第4話 事業団の問題児たち
数日後。
イリシアは兄アランに連れられ、王都のやや外れた一角にある事業団本部を訪れていた。
表向きはアランが運営する「クルスト商会」の一支部。
しかしその実態は、情報収集、密輸ルート管理、護衛、特殊人材育成までを請け負う、ヴァルモンド家が密かに支援する半独立組織だった。
外観は質素な三階建ての建物で、表通りからは普通の商会にしか見えない。
応接室に通された瞬間、イリシアは無言になった。
「お兄様」
「なんだ」
「……本当に精鋭ですの?」
「精鋭だ」
アランは即答した。
だがイリシアは、どうしても納得できなかった。
目の前にいる三人は、どう見ても「精鋭」と呼べる代物ではなかった。
一人目。
窓際の椅子を思い切り後ろに傾け、足を机の上に投げ出して昼寝をしている長身の青年。
長い黒髪を無造作に後ろで束ね、シャツの前はだらしなく開いている。
寝息まで聞こえてきそうだった。
二人目。
応接室の隅のソファに座り、分厚い古書に没頭している眼鏡の女性。
肩近くで切り添えられた紺色の髪が知的な印象を与えるが、こちらに一切の興味を示していない。
ページをめくる音だけが規則的に響いていた。
三人目。
テーブルの上に並んだ焼き菓子を頬張りながら、にこにこ笑っている赤髪の小柄な少女。
既に空になった皿が三枚も積み上げられ、頰には粉砂糖がついている。
重い沈黙が部屋を支配した。
イリシアは兄を横目で見た。
アランは至って真面目な顔をしていた。
「精鋭だ」
二回言った。
「……そうですか」
イリシアは小さくため息をつき、諦めの境地に至った。
窓際で寝ていた男性が起きる。
ぼさぼさの黒髪をかき上げながら、気怠そうにこちらへ視線を向ける。
昼寝の途中を起こされたことに不満でもあるのか、その表情には緊張感の欠片もなかった。
「若?」
眠気の残る声で青年が問いかける。
「ああ」
アランが短く答えると、青年の視線がイリシアへ移った。
「隣にいるのは……」
「起きていらっしゃったのですね」
イリシアが少し驚いたように言う。
「途中からな」
青年は上体を起こしながら答えた。
「申し遅れましたわ、わたくし……」
「ああ、若の妹の……イリシア嬢か」
名乗り終える前に言い当てられ、イリシアは目を瞬かせた。
「ご存知でしたのね」
「まあ、若から聞いてるからな」
失礼極まりない男だった。
初対面の令嬢を前にしても立ち上がることすらせず、青年は大きな欠伸を一つ漏らす。
そのまま伸びをしてから、ようやく気だるげに名乗った。
「俺はルーク。潜入と工作担当だ」
続いて、眼鏡の女性が本からようやく目を離した。
「エレナ」
短い。
それだけだった。
アランが苦笑しながら補足する。
「分析と暗号解読、情報整理を担当している」
最後に、小柄な少女が勢いよく立ち上がり、椅子を倒しそうになりながら元気よく挨拶した。
「ミーナです!よろしくお願いします!」
とても元気だった。
菓子くずを口の端に残したまま、両手を振り回している。
「変装と潜入と鍵開けと、ちょっとしたスリが得意です!」
なぜそんな特技を堂々と名乗るのか。
イリシアは敢えて聞かないことにした。
「で?」
ルークが机に頬杖をつき、眠そうな目をイリシアに向けた。
「依頼内容は?」
イリシアは表情を引き締め、深く息を吸った。
そして、教会に関するこれまでの調査を、可能な限り整理して話し始めた。
偽りの聖女クラリッサの異常な素行。
第二王子フィリップとの密会。
教会保守派の動き。
地下施設の存在。
行方不明の少女──ミレイユの状況。
前世の記憶そのものは伏せながらも、危機感だけはしっかりと伝える。
話が終わる頃には、三人の表情から先程までの気の抜けた空気が完全に消えていた。
最初に口を開いたのはエレナだった。
「面白いですね」
「面白い……?」
「ええ」
エレナは本をぱたりと閉じ、鋭い青灰色の瞳をイリシアに向けた。
「教会は情報統制が上手すぎます。ここまで調べても、表立った噂がほとんど出てこないのは異常です」
ルークも頷いた。
「普通なら、侍女か下級神官の誰かが酒場で愚痴の一つもこぼすはずだ」
「ですが、ありませんのね」
「ない」
即答だった。
「つまり」
エレナが静かに、しかし重く告げる。
「内部で何か、大きなことが起きている可能性が極めて高いです」
イリシアは拳を強く握りしめた。
やはり、自分の勘違いではなかった。
すると、ミーナが勢いよく手を挙げた。
「潜入なら私が行けます!」
「危険ですわよ?」
「大丈夫です!」
根拠が全く感じられない自信満々ぶりだった。
「神官見習いとして?」
「無理」
「侍女として?」
「無理」
「孤児としてなら?」
「いけます!」
ミーナは胸を張った。
「教会は定期的に孤児を受け入れてるんです。保護施設として表向きは綺麗事言ってますけど、最近受け入れ数が急に増えてるんですよ!」
その瞬間、部屋の空気がぴりりと張りつめた。
イリシアが顔を上げ、アランも真顔になった。
「孤児……?」
「はい」
ミーナは嬉々として説明を続ける。
エレナがすかさず資料を取り出し、机の上に羊皮紙を広げた。
「私も気になっていました」
そこに並ぶのは、教会の最近の購入記録。
食糧購入量、衣類購入量、薬品購入量──どれもここ数ヶ月で急増している。
「人数は約二倍です」
エレナが淡々と指摘する。
「しかし、孤児院の公表されている人数は全く変わっていません」
沈黙が落ちた。
ルークが低く口笛を吹いた。
「黒いな」
「黒ですわね……」
イリシアも同意した。
孤児の数が増えているのに、記録に残っていない。
つまり──消えている。
脳裏に、ミレイユの痩せ細った体と、喉に刻まれた無数の傷跡がよぎった。
血。
血清。
教会の地下。
イリシアの指先が、わずかに震えた。
もし本当にそうなら、ミレイユだけではない。
他にも、多くの少女たちが犠牲になっている可能性がある。
「お嬢様」
ルークの声が響いた。
先程までの軽薄さは完全に消え、鋭い眼光が宿っていた。
「急いだ方がいい」
イリシアは静かに、しかし力強く頷いた。
彼女も同じ結論に至っていた。
五か月後の舞踏会を待つ余裕など、ない。
教会は今この瞬間も、何かを続けている。
被害者は増え続けている。
ならば、動くしかない。
イリシアは銀色の月光を思わせる髪を揺らし、青い瞳に強い光を宿した。
「潜入計画を立てましょう」
「ミレイユを救出する」
「教会の真実を暴く」
「そして」
彼女は窓の外を見た。
王都の中心にそびえる巨大な聖堂の尖塔が、夕陽を受けて赤く染まっている。
「あの少女たちを、これ以上犠牲にさせない」
静かな声だった。
しかしその決意は、誰よりも強く、燃えていた。
知らず知らずのうちに。
運命は少しずつ、大きく変わり始めていた。
原作では、誰も救えなかった少女たちへ──
銀月の悪役令嬢が、静かに手を伸ばそうとしていることを。
まだ、誰も知らない。
本作品はカクヨム、アルファポリスにて同時投稿をしております。
気が向いたらいいね、ブクマ、よろしくお願いいたします。




