなって……」
数秒。
いや、十数秒。
セドリックは完全に固まった。
(え……?今、リリアナから誘われた……?)
耳まで真っ赤になる。
「よ…喜んで」
少し裏返った声。
それを聞いてリリアナが思わず吹き出した。
「ふふっ」
その笑顔に、セドリックは胸を押さえたくなる。
(危ない、今ので心臓止まりかけた)
軽く咳払いをして気持ちを落ち着かせる。
「その…劇の前に少し買い物でもどうかな?」
「買い物?」
「王都の中心街から一本裏路地へ入った所に、小さな喫茶店が出来たんだ。偶然見つけて入ってみたら、すごく雰囲気が良くて。リリアナならきっと気に入ると思う。」
リリアナの表情が明るくなる。
「ぜひ、ご一緒したいです。」
その一言だけで、セドリックは今日一日幸せだった。
◇
休日の王都。
真っ青な空。
石畳には夏の日差しが降り注ぎ、人々の笑い声が街に溢れている。
露店には色鮮やかな果物が並び、涼しげな飲み物を売る屋台には行列が出来ていた。
二人はゆっくり歩く。
雑貨屋。
本屋。
アクセサリー店。
何気ない会話。
何気ない笑顔。
その時間が何より楽しい。
ふと装飾品店でリリアナが足を止めた。
「……綺麗」
ショーケースの中。
翡翠色に輝くカフスボタン。
その色は──
(セドリック様の瞳みたい)
店員が優しく尋ねる。
「贈り物ですか?」
「えっ!?」
真っ赤になるリリアナ。
「ち、違っ……!」
隣ではセドリックまで赤くなる。
店員は心の中で思う。
(……付き合ってるんじゃないの?)
結局。
リリアナはそのカフスボタンを購入した。
一方その頃。
セドリックも別の店で立ち止まっていた。
青い宝石の髪飾り。
夏空を映した湖のような澄んだ青。
(リリアナの瞳と同じだ)
迷わず手に取った。
◇
買い物を終えた二人が訪れたのは、石造りの小さなカフェだった。
建物の外壁には緑の蔦が絡み、窓は大きく開かれている。
涼しい風が店内を通り抜け、軒先のサンルーフの裾がぱたぱたとはためいていた。
木製のテーブルに運ばれてきたのは、冷たいレモンティーと、季節限定の桃のタルト。
「美味しそう……!」
リリアナが自然と笑う。
「だろ?」
しばらく穏やかな時間が流れた。
やがてリリアナが静かに口を開く。
「……あの日は、本当に怖かったの」
その一言で空気が変わる。
「皆に見られて、婚約破棄されて……何が起きているのか分からなくて……私、本当に全部夢なんじゃないかって……」
俯く。
セドリックは静かにカップを置いた。
「俺は、最初から信じてなかった」
リリアナが顔を上げる。
「え?」
「君がそんな人じゃないって、子どもの頃から知ってる。
君は、誰かを傷付けるくらいなら、自分が傷付く方を選ぶ人だ。」
その言葉だけでリリアナの瞳から涙が一粒零れた。
「あ……」
慌てて拭う。
「ご、ごめんなさい。今日は楽しい日にしたかったのに……」
セドリックは優しく笑う。
「十分楽しいよ、君が笑ってくれてるからね」
その一言でまた顔が赤くなる。
ちょうどその時。
「桃のタルトでございます。」
店員が皿を置いた。
甘い香りが二人の間の少し照れくさい空気を優しく包み込む。
◇
劇場へ向かう途中。
「リリアナ嬢」
セドリックが小さな箱を差し出した。
「これ」
「……え?」
箱を開く。
青い髪飾り。
「君の瞳を見ていたら、これしかないと思ったから…」
リリアナは言葉を失った。
「ありがとうございます…っ!大切にします」
するとリリアナも慌てて鞄をごそごそ探る。
「わ、私も。」
「え?」
翡翠色のカフスボタン。
「その……セドリック様の瞳と同じ色だったので。似合うかなって……」
今度はセドリックが固まる番だった。
(俺の瞳を見て……選んでくれた?)
胸が熱くなる。
「ありがとう、毎日使う」
リリアナが嬉しそうに笑った。
「私も、この髪飾り、大切にします」
二人は顔を見合わせて微笑む。
劇場へ続く石畳を、肩を並べて歩いていく。
その様子を少し離れた場所から見ていた令嬢二人は、思わず顔を見合わせた。
「ねぇ」
「ええ」
「どう見ても恋人同士ですわよね?」
「間違いありませんわ」
「でも、まだお付き合いはされていないそうですの」
「……」
「……」
そして、二人は同時に肩を落とした。
「「もうお付き合いなさいませ!!」」
もちろん、その声は本人たちには届かない。
夏風が二人の髪を優しく揺らす。
幼い頃から変わらない距離。
けれど、互いを見つめる眼差しは、あの頃よりずっと優しかった。
あとほんの少し。
その一歩を踏み出せば、幼なじみという名前は、きっと別のものへと変わるのだろう。
だが今はまだ。
そのもどかしい距離さえ、夏風はどこか楽しむように、二人の背中をそっと押していた。
くっつきそうでくっつかないもどかしい2人〜!
これにて第3部終了です!お付き合い頂きありがとうございます!
そして明日からは第4部!!
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次回の投稿は明日の7時頃を予定しております!
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