第3話 影を駆ける獣
夜の帳が街を深く包み込んでいた。
昼間よりは幾分弱まったとはいえ、雨はまだ止まず、空には厚い鉛色の雲が低く垂れ込めている。
ホテルの裏手、馬車を停めている車庫では、ランタンの淡い灯りだけが静かに揺れていた。
「借りてきたぞー」
ルークが手綱を引きながら戻ってくる。
一頭の逞しい栗毛の馬が、鼻を鳴らして雨の匂いを嗅いだ。
「随分立派な馬ですわね」
イリシアが目を丸くすると、ルークは肩を竦めた。
「潜入するなら足は速い方がいいからな。街の人が融通してくれた」
「助かりますわ」
ヴィクトルも静かに頷いた。
「では、準備を始めようか」
イリシアは一歩前に出て、ルークとミーナの前に立った。
ゆっくりと両手を重ね、二人へ柔らかな視線を向ける。
「お二人とも。使い魔について、ご希望はございます?」
ルークとミーナが顔を見合わせた。
「希望?」
「ええ」
イリシアは優しく微笑んだ。
「潜入任務であれば隠密行動に特化した子。撹乱が必要なら陽動向きの子。索敵を重視するなら探索能力に優れた子もおります。ご要望に合わせて呼び出せますわ」
「へぇ……」
ミーナが感心したように目を輝かせた。
「オーダーメイドできるんですね!すごい!」
「もちろんですわ」
ルークは腕を組み、少し考え込んだ。
「そうだな……犬より大きくて、馬より小さい。野山を素早く駆けられるような奴がいい。できれば力もあると、なおいい」
イリシアが「あら」と小さく笑う。
「狼をご希望かと思いましたけれど……」
「狼でもいいが、もっと威圧感があるとな」
「なるほど……」
イリシアはわずかに目を閉じて考え、すぐにぱちん、と白い指を鳴らした。
次の瞬間。
魔法陣が静かに地面に広がる。
その中心から、ゆっくりと巨大な影が姿を現した。
漆黒の鬣。
黄金の瞳。
堂々たる筋肉質の体躯。
──巨大な黒ライオンだった。
「うわぁぁぁぁ!!」
ミーナが思わず歓声を上げた。
「おっきい!!もふもふ!!」
勢いそのままに鬣へ飛びつき、顔を埋める。
ライオンは驚く様子もなく、大人しく受け止めた。
「ふわぁぁ……!最高……柔らかくて温かい……!」
イリシアが苦笑しながら説明する。
「この子はレグルスと言います。とても賢いので、余程のことがない限り、噛みつきませんわ」
ミレイユも恐る恐る近づき、そっと黒い鬣へ手を伸ばした。
「……っ!」
柔らかな感触。
レグルスは静かに目を細め、ミレイユの手に額を軽く押しつける。
ミレイユの目が輝き、表情が少しだけ綻んだ。
何度も優しく撫で続けるその姿に、皆の顔も自然と緩む。
ルークが笑って前に出た。
「いいね。俺のイメージは狼だったけど、ライオンも悪くねぇ」
ゆっくり右手を差し出す。
「一時的な相棒関係だ。よろしくな」
レグルスは静かに近づき、その大きな額をルークの掌に預けた。
「お、賢いじゃねぇか」
ルークの口元が自然と緩んだ。
その様子を見ていたミーナが勢いよく手を挙げた。
「あたしも!」
「はい」
「えっとね!一時的に幻覚魔法とか、分身して敵を惑わせたりできる子はいますか!?」
イリシアはすぐに頷いた。
「でしたら、狐などいかがでしょう?」
ぱちん。
再び指が鳴る。
今度は白銀色の魔法陣が浮かび上がり、ふわりと一匹の狐が姿を現した。
雪のように白い毛並み。
紅玉のような輝く赤い瞳。
ふさふさとした豊かな尾。
「きゃーーーーー!!」
ミーナが即座に抱き上げ、くるくるとその場で回り始めた。
「その子はアンサーという名前です。とても愛らしいでしょう?」
「かわいいいいいい!!最高すぎる!!」
アンサーは慣れた様子でされるがままになり、尻尾を優雅に揺らした。
ルークが呆れたように笑う。
「はしゃいで転ぶなよ」
「分かってるよー!でもこの子すっごい可愛いんだもん!」
ジュリアンが苦笑した。
「仕事前だってのに、すっかり遊園地じゃねぇか」
ヴィクトルも思わず柔らかな笑みを浮かべる。
「二人とも随分気に入ったようだね」
「ええ!最高です!」
「お嬢、助かるぜ」
イリシアは満足そうに頷いた。
「それでは……影へ」
レグルスが静かに姿勢を低くする。
その巨体が黒い影へと溶けるように変化し、するりとルークの足元へ吸い込まれていった。
同じように、アンサーも優雅に跳び、ミーナの影の中へ消えた。
一瞬だけ影が水の波紋のように不自然に揺れたが、すぐに元に戻る。
「これで完了ですわ。必要になればいつでも姿を現します。命令も最低限理解しておりますので、緊急時にはお二人を最優先で守ります」
ルークが軽く拳を握った。
「頼もしいな」
ミーナも胸を張る。
「これなら百人力ですね!」
「……百人力どころじゃない気もするが」
ジュリアンがぼそりと呟き、皆が小さく笑った。
しかし、次の瞬間。
空気がぴたりと引き締まった。
ルークは腰の短剣を確認し、外套のフードを深く被る。
ミーナも軽装の上に雨避けのマントを羽織り直した。
先ほどまでの明るい笑顔は完全に消え、二人とも熟練の諜報員としての鋭い表情に戻っていた。
ヴィクトルが静かに、しかし力強く言った。
「危険だと思ったら、調査より帰還を優先してほしい」
「分かってる」
「任せてください」
イリシアも一歩前に出て、二人を見つめた。
「どうか、ご無事で」
「お嬢様」
ミーナがにっと笑う。
「お土産、期待しててくださいね!」
「まずは無事に戻ることですわ」
「はい!」
ルークは馬に飛び乗り、ミーナもその後ろへ軽やかに跨った。
「行ってくる」
「行ってきます!」
馬が力強く嘶き、蹄の音を響かせながら夜の街道へと駆け出していった。
雨に煙る闇の中へ。
──人魚族の街、《カント・マリス》の真実を確かめるために。
ちなみにイリシアには馬型使い魔もいますが、白銀の体をしてたのでルークに却下されています。
次回の投稿は20時頃を予定しております!
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