第15話 夕焼けに誓う
作戦会議を終えた一行は、今夜決行される潜入作戦に備え、一度身体を休めることにした。
「夜までには雨も完全に上がるでしょう」
イリシアの言葉に、ヴィクトルも静かに頷く。
「焦る必要はない。全員、万全の状態で向かおう」
ルークが立ち上がる。
「賛成だ。寝不足で魔族相手なんざ御免だからな」
「じゃあ、夕方にまた応接間へ集合ですね!」
ミーナも元気よく返事をする。
オーリンとサイラスも頷いた。
「ならば俺たちは1度海に戻る。」
ミレイユも筆談用紙へ大きく丸を書いて見せると、小さく笑った。
それぞれが頷き合い、一旦部屋へ戻っていった。
◇
ホテル最上階、応接間。
静かな部屋には誰もいない。
窓の外では、長く降り続いた雨がようやく止み始めていた。
厚かった雲は少しずつ裂け、西の空から夕陽が顔を覗かせている。
雨上がり特有の湿った空気。
濡れた石畳。
遠くで聞こえる波の音。
イリシアは窓辺へ歩み寄ると、そのまま静かにバルコニーへ出た。
ひんやりとした風が、銀色の髪を優しく揺らす。
「……」
東の空を見る。
その先にあるのは、カント・マリス。
助けを待つ人魚族。
そして、未だ姿を現さない魔族。
静かに息を吸う。
指先を軽く鳴らした。
ぱちん。
影がゆらりと揺れる。
次の瞬間。
小さな黒い小鳥が影から飛び出し、イリシアの肩へちょこんと降り立った。
つぶらな赤い瞳で主人を見上げる。
イリシアは優しく微笑んだ。
「行ってくださいますか?」
小鳥は小さく鳴く。
「お願いします」
その一言だけ告げると、小鳥は羽を広げ、真っ直ぐ東の空へ飛び立っていった。
一直線に、迷うことなくカント・マリスを目指して。
「……あの街へ先に飛ばすのかい?」
後ろから穏やかな声が聞こえた。
イリシアは振り返らないまま小さく頷いた。
「念のためですわ。オーリン様を救出する際に、ルークが姿を見せてしまったようなので……もし敵が警戒していたらと思いまして」
ヴィクトルは隣へ並ぶ。
「慎重なのは君らしい」
そう言ってそっとイリシアの肩へ手を添えた。
イリシアは驚くことなく、その手へ自分の手を重ねる。
二人並んで、小さくなっていく小鳥を見送った。
「申し訳ございません。杞憂で終わればいいと思ったものですから……」
ヴィクトルは静かに笑う。
「リーシャ、君が僕を身を呈して守ろうとする覚悟は、幼い頃から知っている」
イリシアの肩が小さく震えた。
「毒を盛られたあの日も、あの後も……君は何度だって、自分より僕を優先してきた」
ヴィクトルがイリシアを見つめる。
「助けられたあの日から、僕はずっと君を大切に思っている」
夕風が静かに吹き抜ける。
「だからこそ、僕も君が考えていることを知りたい。悩んでいるなら一緒に悩みたい。
……僕では役不足かもしれないけど」
イリシアは慌てて首を振った。
「そんなこと!わたくしはただ……殿下のお手を煩わせたくない一心で……」
ヴィクトルは優しく頷く。
「うん知ってる。だから、一緒に悩んで、隣同士で前を向きたいんだ」
イリシアは静かに目を伏せた。
胸の奥が温かくなる。
「……ヴィル」
思わず零れたその呼び名。
ヴィクトルは少し目を丸くしてから、嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ、そう呼ばれると嬉しいな」
「ひ、人前でリーシャと呼ぶのは今後なしですわ!」
イリシアは慌てて言い返す。
「えー」
ヴィクトルは少しだけ残念そうな声を出した。
「ダメ?」
「だ、駄目です!他の方が真似したら困りますもの!この字名を呼ぶのは殿下だけです!」
言い切った瞬間。
イリシアは自分が何を口走ったのか気付いた。
「……!!!」
夕陽よりも赤い。
頬だけではない。
耳まで。
首筋まで。
真っ赤だった。
ヴィクトルはその姿を見つめる。
鼓動が一つ、大きく跳ねた。
(……反則だ)
思わず視線を逸らす。
口元を手で覆い、夕焼けへ顔を向けた。
「……君は」
小さく息を吐く。
「ずるいな」
「何を言って……」
不思議そうにイリシアが顔を上げる。
その瞬間だった。
夕陽を見つめるヴィクトルの横顔。
耳がほんのり赤く染まっている。
(え……)
イリシアは目を瞬かせた。
(照れて……いらっしゃる?)
幼い頃からずっと一緒にいた。
何度も困らされ、何度も言い負かされてきた。
けれど、こんなヴィクトルを見るのは初めてだった。
「……ヴィル」
恐る恐るもう一度呼ぶ。
ヴィクトルは吹き出した。
「やっぱりその呼び方が好きだ」
「もう……」
イリシアは再び顔を赤くする。
「だから、人前では禁止です」
「二人きりだからいいだろう?」
「そ、それは……」
返事に詰まる。
そんな彼女を見て、ヴィクトルは穏やかに笑った。
「リーシャ、君は昔から変わらない。誰かを守ろうとすると、自分を後回しにしてしまう。それだけは、本当に心配なんだ」
イリシアは静かに俯く。
「……分かっています。ですが、それがわたくしですもの。王家をお守りするために生まれ、ヴァルモンド家の娘として育ちました。ですから、殿下をお守りすることだけは、譲れません」
ヴィクトルは首を横へ振る。
「それでも、君一人に背負わせるつもりはない」
そっと彼女の隣へ並ぶ。
肩と肩が触れ合うほど近くで、同じ夕焼けを見つめる。
「君が前を向くなら、僕も隣で前を見る。
君が立ち止まるなら、一緒に立ち止まる。
君が悩むなら、一緒に悩む。
それが、僕の選んだ道だから」
イリシアは静かに目を閉じた。
ゲームでのイリシアのままだったら、誰かと肩を並べる未来など考えられなかった。
全部一人で背負えばいい。
全部一人で解決すればいい。
そう思っていた。
けれど今は違う。
隣には、同じ未来を歩こうとしてくれる人がいる。
「……ありがとうございます」
小さく呟く。
ヴィクトルは何も言わず、肩へ置いた手へ少しだけ力を込めた。
イリシアも自然とその手へ自分の手を重ねる。
二人は言葉を交わさないまま東の空へ飛び去っていく小鳥を見送った。
雨はすっかり上がっていた。
西の空には黄金色の夕焼け。
東の空には、ゆっくりと夜の帳が降り始めている。
やがて訪れる夜。
それは、人魚たちを救うための戦いの始まり。
そして──
二人が互いの想いを胸に、新たな一歩を踏み出す夜でもあった。
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