第31話 託された未来
夜明け。
東の空から差し込む朝日が、静かな入江を淡く照らしていた。
波は穏やかだった。
だが、その浜辺には穏やかとは程遠い光景が広がっている。
そこに広がる光景を見て、誰もが立ち尽くした。
倒れたグール、片腕を失った街代表、その周囲に横たわる5人の仲間たち。
そして彼らの前には──6人の若者、2人の鯨族、救い出された人魚たち。
静寂の中。
一人の老人が震えながら前へ出た。
「どうして……」
掠れた声。
「どうして……こんなことに……」
誰も答えない。
住民たちが呆然と立ち尽くす中、ヴィクトルが一歩前へ出る。
その場の全員を静かに見渡し、穏やかな口調で語り始める。
「まず初めに、名乗らせていただきます」
静寂。
「私はルヴァン王国第一王子、ヴィクトル・フォン・ルーヴェンです」
ざわり、と住民たちがざわめく。
「お、王子……?」
「ルヴァン王国の……?」
ヴィクトルは小さく頷く。
「私たちは東方の国、カミツ国へ向かう旅の途中でした。その道中、この港町カント・マリスへ立ち寄る予定だったのです」
住民たちは静かに耳を傾ける。
「ですが、この街へ到着する前、私たちは異変に気付きました。調査を進めた結果、この街は既に魔族によって支配されていたのです」
その一言で空気が変わる。
「街の中央広場にある、人魚と少女が手を取り合う像。あの少女像の瞳には、強力な催眠魔法を放つ魔石が埋め込まれていました」
住民たちは言葉を失う。
「その魔石は長期間に渡り、街全体へ催眠をかけ続けていました。皆さんは知らず知らずのうちに精神を侵され、人魚族を襲うよう操られていたのです」
誰かが膝をつく。
「そんな……」
イリシアが続く。
「ですが、その催眠の核となっていた魔石は、わたくしたちの仲間である彼女が聖なる力によって完全に浄化してくださいました」
全員がミレイユを見る。
ミレイユは恥ずかしそうに頭を下げる。
ヴィクトルはさらに続ける。
「しかし、魔石だけではありません。街代表の方、そして代表を支えていた5名の身体は、憑依型魔族によって乗っ取られていました」
ざわめき。
「代表へ憑依していた魔族は5級。残る5人には7級魔族が憑依し、この街を内側から操っていたのです」
ルークが静かに付け加える。
「俺たちはその魔族を討った。だが、人間の身体だけは残った」
ヴィクトルは静かに目を伏せる。
「皆さんが覚えていることは夢ではありません。ですが、それは皆さん自身の意思ではありませんでした」
ヴィクトルの説明が終わる。
しばらく沈黙。
やがて一人の老人が震えながら口を開く。
「ま…待ってくれ……そんな話を、急に信じろと言われても……」
別の男も顔を上げる。
「魔族?催眠?そんなもの、本当に存在するのか……?俺たちはそんな都合のいい話で……」
誰も続きを言えない。
そこへオーリンがゆっくり一歩前へ出る。
「存在する」
低く響く声。
住民たちが一斉に振り返る。
「オーリン殿……」
長年交易を続けてきた鯨族の族長。
幼い頃から知っている存在。
そのオーリンが、真っ直ぐ住民たちを見つめている。
「俺たち鯨族は何百年も海を見てきた。魔族とも戦うことも度々あった、これは嘘でも伝説でもない」
さらにサイラスも続く。
「俺たちはお前たちを責めに来たんじゃない、真実を伝えに来た」
住民たちは言葉を失う。
その時だった後方から弱々しい声。
「……オーリン様……」
住民たちが振り返る。
そこには救出された人魚たち。
傷だらけの身体。
包帯。
痩せ細った腕。
そして涙を流している。
その姿だけで、誰もが息を呑む。
一人の少女の人魚が母親の後ろへ隠れる。
「あ……」
男が震え始める。
「あの人魚……俺…捕まえた……」
頭の中へ蘇る。
網を投げた。
縄で縛った。
悲鳴。
泣き叫ぶ子ども。
殴った。
引きずった。
地下へ運んだ。
「う……」
男は胃の中のものを吐き出しそうになった。
その隣でも、膝をつく者、泣き崩れる者、頭を抱える者、さらに倉庫へ入った住民たちが戻ってくる。
全員が顔面蒼白だった。
「……地下に、まだ……」
震える声。
「あった……」
誰も返事をしない。
「あそこに……」
涙を流しながら叫ぶ。
「人魚たちの遺体が……」
空気が凍る。
「だ、誰だか分からない状態で…」
その瞬間、住民全員が理解する。
これは夢じゃない。
魔族はいた、自分たちは操られていた。
そして自分たちの手で、多くの命を奪ってしまった。
オーリンは静かに口を開く。
「……お前たちが魔族に操られていたことは理解している」
住民たちが顔を上げる。
「だから、ここで謝罪を求めるつもりはない」
その一言に、何人もの瞳から涙が溢れた。
しかしオーリンは厳しい眼差しを崩さない。
「だが」
その低い声が静かに響く。
「失われた命は戻らない」
誰一人として反論できなかった。
「この件については、我ら深海都市マグメルの統治者──セリュミア様へ全て報告する」
住民たちの背筋が伸びる。
「最終的な判断は、我らではなく、セリュミア様が下される」
少しだけ視線を伏せる。
「……だが、おおよその結果は予想できる」
朝日がオーリンの横顔を照らした。
「当分の間、人魚族がこの街へ出入りすることはなくなるだろう」
静かな言葉だった。
それでも、その重みは誰の胸にも深く突き刺さる。
交易。
交流。
長年築き上げた信頼、その全てが失われた。
一人の女性が嗚咽を漏らす。
「……当然です」
涙が止まらない。
オーリンは小さく頷いた。
「俺は連絡役として、この街へ来ることになるだろう。だが、それ以外の人魚族がこの港へ戻ることは、しばらくないと思ってほしい」
住民たちは静かに頭を下げた。
その時イリシアが一歩前へ出る。
「街の皆様」
透き通る声が浜辺へ響く。
「今回の事件について、一つだけ、お伝えしなければならないことがあります」
ヴィクトルも隣へ並び、静かに頷いた。
「街代表の方々についてです」
住民たちの視線が、片腕を失って横たわる代表へ向けられる。
イリシアはゆっくりと続けた。
「代表の方々は、最後まで魔族に抗っておられました」
誰かが息を呑む。
「身体を奪われながらも、最後まで抵抗を続け、人魚族を守ろうとなさっていました」
ルークも静かに口を開く。
「その抵抗があったからこそ、俺たちは人魚たちを救い出すことができた」
ジュリアンも腕を組んだまま頷く。
「命懸けだったんだ」
住民たちは代表の亡骸を見つめる。
涙が零れ落ちた。
「代表……」
「最後まで……」
嗚咽が広がる。
その様子を、オーリンは静かに見つめていた。
サイラスもまた何も言わない。
互いに一度だけ視線を交わし、小さく頷く。
それ以上、言葉は不要だった。
やがてヴィクトルが静かに呟く。
「……真実は、僕たちだけが背負えばいい」
その言葉にイリシアは穏やかに微笑む。
「ええ、それで救われる命があるのなら、尚更ですわ」
朝日が昇る。
長い夜は終わった。
だが、この街に残された傷が癒えるには、きっと長い時間が必要なのだろう。
それでも──
彼らは、未来へ歩き出さなければならないのだから。
住民達は絶望ですね
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