第13話 それぞれの矜恃
応接室。
「ならば、僕が潜入しよう。王家の得意魔法ならば……」
「なりませんわ」
食い気味に返された一言に、室内の空気がぴたりと止まる。
ヴィクトルはわずかに目を丸くした。
「イリシア?」
彼女はまっすぐ彼を見据える。
「ご自分のお立場をお忘れになってはいけません」
その声音は穏やかでありながら、一歩も譲る気配はない。
「殿下は王族です。我が国で最も守られるべきお方。もし、旅の途中で殿下に万が一のことがあれば、その責を問われるのは我々配下の者たちと護衛ですわ」
彼女は胸へ手を当てた。
「わたくしは三大公爵家──ヴァルモンド公爵家の人間。守るべきものは、自分の命ではなく王家です」
静かな決意。
それは幼い頃から叩き込まれてきた矜持だった。
しかしヴィクトルは苦笑する。
「水龍の時は、一緒に戦ってくれたじゃないか」
「それは」
イリシアは即座に返す。
「わたくしが殿下のお側におりましたもの。もし殿下の命が危険に晒されようなら、解析を中断してでも、盾になる覚悟でしたわ。ですが今回は違います。わたくしは結界維持で動けません。貴方のお側へ駆け付けることすらできないのですよ?」
ヴィクトルは静かに息を吐いた。
「またそうやって自己犠牲を当然のように言う……君は昔から、自分の命を軽く見過ぎだ」
「軽くなど見ておりません」
「ではなぜ?」
「王族である殿下を敵陣の、ましてや魔族のいる危険な場所に行かせるだなんて言語道断ですわ」
「逆だよ」
ヴィクトルの声が少しだけ強くなる。
「危険だからこそ、僕が行くべきなんだ」
「殿下!」
「王族とは守られるだけの存在じゃない。国民の先頭へ立つ者だ」
イリシアは言葉を失う。
しかし次の瞬間には首を振っていた。
「それでも認められません!危険を承知で飛び込む王族がどこにいるのです!」
「ここにいるよ」
「……!」
「何もせず待つだけなら、それは王族として示しがつかない」
「ですが──」
「潜入に向いているのは」
ヴィクトルは指を折る。
「ルーク、ミーナ、そして僕。住民を傷付けず制圧できる人間が必要だ、僕には王家の魔法がある。それに。」
彼は少しだけ笑った。
「僕は幼い頃、君から魔力を分けてもらっている。適任じゃないか」
「そっ……!」
イリシアの肩が跳ねる。
「そんな大昔の話!とっくに魔力なんて消えておりますでしょう!」
そのやり取りを眺めていたミレイユが、そっとジュリアンの袖を引いた。
紙を差し出す。
『イリシアさんは昔、殿下に魔力を分たんですか?』
ジュリアンは「ああ」と頷いた。
「昔な……殿下がまだ幼い頃、婚約が決まったばかりの時だ」
室内の視線が自然と彼へ集まる。
「殿下の食事に毒が盛られた」
ミーナが息を呑む。
「えっ……」
「命に別状はなかった。だが高熱が何日も続いてな」
ジュリアンは当時を思い出すように目を細める。
「医者も薬師も手を尽くした。それでも熱は下がらなかったんだ。その時だ」
彼は苦笑した。
「イリシア嬢が二日二晩、一睡もせず医学書と薬学書を読み漁った」
ルークが笑う。
「お嬢らしいな」
「やっと原因を見つけたと思ったら。今度は殿下の身体へ10時間ぶっ通しで魔力を流し続けた」
ミーナが思わず口を押さえる。
「10時間……?」
「本人は」
ジュリアンは少し笑った。
「『わたくしは医者でも回復術師でもありません。ですが、この有り余る魔力を殿下のために使えるのなら本望ですわ』ってな」
応接室が静まり返る。
「おかげで殿下は後遺症もなく回復した。まあ、殿下の魔力回路が普通より大きくなっちまったのは想定外だったが」
ヴィクトルが肩をすくめる。
「君のおかげで丈夫になった、だから今回も──」
「だからこそですわ!」
イリシアが遮った。
「その恩を返そうとして危険へ飛び込むなど、本末転倒ですの!」
「相変わらず、頑固だね」
ヴィクトルは困ったように笑う。
「殿下もわからず屋ですわ!」
「君こそ自己犠牲が過ぎる」
しばらく言い合いは続いた。
ルークが肩をすくめる。
「こんなに言い合うのか」
「久々に始まったな」
ジュリアンも苦笑する。
「4年前以来か」
ミーナが首を傾げる。
「えっ?仲良しじゃなかったんですか?」
「仲はいい」
ルークが即答した。
「良いからこうなる。4年前に大喧嘩して、それを見てた噂好きの令嬢が勝手に不仲説流したんだ。本人たちは気にしてねぇけど、周りがとにかく騒いで……それ以来、少しだけ表では大人しくしてたんだ」
ミレイユは二人を見比べる。
確かに言い争っている。
けれど、どちらも怒っているというより。
相手を守りたい。
その想いだけがぶつかり合っているように見えた。
そして、突然ヴィクトルがふっと笑う。
「仕方ない……なら僕にも奥の手がある」
「お兄様へ言いつけるのですか?」
イリシアが腕を組んでぷいっとそっぽを向く。
「だとしても、お兄様も今回ばかりは殿下を止めますわ!」
「そうじゃない」
「え?」
「リーシャ」
その瞬間だった。
「っ!?」
イリシアの身体が硬直する。
耳まで一気に赤く染まり、ぱくぱくと口だけが動く。
「なっ……!そっ、その呼び方は……!」
ヴィクトルは少しだけ悪戯っぽく笑う。
「久しぶりに呼んでみたんだ。昔は君も僕の事をヴィルって呼んでたじゃないか」
「ちっ、違いますわ!!もう子供ではありませんの!」
「だからこそ」
ヴィクトルは優しく微笑む。
「僕の願いは聞いてくれないのかい?」
そっとイリシアの顎へ指を添える。
「……っ!!」
真っ赤になったまま完全に固まった。
誰が見ても分かるほど真っ赤だった。
応接室に沈黙が落ちる。
ジュリアンが天を仰ぐ。
ルークが小さく口笛を吹く。
ミーナとミレイユは目を丸くした。
オーリンは「おお……」と小さく漏らし、
サイラスは思わず咳払いをする。
ヴィクトルは一歩近付いた。
そのままそっと、人差し指でイリシアの顎を持ち上げる。
「リーシャ」
その一言だった。
「…………っ!!」
イリシアの身体が動けなくなる。
ジュリアンは額へ手を当てた。
「あーあ」
深いため息。
ミレイユがまた紙を差し出す。
『リーシャって?』
ジュリアンは苦笑した。
「婚約前の、昔の愛称だ。ガキの頃はよく遊んでたからな。ヴィクトルはイリシア嬢をリーシャ。イリシア嬢はヴィクトルをヴィルって呼んでた。今は立場上、互いに正式な名前で呼んでるんだが……」
ジュリアンが笑う。
「だけど、その呼び方する時は」
そして、遠い目になる。
「ヴィクトルが本気で甘やかしにきた時だ」
イリシアの耳まで真っ赤だった。
「そっ……!そんな昔のあだ名を!」
ヴィクトルは面白そうに笑う。
「嫌だった?」
「い、嫌ではありませんけれど!」
「じゃあ、リーシャいいよね?」
「殿下っ!」
「ヴィルって呼んでくれないのかい?」
「っ~~~!!!!!」
その様子を見ていたルークが吹き出した。
「完全に負けてるじゃねぇか」
「悪い」
ジュリアンが立ち上がる。
「みんな、しばらく二人だけで話させよう。近くに旨い食堂があるとホテルの受付から聞いてるんだ、案内するぜ」
ミーナが真っ先に立ち上がる。
「ちょうどお腹空いてました!」
サイラスも苦笑する。
「空気を読むべきだな」
オーリンも静かに頷く。
「若者同士で話すべきこともある」
ミレイユだけが心配そうにイリシアを見る。
するとジュリアンが優しく笑った。
「大丈夫、殴り合いにはならないから安心しろ」
ミーナがミレイユの手を取る。
「行こ行こ!美味しいご飯ですよ!」
「っ…」
そのまま全員が部屋を出ていく。
ドアがゆっくり閉まる。
「ちょっ……!」
イリシアが慌てて振り返る。
「皆様方!?置いていかないでくださいませ!皆様方ーーーっ!!」
無情にも。
ぱたん。
静かな音を立てて扉は閉まった。
広い応接室には、真っ赤な顔で立ち尽くすイリシアと、どこか楽しそうに微笑むヴィクトルだけが残された。
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