第2話 雨宿りの忠告
「ごちそうさまでした」
アフタヌーンティーを終えたイリシアは、優雅に席を立ち、給仕をしてくれた若いウエイターへ柔らかな微笑みを向けた。
「特にフルーツのケーキが絶品でしたわ。本当に素晴らしい味でした」
その言葉に、ウエイターの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとうございます!あれに使われている果物は、この街の名物なんです」
「まあ、そうなのですの?」
「ええ。地元のテディ農園で採れた果物ですよ。甘くて香りが強くて、僕も子供の頃から大好きなんです」
少し誇らしげに胸を張るウエイターの様子に、イリシアは目を丸くした。
「農園の主人は熊みたいに大きい人なんですけど、とっても優しい方なんですよ。有名な愛妻家でもあります」
隣で聞いていたヴィクトルが、くすりと笑った。
「それはまた、特徴的だね」
「はい。本当にいい方なんです。季節によってはフルーツ狩り体験もやっていますので、ぜひ……と言いたいところなんですが」
ウエイターは窓の外に目をやり、残念そうに肩を落とした。
激しい雨が、容赦なくガラスを叩いている。
「この天気では、しばらく難しそうですね……」
イリシアも残念そうに微笑んだ。
「仕方ありませんわ。シェフの方にも、とても美味しかったとお伝えくださいませ」
「はい!ありがとうございました!」
丁寧に一礼するウエイターを見送り、一行はロビーを後にして部屋へと戻り始めた。
◇
「お嬢様は、ご家族にお土産を買うんですか?」
ミーナが楽しげに尋ねる。
「そうですわね」
イリシアは少し考えてから答えた。
「リリアナとお母様にはアクセサリーを。兄様にはカフスボタン、お父様には上品なネクタイピンが良さそうですわ」
「わぁ!それ絶対喜びますよ!」
ミーナが目を輝かせる。
隣ではミレイユも嬉しそうに何度も頷いていた。
その時だった。
「あ」
ルークが足を止めた。
「どうした?」
ジュリアンが振り返る。
「馬車に忘れ物した。取ってくる」
ヴィクトルが頷いた。
「ああ、雷も鳴っているから気をつけるんだよ」
ジュリアンがにやりと笑う。
「お前、一番背が高いもんな。避雷針になったりして」
「縁起でもねぇこと言うなよ!」
苦笑しながらルークは車庫の方へと向かった。
◇
馬車置き場。
屋根を激しく叩く雨音が、絶え間なく響いている。
交代で警備をしていた護衛騎士がルークに軽く敬礼した。
「お疲れ様です」
「おう、お疲れさん」
馬車の中から忘れ物を探し出し、騎士と少し雑談していると──
ばたばたと雨を蹴散らす足音が近づいてきた。
入口から、一人の大柄な男が小走りで駆け込んできた。
熊のような逞しい体格。
日に焼けた褐色の肌。
人の良さそうな丸い顔。
男はルークと騎士を見るなり、慌てて頭を下げた。
「す、すみません!アンタ達……カント・マリスへ向かう貴族の方々ですよね?」
「……そうだけど?」
「少しだけ、お時間をいただけませんか」
男は拳を強く握りしめ、必死の表情で言った。
「どうしても話しておきたいことがあるんです。カント・マリスに行くのを……やめていただけませんでしょうか?」
ルークは男をじっと観察した。
呼吸の乱れ、視線の揺れ、手の震え。
武器は持っていない。
目線は真っ直ぐで、敵意は感じられない。
(……嘘をつき慣れた奴じゃねぇな)
ルークは短く息を吐いた。
「分かった。俺だけで判断できる話じゃねぇ。一緒に来てくれ」
◇
ホテルの応接室。
大柄な男──ドガーは、恐縮しながら椅子に腰を下ろした。
「俺はドガーって言います。果樹園を営んでおります」
深々と頭を下げる。
「カント・マリスへ果物を卸しているんですが……最近、どうにも様子がおかしいんです」
部屋の空気が一瞬で引き締まった。
「俺の果物は、人魚族の皆さんへの報酬として渡されることが多くて。皆さん、いつも美味しいって喜んでくれるんですよ」
少し照れくさそうに笑うドガー。
「昔はお礼に珊瑚のブローチまで貰ったこともありましてね。もう長い付き合いなんです」
しかしその笑顔はすぐに曇った。
「ですが、ここ2ヶ月ほど……人魚族の姿を、ほとんど見なくなりました」
全員が息を呑む。
「街の人達も、どこか余裕がなくて、皆、笑わなくなったんです。何かあったんじゃないか……そう思えて仕方ないんです」
ヴィクトルが静かに尋ねた。
「それで、私たちを?」
ドガーは頷いた。
「はい、商店街で皆さんの立派な馬車を見かけまして。貴族様なら観光に向かうんじゃないかと思い、危険な目には遭ってほしくなくて……どうか、時期を改めていただけませんか」
深々と頭を下げるドガー。
ミーナが腕を組んで小声で呟く。
「……嘘ついてる可能性は?」
「と、とんでもありません!そんな大それたこと、俺にできるわけが!」
その時、イリシアが静かに口を開いた。
「この方は嘘をついておりませんわ」
視線が一斉に集まる。
「身分の高いわたくしたちを前に怖気づいてはおりますが、お話の最中、一度も視線を逸らしませんでした。我々の反応を真っ直ぐ確認しながら話しておられましたもの」
ドガーが驚いたように目を見開く。
「それに」
イリシアは柔らかく微笑んだ。
「ドガー様。あなたの果樹園は、テディ農園ではありませんこと?」
「な、なぜそれを?」
イリシアは先ほどのケーキを思い出すように目を細めた。
「ホテルで頂いたスイーツに使われていた果物が、テディ農園のものだと伺いましたの」
ヴィクトルも思い出したように笑う。
「ウエイターが言っていたね。熊のように大きくて、とても優しい主人だと」
ドガーは照れ臭そうに頭を掻いた。
「……そのウエイター、うちの息子です」
「「「…………え?」」」
一同の声がぴったりと揃った。
ミーナが勢いよく立ち上がる。
「この大きなお父さんから!?さっきの細身のお兄さんが生まれたんですか!?」
ルークが腹を抱えて大笑いした。
「そりゃ面白ぇ!」
ジュリアンも信じられない顔で笑う。
「本当に!?嘘だろ!?」
ミレイユまで目を丸くして驚いていた。
「……!?」
ヴィクトルが苦笑しながらフォローする。
「……お母様似だったのかもしれないね」
ドガーは乾いた笑いを漏らすしかなかった。
「……ええ。妻にそっくりなんですよ」
部屋に一瞬の和やかな笑いが広がった。
しかし、その笑いの裏側で、カント・マリスに漂う不穏な気配は、誰の胸にも重く残っていた。
◇
ドガーをロビーまで見送った後、ルークが部屋に戻ってきた。
「戻ったぞー」
「おう」
ジュリアンが顔を上げる。
「どうする?」
ヴィクトルは腕を組んで考え込んだ。
「勘違いの可能性もある。だが、嘘をついているようには見えなかった。確認する術がないのが難しいね」
イリシアが静かに提案する。
「わたくしが使い魔を飛ばしましょうか?」
しかしミレイユが首を横に振り、筆談帳に短く書いた。
『危険なら、行かなくていいです』
ヴィクトルは優しく微笑んだ。
「まだ確定したわけじゃないからね」
するとルークが口を開いた。
「いや、この天気でお嬢の使い魔を飛ばしたら雷に撃たれるぞ。それより、適任がいるだろ」
ミーナが勢いよく胸を張る。
「はいはいはーい!あたしとルークで先に潜入できます!」
ルークも頷いた。
「変装も潜入も俺らの本職だ。馬一頭借りりゃ今日中にも街へ入れる」
イリシアは心配そうに眉を寄せた。
「もし本当に危険でしたら?」
ミーナは明るく笑う。
「いつもの任務ですよ。慣れてます!」
イリシアは額に手を当て、ため息をついた。
「お兄様は一体、どんなお仕事を任せておりますの……」
ヴィクトルが苦笑しながら提案した。
「イリシア、使い魔を直接飛ばせないなら、二人の影に潜ませて護衛させればいい」
ルークが目を輝かせた。
「おっ!王子様、名案だね〜!」
ミーナも嬉しそうに拳を握る。
「やったー!一度でいいから影に使い魔潜ませてみたかったんですよ!」
ジュリアンが呆れたようにため息をつく。
「おもちゃじゃねぇんだから……」
部屋中に、再び軽やかな笑いが広がった。
だがその笑顔の裏で、ルークとミーナは静かに表情を引き締めていた。
二人の潜入任務が、今、静かに始まろうとしていた。
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