第28話 反撃の狼煙
「……面倒だ」
5級魔族は小さく舌打ちした。
目の前にはヴィクトルとジュリアン。
二人の連携は予想以上だった。
一撃一撃は届かなくとも、その剣筋は確実に自分を追い詰め始めている。
このまま長引けば、不利になる。
(ならば──)
魔族の姿が陽炎のように揺らいだ。
「消えた!」
ルークが叫ぶ。
その声が響いた瞬間、魔族はすでにイリシアの背後へ回り込んでいた。
「お嬢様!」
真っ先に飛び出したのはミーナだった。
ほとんど反射だった。
主を守る、その一心だけで地を蹴る。
ルークも同時に駆け出す。
しかし──
「邪魔だ」
5級魔族が無造作に片手を払う。
轟ッ!!
凄まじい衝撃波が二人を襲った。
「ぐっ……!」
「きゃあっ!」
身体がまるで紙切れのように吹き飛ばされ、何度も地面を転がる。
砂煙が舞う。
その一瞬の隙、魔族は見逃さなかった。
「捕まえた」
黒い腕が一直線に伸びる。
イリシアは反射的に魔法陣を展開した。
幾重にも重なる防御障壁。
しかし。
パキン。
一枚。
パキン。
また一枚。
硝子が砕け散るような音が連続する。
「っ……!」
最後の障壁が砕け散った。
そのまま、魔族の手がイリシアの細い首を掴む。
ぐっ──。
片腕だけで、軽々と身体が宙へ持ち上げられた。
「かはっ……!」
息が詰まる。
足が虚しく空を掻く。
苦しげに眉を寄せても、その拘束はびくともしない。
「イリシア!!」
ヴィクトルが叫び、剣を握ったまま駆け出そうとする。
だが、その前へ7級魔族が3体、壁のように立ちはだかった。
「通すな」
オーリンも槍を構え、一歩前へ出る。
「どけぇぇぇ!!」
怒涛の水流が轟音とともに放たれた。
だが7級魔族は身体を捻り、水流を受け流す。
「邪魔をするなァ!」
サイラスも槍を振るう。
槍と槍が激突し、水しぶきが弾け飛ぶ。
誰も、誰一人として前へ進めない。
その光景を見下ろしながら。
5級魔族はゆっくりと口角を吊り上げた。
白と黒が反転した異形の瞳が、ヴィクトルだけを映す。
「近付いてみろ」
イリシアの首を掴む手に、さらに力が込められる。
ミシッ──。
「ぁ……っ……」
喉から苦しげな声が漏れた。
「この女の首など、少し力を込めれば簡単に折れるぞ?」
ギリッ。
ヴィクトルは奥歯を強く噛み締めた。
黄金の瞳に怒りが燃える。
それでも動けない。
一歩踏み出せばイリシアが死ぬ。
「そうだ」
魔族は愉快そうに笑う。
「その顔だ、守りたい者がいる人間の顔は実に愉快だ」
さらに首を締め上げようとした──
その瞬間だった。
イリシアがふっと微笑んだ。
「……何?」
魔族の眉がわずかに動く。
呼吸もままならないはずの少女。
けれど、その碧い瞳だけは、すべてを見通していたかのように穏やかだった。
そして、静かにたった一言だけを告げる。
「──解」
魔族が眉をひそめる。
「……あ?」
その直後、背後から轟音が響いた。
「ギシャァァァァァァッ!!」
岩を砕きながら飛び掛かってきたのは巨大蜘蛛──アルガスティ。さらに
「ヒヒィィィィィン!!」
ホマムが高らかに嘶き、前脚を大きく振り上げる。
5級魔族は咄嗟に後方へ跳躍した。
イリシアの首を掴んだまま使い魔達を吹き飛ばす。
「使い魔か」
鼻で笑おうとした、その時だった。
魔族の視界がぐにゃりと歪む。
「……っ!?」
視界が揺れる、焦点が合わない。
いつの間にかミーナの影から、小さな白銀の狐、アンサーが姿を現していた。
愛らしい姿とは裏腹に、赤い瞳には燃えるような怒りが宿っている。
アンサーは静かに尾を揺らした。
幻惑魔法。
魔族の意識を一瞬だけ奪う。
その刹那、低い声が響いた。
「そこだ」
魔族の真下。
ルークの影が大きく波打つ。
影は裂け漆黒の巨体が姿を現した。
巨大な黒獅子、黄金の瞳を持つ、獣王レグルス。
「ガアァァァァァァッ!!」
咆哮とともに一直線に跳躍する。
魔族が気付いた時には、もう遅かった。
鋭い牙が右腕へ深々と食い込む。
「がっ──!」
ぶちっ。
肉が裂け、骨が砕ける。
次の瞬間には右腕そのものが噛み千切られ、鈍い音を立てて地面へ転がった。
黒い血が激しく飛び散る。
「貴様ァァァァァ!!」
級魔族の絶叫が街へ響き渡った。
それと同時に、氷の結界の内側では。
ミレイユが黒い核を抱くように、両手を重ねていた。
輝きはもう弱々しい。
魔力も限界に近い。
それでも少女は祈ることをやめなかった。
人魚たちがそっと背中へ手を添える。
「お願いします」
「聖女様……」
「どうか」
「終わらせてください」
優しい魔力が重なっていく。
金色。
深い青。
柔らかな緑。
真珠のような淡い光。
幾つもの願いが一つになり。
ミレイユを優しく包み込む。
少女は静かに目を閉じた。
(みんなを、助けたい…それだけ)
次の瞬間。
天を貫くほどの黄金の光柱が立ち昇った。
──浄化
その声は歌えなくなった少女の祈り。
その歌は誰かの役に立ちたいと願った少女の思い。
世界は、その願いに応えた。
パキッ。
黒い宝石へ一本の亀裂が走る。
パキパキパキッ──!!
無数の亀裂が一気に全体へ広がった。
5級魔族が振り返る。
「まさか……!」
パリンッ──!
その声と同時に黒い核は、眩い光の中で粉々に砕け散った。
眩い光が街全体を包み込む。
禍々しい瘴気は音もなく霧散し。
眠り続けていた住人たちの身体から、黒い靄が静かに抜け落ちていく。
催眠は完全に解除された。
5級魔族の顔から初めて余裕が消える。
「……馬鹿な」
ヴィクトルは静かに剣を構え直した。
その黄金の瞳には、揺るぎない勝利への確信が宿っている。
そして、小さく笑う。
「──形勢逆転だ 」
その一言を合図にジュリアンが剣を構える。
ルークが立ち上がる。
ミーナが魔力を練り上げる。
オーリンとサイラスが槍を握り直す。
誰一人、もう恐れてはいなかった。
そしてイリシアもまた、首元をそっと押さえながら静かに立ち上がる。
乱れた銀髪を風が揺らした。
その碧い瞳にはもう恐怖はない。
ただ、揺るぎない決意だけが宿っていた。
イリシアは仲間たちを見渡し、静かに微笑む。
「皆様」
その声は穏やかでありながら、誰よりも力強かった。
「──反撃開始です」
その宣言は、絶望を打ち砕く狼煙となって戦場へ響き渡った。
遂に反撃開始!
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