第10話 水龍の眠る洞窟
冷たい水が全身を包み込んだ。
イリシアが展開した水中探索魔法のおかげで呼吸は苦しくない。
しかし、多少なりとも水圧による独特の圧迫感と、肌を刺すような冷たさは完全に消え去ることはなかった。
薄暗い水中洞窟の中、四人は慎重に前進を続けた。
先頭はジュリアン。
その後ろをヴィクトル。
イリシア。
そしてラシード国王が続く。
洞窟は想像以上に巨大だった。
まるで古代の巨大生物の食道を進んでいるかのような、圧倒的なスケール。
壁面は滑らかな岩肌で覆われ、ところどころに青白く光る鉱石が埋め込まれ、幻想的な光を放っている。
水の流れも不自然に強かった。
オアシスの水が、この洞窟へと吸い込まれているような──まるで何かに「飲まれている」感覚があった。
「……妙ですわね」
イリシアが水中でも通じる通信魔法で呟いた。
「何がだ?」
ラシードの声が響く。
「水位低下の原因だとしても、規模が大きすぎますわ。
これほどの洞窟なら、昔から発見されていてもおかしくありません」
「確かに」
ヴィクトルが同意する。
「最近になって現れた……あるいは、最近まで隠されていたということか」
やがて、洞窟は緩やかな上り坂へと変わった。
四人の足が、再び固い地面に着く。
「……?空気だ」
ジュリアンが周囲を見回した。
そこは広い空洞だった。
天井からは透明な水滴が落ち、岩肌に反射する青い光が幻想的な雰囲気を生み出している。
不思議なことに、呼吸ができる。どこかに外へと繋がる空気穴が存在しているのだろう。
「一度休憩できそうだな」
ラシードが辺りを見回しながら言った。
「念の為、水中探索用の術式は解かないでおきますわ」
「そうだな、それがいい」
ヴィクトルが頷いた。
イリシアは一息つくが、胸のざわつきはむしろ強くなっていた。
前世のゲーム知識が、警告のように脳裏をよぎる。
(確か、この先に……)
「少し休んだら、進みましょう」
四人は再び歩き始めた。
洞窟の奥へ、さらに進む。
通路は次第に広くなり、天井も高くなっていく。
そして十数分ほど進んだ頃──
「……おい」
ジュリアンの声が、わずかに震えた。
「なんだあれ……」
全員が足を止めた。
目の前の光景に、言葉を失う。
そこは天然の巨大ドームだった。
高さは王城の塔ほどもあり、横幅は大広間を何十個も並べたような途方もない広さ。
岩壁全体に青白い発光鉱石がびっしりと埋め込まれ、幻想的な青い光が空間全体を照らしている。
まるで地下に隠された神殿、あるいは神話の世界そのもの。
そして、その中心──
巨大な湖のような水場の向こう側に、それはいた。
「……龍」
ラシードの声が掠れた。
巨大な身体。
青銀色の鱗が、淡い光を反射して月光のように輝く。
優美に湾曲した月光色の角。
蛇のように長く、力強い胴体──その全長は優に百メートル近くあるだろう。
アル=ジャウハル王国を守護する、水龍そのものだった。
だが、誰一人として歓喜の声を上げなかった。
様子がおかしすぎる。
水龍は横たわっていた。
まるで力尽きたように、苦しげに。
息はしているが、胸の上下は極めて弱々しい。
美しい鱗の輝きも、どこかくすんで見えた。
ラシードが一歩前に出た。
「水龍様……」
その声は、国王としてのものではなく、この国で生まれ育った一人の民としての、深い敬愛と悲痛に満ちていた。
水龍は反応しない。
瞳は閉じられたまま、長い眠りについているかのようだった。
その時、イリシアの瞳が鋭く細められた。
「……違う」
「え?」
ヴィクトルが振り返る。
イリシアは魔力視を最大限に展開し、龍の身体を観察していた。
普通の人間には見えない、魔力の流れを。
そして、気付いてしまった。
「呪いですわ」
空気が一瞬で凍りついた。
「何だって……?」
ラシードが振り向く。
イリシアはゆっくりと近づき、龍の巨大な胴体に視線を注いだ。
鱗の隙間から、黒い靄のようなものがゆっくりと滲み出ている。
まるで腐敗した病巣のように。
「こんな……」
ヴィクトルが絶句した。
「魔力が侵食されていますわ。
しかも最近のものではありません。半年……いえ、一年以上前から、徐々に進行していたようです」
ラシードの拳が、強く握りしめられた。
つまり、民たちが異変を感じ始めるずっと前から──
この国を守り続けてきた聖なる存在は、苦しみ続けていたということだ。
「誰が……こんなことを……」
ジュリアンが低く呟いた。
その瞬間だった。
ぴくり。
巨大な龍の瞼が、わずかに震えた。
全員が息を呑む。
ゆっくりと瞳が開かれた。
その瞳は美しかった。
琥珀のように深く、何千年もの時を見つめてきたような、荘厳な輝き。
しかし、同時に、底知れぬ疲労と苦痛が宿っていた。
水龍は四人を見た。
そして、最後にラシードの姿を捉える。
「…………」
声にならない声。
しかし、確かに伝わってきた。
助けてくれ──
そう、懇願しているようだった。
次の瞬間、イリシアの背筋に冷たい戦慄が走った。
龍の身体から漏れ出す黒い魔力。
その性質に、はっきりとした覚えがあった。
前世の記憶。
ゲーム本編。
第二章、そして第三章へと繋がる重大な伏線。
「……まさか」
イリシアは無意識に呟いていた。
「これ……魔族の仕業ですの?」
その言葉に、水龍の琥珀の瞳が、わずかに──しかし確かに揺れた。
それが、何より雄弁な答えだった。
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