第23話 動き出す闇
入江。
静かな波音だけが響いていた。
蜘蛛型使い魔のアルガスティが掘り上げた避難壕には海水が満たされ、救出された人魚たちが横たわっている。
その中央で、ミレイユは膝をついていた。
両手を胸の前で組み、静かに祈る。
淡い金色の光が彼女の身体から広がっていく。
まるで朝日のような、柔らかな光。
傷だらけだった人魚たちの身体から黒ずんだ瘴気がゆっくりと消えていく。
裂けた皮膚。
折れた尾びれ。
抉られた鱗。
それらが少しずつ癒えていく。
「あ……」
一人の人魚が驚いたように腕を見る。
傷口が塞がっている。
「痛く……ない……」
その声に周囲も次々と自分の身体を見始める。
「本当に、傷が癒えてる……」
サイラスは息を呑んだ。
「聖女……」
オーリンも静かに頷く。
「美しい力だ」
イリシアは結界を維持しながら、その光景を見つめていた。
(やはり……)
前世のゲーム。
本来、聖女ミレイユは”歌”によって癒しと浄化を行っていた。
だが今、彼女は喉を奪われたので歌えない。
それでも祈りだけで同等以上の奇跡を起こしている。
(歌ではなく……祈りだけでここまで力が増幅されるなんて)
イリシアは小さく息を呑む。
(ゲーム以上ですわ……)
しかし10分ほど治療を続けた頃だった。
ミレイユの身体がぐらりと揺れた。
「!」
サイラスが慌てて支える。
「大丈夫か!」
ミレイユは笑顔を作る。
大丈夫。
そう伝えるように頷く。
けれど顔色は真っ白だった。
額には汗。
呼吸も浅い。
魔力切れが近い。
それでも彼女は再び人魚へ手を伸ばす。
(まだ……助けられる。まだ……)
その時だった。
一人の年配の人魚が静かにミレイユの手を包んだ。
優しく。
温かく。
そして首を横へ振る。
「もう……十分です」
ミレイユは驚いて顔を上げる。
「あなたはもう限界でしょう?これ以上、あなた一人に負担を背負わせる訳にはいきません」
ミレイユは必死に首を振る。
違う。
まだできる。
まだ助けたい。
そう訴える。
人魚は穏やかに微笑んだ。
「ありがとう……本当にありがとう。ここまで運んでいただけただけでも、私たちは救われました。ここから先は……」
人魚は静かに海を見つめる。
「海底都市マグメルへ戻れば、仲間たちが治療してくれます。だから、休んでください」
ミレイユの瞳に涙が溜まる。
助けたい。
もっと、もっと。
その想いだけが溢れていた。
その時、イリシアの肩に一羽の白い小鳥が舞い降りた。
「……戻りましたのね」
小鳥は小さく鳴く。
すぐにイリシアの頭へ情報が流れ込む。
『ヴィクトル様からの通信です』
イリシアの表情が僅かに和らぐ。
「皆様」
その声に全員が振り向く。
「ヴィクトル殿下から連絡ですわ。催眠の核の確保に成功したそうです」
ルークも無事。
その言葉に全員の表情が明るくなる。
「よかった……」
ミーナが胸を撫で下ろす。
イリシアは使い魔へ静かに命じた。
「こちらの場所を伝えてくださいませ。入江で合流いたしましょう」
小鳥は再び羽ばたく。
水平線が少しだけ白み始めた空を一直線に飛んでいく。
イリシアはその姿を見送りながら、小さく息を吐いた。
「これで……ようやく全員が合流できますわ」
オーリンも頷く。
「ここからが本番だ」
だが誰もまだ知らない。
倉庫の地下。
さらに奥深く。
人魚たちの亡骸が眠る保管庫で──
結界によって眠らされていた”それ”が、少しずつ目を覚まし始めていることを。
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