第17話 王家に伝わる魔法
夜のカント・マリス。
街は、不気味なほど静まり返っていた。
先ほどまで聞こえていた波の音さえ遠く感じるほどの静寂。
眠りの大結界の効果は確かだった。
家々の窓辺では住人が椅子に腰掛けたまま眠りにつき、露店の店主は帳簿を開いたまま机へ伏せている。
通りに繋がれた馬も静かに寝息を立てていた。
「……本当に全員眠ってるな」
ルークが辺りを見渡し、小さく呟く。
「イリシアの魔法は成功したみたい。」
隣を歩くヴィクトルも静かに頷いた。
しかし、その表情は油断とは程遠い。
「ここからが本番だ」
二人は人気のない路地へ入り、まず一人の男性へ近付く。
漁師と思われる中年の男。
壁にもたれかかったまま、深い眠りについていた。
ヴィクトルはその前へ静かに膝をつく。
「少し失礼します」
右手を胸元へ。
左手を男の額へそっと添えた。
淡い金色の光が掌から溢れる。
ルークが興味深そうに覗き込む。
「それが王家の魔法か?」
「ああ」
ヴィクトルは頷く。
「王家には代々伝わる精神系統の補助魔法がある。本来は、精神汚染や洗脳、魅了を見抜くための魔法だ。戦う魔法じゃなく守るための魔法」
光は静かに男の身体を包み込む。
やがてヴィクトルが小さく眉を寄せた。
「……やはり」
「何かあるのか?」
「催眠だ」
その一言にルークの表情も険しくなる。
「住人全員に?」
「確認してみよう」
◇
二人は街を歩き続けた。
老人
子供
女性
酒場の店主
市場の商人
港の漁師
誰を調べても結果は同じだった。
「全員、催眠状態だ」
ヴィクトルは静かに息を吐いた。
「これほど広範囲へ同時に催眠をかけるなんて……」
「普通じゃねぇな」
ルークも腕を組む。
「人間業じゃない」
ヴィクトルは再び魔法を展開する。
「なら、誰がかけたかを探そう」
今度は魔法陣が少しだけ形を変えた。
金色の光が住人の胸元から細い一本の線となって浮かび上がる。
「……見えた」
ルークは目を細めた。
「何が見える?」
「催眠の魔力だ」
一本の細い光。
蜘蛛の糸ほど細い。
その糸は空中をゆっくりと伸びていた。
「辿れるか?」
「ああ」
ヴィクトルは立ち上がる。
「行こう」
◇
住人一人ひとりから伸びる光。
それらはまるで川へ流れ込む支流のように、一つの方向へ集まっていた。
街の中心部。
中央広場。
「やっぱりここか」
ルークが低く呟く。
そこには街の象徴。
人魚族の少女と、人間の少女。
互いに手を取り合い、微笑み合う像が月明かりに照らされていた。
本来ならば、友好の象徴。
種族を超えた絆を讃える像。
しかし。
「……」
ヴィクトルは足を止める。
光の糸は。
全て像へ集まっていた。
「ここが核だ」
ルークも像を見上げる。
「どこだ?」
ヴィクトルはゆっくり像へ近付いた。
金色の魔法陣が静かに回転する。
視界の奥で魔力だけを見る。
すると。
「……あった、右目だ」
人間の少女像。
その右目だけ。
不自然に鈍く黒く輝いている。
「宝石……?」
ルークが目を凝らす。
埋め込まれているのは、宝石ほどの大きさしかない黒い鉱石。
しかし近付けば近付くほど。
どろり、と。
黒い霧のような瘴気が滲み出していた。
「気味悪ぃな」
ルークが思わず顔をしかめる。
ヴィクトルも険しい表情になる。
「あれが……街中へ催眠を流している」
二人は同時に見上げる。
住人たちから伸びた無数の糸。
その全てが少女の瞳へ吸い込まれていた。
ルークが呟く。
「まるで……蜘蛛の巣だ」
ヴィクトルも頷く。
「ああ、街全体が操り人形にされているからな、数は多いだろ」
静かな怒りが込み上げる。
人々は自分の意思で生きていたのではない。
誰かの意思で。
この街そのものが操られていたのだ。
ルークが腰の剣へ手を掛けた。
「壊すか?」
ヴィクトルは静かに首を横へ振る。
「いやまだだ。もしこれが核なら、破壊した瞬間に術者へ気付かれる可能性がある。それに……」
ヴィクトルは像の周囲へ視線を巡らせた。
「これほど精巧な催眠術式だ。簡単に壊せそうにないだろ、まずは周囲を調べる必要がある」
ルークも納得したように頷く。
「了解」
その時だった。
ひゅるり──
夜風が像の周囲を吹き抜ける。
少女像の右目。
黒い宝石が、まるで二人を見つめるかのように妖しく鈍い光を放った。
その瘴気は静かに街へ溶け込み、眠りについた人々へ、今なお見えない糸を伸ばし続けていた。
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