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この捻れた世界にて、〜悪役令嬢は愛する者のために戦う〜  作者: 3色あんこ
第3部 泡沫の鎮魂歌

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第21話 聖女の祈り



夜の入江。

静かな波音だけが響いていた。


巨大な蜘蛛の使い魔、アルガスティが掘り進めた地下道は、倉庫の地下牢へと真っ直ぐ繋がっていた。

そのおかげで、人目に付くことなく次々と人魚族が運び出されていく。


「ゆっくりだ」

「無理をするな」


オーリンが衰弱した青年を背負い、慎重に歩く。

その後ろではサイラスが少女の人魚を抱き上げていた。

ジュリアンも力仕事を引き受け、一人、また一人と避難場所へ運んでいく。

地下道を辿ってイリシアの元へ戻ったミーナは、短剣を握ったまま周囲を警戒していた。


「……異常なしです」


その報告を受けながらも、イリシアは巨大な結界を維持し続けている。

馬の使い魔、ホマムの上に座り、静かに瞳を閉じたまま魔力を巡らせていた。

額には薄く汗が浮かんでいる。

街全体を覆う眠りの大結界。

その維持だけでも膨大な魔力制御を必要としていた。

やがて最後の一人が地下道を抜けた。


「全員運び出しました!」


ミーナの声が響く。

その瞬間、一人の人魚が瞼を震わせた。

結界の外へ出たことで、眠りの魔法から解放されたのだ。


「……」


ゆっくりと目を開ける。

ぼやけた視界。

見慣れぬ夜空。

潮の香り。

そして目の前に立つ紺色の長い髪の男。


「……オー、リン……様……?」


震える声だった。

その呼び掛けに、オーリンはすぐ膝をつく。


「もう大丈夫だ」


その一言だけだった。

しかし人魚は大粒の涙を零した。


「助けに……来てくださったんですね……」


声が震える。

涙が止まらない。

オーリンは優しく微笑んだ。


「当たり前だ、君たちは家族なんだから」


その言葉を聞いた周囲の人魚たちも、次々と目を覚まし始める。


「あ……」

「族長様」

「サイラス様も……」


誰かが泣き始めた。

その涙につられるように、あちこちからすすり泣きが広がっていく。


助かった。

帰れる。

もう終わる。

そんな安堵が、張り詰めていた心を一気に解き放ったのだ。

その光景を見たサイラスは、思わず片手で顔を覆った。

肩が震える。


「……よかった」


掠れた声。


「本当に……よかった……」


その目からも、一筋の涙が零れ落ちた。

イリシアは静かにその様子を見守る。


(間に合いましたわ……)


胸を撫で下ろした、その時だった。


「……!」


ミレイユが小さく息を呑む。

彼女の視線の先には、身体中に傷を負った人魚たちがいた。

鱗は剥がれ落ち、尾びれは裂け、腕には縄の跡。

痩せ細り、今にも息絶えそうな者までいる。

ミレイユは胸が締め付けられる思いだった。


(少しでも、助けたい)


そう思い、一歩踏み出す。


しかし──


びくっ。


目が合った瞬間、人魚たちが身体を震わせた。

後ずさろうとする。


怯えた目。

恐怖。


「……」


ミレイユは立ち止まった。


(怖がらせてしまった……)


当然だった。

ここ数日、人間から酷い仕打ちを受け続けてきたのだ。

人間が近付くだけで恐ろしくなる。

その気持ちはミレイユにも痛いほど伝わった。


ミレイユは悲しそうに微笑む。

そしてそっと首元へ手を伸ばした。

服の襟を少しだけ下げる。

隠していた首元が露わになる。


そこには何度も刃物で切られた痛々しい傷跡。

声帯を潰された痕。

もう二度と声を取り戻せない傷。


人魚たちは息を呑んだ。

ミレイユは何も話せない。

だからこそ静かに胸へ手を当てる。

そして小さく微笑んだ。


“わたしも同じです。”


その言葉を伝えるように。

その想いだけが伝わる。

人魚たちは息を呑む。

少女が震える手で、ミレイユの首へ触れた。

傷跡を見つめ、涙を浮かべる。

ミレイユは微笑み、首を横に振る。


“大丈夫”


そう伝えるように。

薬草や包帯を取り出して傷の手当てを始めた。

その優しい手付きは、驚くほど慣れていた。

誰一人乱暴に触れない。

まるで壊れ物を扱うように。


その姿を見ていた他の人魚たちも、少しずつ警戒を解いていく。

やがて小さな泣き声が聞こえた。


「おかあ……さん…。」


幼い人魚の少年だった。

まだ十歳にも満たない。

母親の姿が見えない。


少年は泣きじゃくりながら辺りを見回していた。

その姿にミレイユは胸を締め付けられる。

ゆっくりと近付く、少年は少しだけ怯えた。

だがミレイユは何も言わない。

ただそっと抱き締めた。

その瞬間だった。


ふわり…


柔らかな金色の光が二人を包み込む。

風が止み、波が静まる。

夜空の星まで輝きを増したようだった。


「これは……」


ジュリアンが目を見開く。

周囲の人魚たちの傷が、少しずつ癒えていく。


裂けた鱗

切り傷

火傷

どれもゆっくりと塞がっていく。

身体から黒い靄が溶けるように消えていった。


「浄化……?」


すると、隣でその光景を見つめていたミーナが、小さく息を吐いた。


「……なるほど」


誰に聞かせるでもなく、静かに呟く。


「これほどまでに清浄な魔力……バルタザールがミレイユさんを幽閉し、自分の手元へ置こうとしたのも頷けますね……」


その声音には怒りとも呆れともつかない感情が滲んでいた。


「こんな奇跡を、人々を救うためではなく、権力のためだけに利用しようとしたんでしょうね……」


イリシアはその言葉に静かに目を伏せた。


(歌では……ないですわ)


本来、ゲームでの聖女ミレイユは歌によって奇跡を起こしていた。

歌声こそが聖女の力の媒体。

そう設定されていたはず。


だが今現在、彼女は声を失っている。

それなのに祈るだけで、抱き締めるだけで。

これほどの浄化を起こしている。


(まさか……)


イリシアは静かに息を呑む。


(過酷な日々を生き抜いたことで、本来以上の力へと……昇華している……?)


金色の光は夜の浜辺を優しく照らし続ける。

泣いていた少年は、安心したようにミレイユへぎゅっと抱きついた。

ミレイユも微笑み返し、もう一度だけ優しく抱き締める。

その光景を見つめながら、オーリンは静かに頭を垂れた。


「……ありがとう」


その一言には、人魚族すべての感謝が込められていた。

イリシアは結界を維持したまま、静かに微笑む。


(過酷な日々。傷付けられ、声を失い、絶望していた。それでも誰かを救いたいと願い続けた……だからでしょうか、神は彼女から歌を奪った代わりに。祈りそのものを奇跡へ変える力を授けた……この方は、間違いなくこの世界の──真の聖女ですわ)

読んで頂きありがとうございます!

次回の投稿は20時頃を予定しております!


本作品はカクヨム、アルファポリスにて同時投稿をしております。

気が向いたらいいね、ブクマ、よろしくお願いいたします。

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