第14話 蒼月の矢
蒼銀の光が放たれた。
それは単なる光線ではなかった。
一筋の月光を思わせる、圧倒的な浄化の矢。
弓の軌跡を描きながら、地下空洞を鮮やかに照らし出す輝きは、まるで夜空に浮かぶ蒼い月そのものが落ちてきたかのようだった。
「────ッ!!」
水龍が苦痛と怒りに満ちた咆哮を上げた。
その首に深々と突き刺さった黒い杭へ、《ゼロ・レイ》が正確に直撃する。
瞬間──
轟音が響き渡り、激しい光が爆発的に弾けた。
黒い瘴気が噴き上がり、杭の表面が白熱するように輝く。
「成功したか!?」
ラシードが叫んだ。
しかし、次の瞬間。
イリシアの声が鋭く響いた。
「下がってくださいませ!!」
全員が反射的に後方へ飛び退く。
直後──
杭から大量の黒い瘴気が、爆発的に噴出された。
濁流のような黒い霧が洞窟内へと溢れ出し、視界を暗く染め上げる。
まるで杭そのものが、死の間際に悲鳴を上げているかのようだった。
「何だこれは!?」
ファリスが目を細め、剣を構え直す。
イリシアは即座に解析結果を思い出し、叫んだ。
「防衛機構ですわ!
解析で分かりましたが、浄化された瞬間に、内部に蓄積された瘴気を一気に放出する仕組みになっておりますの!」
さすが龍を脅かすほどの強力な呪具。
そう簡単に消されるようには作られていなかった。
最後の抵抗。最後の悪あがき。
それが今、目の前で繰り広げられていた。
「グォオオオオオオオオオッ!!」
水龍が激しく暴れ狂う。
巨大な身体が壁に激突し、岩が大規模に崩落する。
地響きが続き、空洞全体が崩壊の危機に晒された。
「不味い!このままだと洞窟が崩れるぞ!」
ヴィクトルが叫ぶ。
ラシードが舌打ちした。
「まだ終わってねぇのか!」
「いえ!」
イリシアは前を睨みつけたまま、杭に視線を固定する。
「あと少しですわ!」
黒い瘴気が徐々に薄れていく。
杭の表面に、無数の亀裂が走る。
1本、2本、3本──
そして。
パキンッ
乾いた音が響いた。
黒い杭が粉々に砕け散り、黒い煙が空へ舞い上がる。
その中心に──
何かが見えた。
人の拳ほどの大きさの、黒い結晶。
脈打つように鼓動し、濃密な瘴気を吐き出し続けている。
イリシアの顔色が一変した。
「……!」
「やはりですわね」
ヴィクトルが振り返る。
「何だあれは?」
「あの杭はただの呪具ではありませんでした。
内部に瘴気を増幅し、対象を侵食し続けるための核が存在していましたわ」
解析結果が正しかった。
そして今、その核が姿を現した。
ラシードが思わず一歩前に出て手を伸ばそうとする。
「ラシード陛下!」
イリシアの声が鋭く飛んだ。
「何だ?」
「絶対に近寄らないでくださいませ!危険ですわ!」
黒い結晶は、まるで心臓のように脈動していた。
そこから漏れ出す瘴気の濃度は異常で、近づいただけで精神を汚染される可能性が高い。
「恐らくあれが呪具の核です!
水龍様を侵食していた瘴気の発生源……下手に触れれば精神汚染を受けますわ!」
ラシードたちは即座に一歩下がった。
その時だった。
黒い結晶が、ふわりと宙に浮かび上がった。
まるで何者かに操られるように、あるいは自ら逃げようとするように。
イリシアは目を見開いた。
理由は分からない。
しかし本能が告げていた。
──あれを放置してはならない。
再び誰かを蝕む。
龍がこうなったのも、その核の影響だ。
今ここで、確実に消さなければならない。
「《ゼロ・レイ》再装填」
右手を前方に伸ばし、左手を後ろに引く。
再び蒼銀の光が集まり始めた。
ヴィクトルが驚愕の声を上げた。
「まだ撃てるのか!?」
「一応は……ですが、これで最後ですわ!」
解析に大量の魔力を使った影響で、残り魔力はあまり多くはない。
激しい頭痛が脳を刺し、視界も少し霞んでいる。
それでも、イリシアは狙いを定めた。
黒い結晶へ──ただ一点。
「消えなさいませ」
静かな、しかし決然とした声。
引き絞った左手を解放する。
「《ゼロ・レイ》」
今度はより細く、より鋭い一撃。
純粋な浄化の力を極限まで高めた、蒼銀の月光の矢。
キィィィィィィィィィィィィ────!!
耳を裂くような、不快極まりない絶叫が響き渡った。
人の声でも、獣の声でもない、異形の悲鳴。
黒い結晶に亀裂が走り、ひび割れ、崩れ、粉々に砕け散った。
そして最後に、黒い塵となって完全に消滅した。
沈黙が訪れた。
誰も動けなかった。
ただ、水龍だけが──
静かになっていた。
巨大な身体がゆっくりと揺れ、紅く濁っていた瞳が、澄んだ美しい琥珀色に戻っていく。
そして、水龍はゆっくりと首を下げ、イリシアたちの方へ向けた。
まるで、感謝を伝えるかのように。
「……正気に、戻ったのか」
ジュリアンが呆然と呟いた。
ラシードが目を見開き、信じられないものを見るような表情を浮かべた。
「本当に……助かったのか……」
その時、洞窟の奥から大きな水音が響き始めた。
ゴォォォォォォォ────
大地が震え、大量の水が地下水脈から流れ込む音。
イリシアはすぐに理解した。
「地下水脈ですわ。
龍が暴走して流れを塞いでいたのでしょう」
ファリスも頷いた。
「なるほど……それで水位が下がっていたのか」
失われていた水が、再びオアシスへと戻り始めていた。
ラシードが、心の底から笑った。
「ははははははは!やったぞ!
オアシスが……我が国の命が、助かった!」
ジュリアンが拳を握り、ミーナが飛び跳ね、ルークも珍しく口元を緩めた。
皆の顔に、達成感と安堵が広がる。
ヴィクトルはそんな仲間たちを見ながら、ふと隣の婚約者を移した。
イリシア。
彼女は立っていた。
しかし、ふらりと身体が揺れた。
「あ……」
本人が小さく呟いた瞬間、力が抜けた。
倒れかける身体を、しかし地面にぶつかる前に誰かがしっかりと支えた。
ヴィクトルだった。
「イリシア!大丈夫か!?」
イリシアはぼんやりと微笑み、弱々しく答えた。
「少し……魔力を使い過ぎましたわね……」
「少しどころじゃないだろう!」
珍しく声を荒げるヴィクトルに、イリシアは少し驚いた顔をした。
そして、くすりと小さく笑う。
「ふふ……殿下は本当に心配性ですわね」
「当たり前だ!」
即答だった。
あまりにも即答で、真剣すぎるその表情に、ジュリアンたちが思わず吹き出した。
ヴィクトルはまだ気づいていない。
自分がどれほど必死で、必死に彼女を心配している顔をしているのかを。
イリシアは少しだけ頰を緩め、ヴィクトルの腕の中で見上げた。
目の前の巨大な水龍は、静かにこちらを見つめていた。
琥珀色の瞳で、深く、穏やかに──感謝を伝えるように。
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