第13話 守護龍救出作戦
翌朝。
アル=ジャウハル王国、宝石のオアシス。
朝日を受けた水面は、普段なら見る者すべての心を奪う鮮やかな青を湛えていた。
しかし今、その美しさは影を帯びていた。
日に日に低下し続ける水位。
露出し始めた湖底の白い岩肌。
そして中央に不気味にそびえる巨大な岩山──その正体を、イリシアたちはすでに知っていた。
水龍。
この国を長く守護してきた聖なる存在。
今は黒い呪具によって苦しめられ、暴走の淵に立たされている。
「準備はいいか?」
ラシードが振り返り、豪快に笑ったが、その瞳は真剣そのものだった。
「ええ。いつでも」
イリシアは静かに頷いた。
ヴィクトルが腰の剣を確かめ、ジュリアンは愛用の短剣を指先で軽く回転させる。
ルークとミーナもそれぞれ武器を構え、ファリスは影のように周囲を警戒していた。
一行は再び水中洞窟へと潜った。
冷たい水を掻き分け、暗い通路を抜け、巨大な地下空洞へと到達する。
前回と同じ光景。
青白い発光鉱石に照らされた巨大ドーム。
天井から滴る水音。
重い静寂。
そして、奥に横たわる──巨大な影。
その瞬間。
水龍の琥珀色の瞳が、ゆっくりと開かれた。
ギロリ。
冷たく、こちらを射抜くような視線。
次の瞬間、瞳の色が濁った深紅へと変わる。
「グォオオオオオオオオオオオオッ!!」
凄まじい咆哮が空洞全体を震わせた。
空気が爆発的に振動し、岩壁が小刻みに揺れる。
湖面が一瞬で荒れ狂い、巨大な水柱が幾つも噴き上がった。
「来るぞ!」
ジュリアンが叫んだ。
水龍が巨体を起こす。
その動きだけで風圧が生まれ、髪や衣服が激しく煽られる。
巨大な尾が横薙ぎに振るわれた。
轟ッ!!
岩柱が粉々に砕け散り、大量の岩片が爆発的に飛び散る。
「散開!」
ヴィクトルの鋭い号令。
全員が即座に飛び退いた。
直後、彼らが立っていた場所が岩屑の海と化した。
もし直撃していれば、人間など一瞬で肉片に変わっていただろう。
「本当に暴走してやがる……!」
ラシードが舌打ちしながら叫ぶ。
水龍の首──巨大な青銀の鱗の隙間に、黒い杭が深々と刺さっているのが確認できた。
そこから黒い瘴気が絶え間なく漏れ出し、周囲の魔力を腐食させている。
「やはり、あれですわね」
イリシアが低く呟いた。
ヴィクトルが頷く。
「始めよう」
ジュリアンが先陣を切り、イリシアは一歩前に出た。
肩に止まっていた白銀の小鳥の使い魔にそっと触れる。
「行きなさい」
速度特化型の小鳥が羽を広げ、一直線に水龍の首へと飛んだ。
水龍が即座に反応し、牙を剥いて威嚇する。
しかし小鳥は速度をさらに上げ、巨大な鱗の隙間──黒い杭の表面に、ちょこんと着地した。
その瞬間、イリシアの瞳が見開かれた。
「──っ!」
膨大な情報が、奔流のように脳内に流れ込んできた。
術式構造、魔力回路、呪詛の連鎖、瘴気変換式、精神侵食機構、強制暴走術……
常人なら一瞬で発狂するほどの情報量だった。
イリシアは目を閉じ、その場にゆっくりと座り込んだ。
「解析開始」
静かな、しかし力強い声。
完全に無防備な姿勢。
瞳は閉じられたまま、微動だにしない。
ヴィクトルが即座に前へ出た。
剣を抜き放ち、鋭く宣言する。
「5分だ。皆、頼む!」
ラシードが豪快に笑った。
「任せろ!」
水龍が再び突進してくる。地面が激しく揺れ、湖面が爆発したように跳ね上がる。
ファリスが一瞬で姿を消した。
残像を残し、次の瞬間には龍の側面に回り込んでいた。
刃が鱗に火花を散らす──直接的なダメージではなく、注意を引くための牽制。
「こっちだ!」
ラシードが大声で挑発する。
龍の巨体が振り向き、巨大な尾が迫る。
「右!」
ジュリアンの視覚共有魔法が炸裂。
ラシードが紙一重で飛び退き、尾が岩壁を粉砕した。
「助かった!」
「礼は後だ!」
ルークとミーナも動き始めた。
煙幕魔法、幻影、分身──次々と龍の視界を撹乱し、注意を散らす。
中央端に座るイリシアは、完全に動かない。
額に汗が浮かび、呼吸は浅く、顔色は次第に青ざめていく。
脳内では凄まじい速度で術式の分解と再構築が進行していた。
(瘴気変換回路……ここをこう繋いで……精神侵食式の弱点は……なるほど)
3分経過。
「まだか!?」
ラシードの叫び。
水龍の攻撃が激しさを増す。
ファリスの腕が掠められ、血が飛び散る。
ヴィクトルも肩を浅く切りつけられながら、決して引かない。
4分。
イリシアの指先が、わずかに動いた。
ヴィクトルが気づく。
「イリシア……?」
返事はない。
しかし、彼女の周囲で魔力が膨れ上がり、青白い光が淡く輝き始めた。
5分。
ぱちり。
イリシアの青い瞳が、ゆっくりと開かれた。
「──解」
全員の顔に希望の光が戻る。
「終わったか!」
ラシードが吼えた。
イリシアはゆっくり立ち上がったが、顔色は真っ青で、額には冷や汗が浮かんでいた。
脳が焼けるような痛みと吐き気が襲ってくる。
それでも、彼女は小さく微笑んだ。
「思ったより単純でしたわ」
5分で終わらせた人間だけが言える台詞に、仲間たちは思わず苦笑した。
イリシアは右手を前方に伸ばし、人差し指と中指を揃える。
左手を後ろに引き、弓を引くような構えを取った。
見慣れぬ、しかし美しい構え。
その瞬間、周囲の魔力が一気に収束し始めた。
青白い光の粒子が無数に集まり、圧縮されていく。
空気が震え、空間そのものが歪むような圧力を感じさせた。
ヴィクトルが笑う。
「来たね……」
イリシアの銀髪が魔力の風に揺れ、青い瞳が強く輝く。
彼女は静かに、しかし力強く微笑んだ。
「今から少しだけ、あの邪悪な杭を消し飛ばしますわ」
水龍が咆哮を上げ、黒い杭から大量の瘴気が噴き出す。
しかし、もう遅い。
イリシアは狙いを定めた──ただ一点、黒い杭へ。
引き絞った左手を解放する。
「──《ゼロ・レイ》」
蒼銀の光が、地下空洞を貫いた。
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