第22話 東方へ
夏の匂いを孕んだ風が、王都の並木道を優しく吹き抜けていた。
朝の空気は少し冷たく、木々の葉は既に淡い金色や赤に色づき始めている。
季節は静かに移ろい、人々の運命もまた、大きく変わろうとしていた。
王都東門。
東方交易使節団の馬車が整然と並んでいた。
表向きはカミツ国との貿易交渉を目的とした公式使節団。
しかし、その真の目的を知る者は、ごく僅かしかいない。
馬車の前には二騎一組の魔導牽獣が静かに佇んでいた。
白磁を思わせる滑らかな外殻。
金の装飾が関節を彩り、蒼く輝く魔石の瞳は朝日に照らされて静かな光を宿している。
生きた馬ではない。
先々代王妃が「命ある馬を長旅や戦場で酷使してはならない」という理念のもと開発した、馬を模した魔導ゴーレムだった。
魔力を動力とするその身体は疲労を知らず、昼夜を問わず一定の速度で馬車を牽引し続けることができる。
現在も王立魔導工房によって整備されているが、その製造技術は王家の秘匿技術とされ、運用を許されるのは王族と国家の重要任務のみであった。
そして、その周囲を六騎の魔導騎獣が護衛していた。
こちらは牽引を目的とした魔導牽獣とは異なり、近衛騎士専用に造られた戦闘型魔導ゴーレムである。
六騎の護衛は、ヴィクトル、ジュリアン、ルークの乗る男性用馬車の前に二騎。
イリシア、エレナ(に変装したミレイユ)、ミーナの乗る女性用馬車の後方に二騎。
双方の馬車の間にも二騎。
馬車を囲むように配置されていた。
流れるような白銀の装甲。
しなやかな四肢。
鋭い蒼い双眸。
騎士が手綱を軽く握るだけで、魔導騎獣は主の意思を汲み取るように静かに歩みを進める。
その姿は、まるで王国そのものを守護する白き獣の群れのようだった。
イリシアは静かにその光景を眺め、小さく微笑む。
「何度見ても、美しい技術ですわね。」
隣に立つヴィクトルも頷く。
「あれは祖母上が遺した最高傑作の一つだ。命ある馬を守るために生まれた技術が、今では王国を守る力になっている。」
「……本当に、素晴らしいお方だったのですね。」
イリシアはゆっくりと馬車へ視線を向けた。
一台目の馬車には、ミーナ、そしてフードを深く被った少女の姿があった。
ミレイユ──今はエレナの姿に変装している。
ルークとミーナの変装術は完璧だった。
顔立ち、髪色、体格、歩き方、仕草まで、すべてがエレナそのもの。
診療所での短期間の治療のおかげで、ミレイユも短い距離であれば自力で歩けるまでに回復していた。
「苦しくありませんか?」
イリシアが優しく尋ねると、フードの奥の少女が少し驚いたように目を瞬かせた。
それから小さく首を横に振る。
声はまだ出ない。
しかし初めて地下牢で見た時よりも、頬の血色は良く、表情はずっと柔らかくなっていた。
イリシアは穏やかに微笑んだ。
「そう、でしたら安心ですわ」
ミレイユは小さく頭を下げた。
その仕草だけで、深い感謝が伝わってきた。
少し離れた場所では、家族と仲間が見送りに来ていた。
兄アラン、妹リリアナ、そしてヴァルモンド公爵夫妻──
父エドガー・ヴァルモンドと母セシリア・ヴァルモンドの姿があった。
まずアランが近づいてきた。
「無茶はするなよ」
「お兄様こそ」
「俺は大丈夫だ」
「その言葉は信用できませんわ」
「酷くないか?」
「事実ですもの」
兄妹らしい軽いやり取りに、周囲が小さく笑った。
アランの表情が少し真面目になる。
「必ず帰ってこい」
短い、しかし重い言葉だった。
イリシアは静かに頷いた。
「もちろんですわ」
それだけで十分だった。
次に、イリシアは両親の前に立った。
父エドガーは厳格な顔立ちのまま、しかし娘を優しく見つめていた。
母セシリアは心配そうに手を握りしめている。
「イリシア」
エドガーが低く、重みのある声で言った。
「公爵家の名に懸けて、無理はするな。
お前は我が家の誇り以前に大切な娘だ。
無事に戻ってくることが、何よりの務めだぞ」
イリシアは深く頭を下げた。
「お父様……ありがとうございます。
ヴァルモンドの名に恥じぬよう、務めを果たしてまいります」
セシリアが涙ぐみながら娘を抱き寄せた。
「イリシア……本当に大丈夫?
遠い国へ行くなんて……
体を壊さないように、ちゃんと休むのよ。
何かあったらすぐに手紙をちょうだい。
母はいつでも待っていますから」
「お母様……」
イリシアは母の温かい抱擁に、幼い頃の記憶を思い出した。
「心配をおかけして申し訳ありません。
でも、大丈夫ですわ。
殿下も一緒ですし、信頼できる仲間もおります。
必ず無事に戻ってまいります」
セシリアは娘の頰を優しく撫で、涙を拭った。
「あなたはいつも強い子ですけど……無理だけはしないで。
家族が待っていることを、忘れないでね」
「はい」
イリシアの声もわずかに震えた。
エドガーが静かに頷いた。
「行ってこい。
ヴァルモンドの血を引く者として、誇りを持って」
「はい、お父様」
家族との別れは、短くも温かく、胸に刻まれるものだった。
少し離れた場所では、ソフィアとセドリックが待っていた。
イリシアは二人に近づき、特にセドリックを手招きした。
「少しこちらへ」
「は、はい!」
緊張した様子で近寄るセドリックに、イリシアは周囲に聞こえないよう小声で囁いた。
「リリアナのこと、よろしくお願いいたしますね」
セドリックが一瞬固まり、耳まで真っ赤になった。
「えっ!? な、ななな何のことでしょうか!?」
「ふふっ」
「わ、私はその……!」
「リリアナは優しい子ですもの。
きっと、支えてくださる方が必要になりますわ」
セドリックは真っ赤な顔のまま、背筋を伸ばして真剣に答えた。
「……はい。
必ず、彼女をお守りします」
その返答に、イリシアは満足そうに頷いた。
次にソフィアへ向き直る。
「ソフィア嬢」
「はい」
「国の状況は蜂を通じて定期報告をお願いいたします」
イリシアの指先から、淡い紫色の魔力が流れ、小さな蜂が現れた。
もちろん普通の蜂ではない。
イリシア製の真っ黒な体躯に、赤く輝く複眼を持つ影の使い魔だった。
その蜂はソフィアの肩に止まり、するりと彼女の影の中へと溶け込むように消えた。
「承知しました。フィリップ殿下の件も含めて、定期的に報告いたしますわ。
どうかお気をつけて」
ソフィアは真剣な眼差しで頷いた。
続いてアランへも同じように小鳥を渡した。
真っ黒な羽根と、赤い瞳の影の使い魔。
夜の闇に溶け込むように設計された、通信と偵察に特化した存在だった。
「兄様はこちらを」
「また変なものを作ったな」
アランは苦笑しながらも、手のひらに止まった小鳥を優しく受け取った。
「便利ですわよ?」
「知ってる」
アランが小鳥をひと撫ですると、それは羽ばたき、アランの影の中へと滑り込むように消えた。
「お前の作る物は大体便利だ」
「ええ、とても」
イリシアは微笑んだ。
最後に。
イリシアはリリアナの前へ立った。
妹は少し寂しそうな顔をしていた。
銀色の巻き毛が風に揺れ、大きな瞳に不安が浮かんでいる。
「お姉様……」
「そんな顔をしないで」
イリシアは優しく妹の頭を撫で、額に軽く自分の額を寄せた。
「きっとこれから良いことがありますわ」
「……そうでしょうか」
「ええ」
イリシアは迷いなく断言した。
「あなたはとても良い子なんですもの。
だから大丈夫。幸せになる資格が、ちゃんとありますわ」
リリアナの瞳が揺れ、涙がにじんだ。
「はい……」
その言葉に、リリアナは少しだけ涙ぐみながらも、精一杯の笑顔を浮かべた。
そして最後に、ヴィクトルが歩み寄ってきた。
「準備は整った」
「かしこまりましたわ」
イリシアが馬車へ乗り込むために踵を返すと、ヴィクトルが短く言った。
「エレナの件も問題ない」
イリシアは頷く。
「シャルロッテ殿下ですね」
「ああ」
ヴィクトルも小さく笑った。
「姉上が預かってくださる」
「なら安心ですわね」
シャルロッテほど頼れる人物も少ない。
イリシアは胸を撫で下ろした。
「それじゃあ」
ヴィクトルが馬車へ視線を向ける。
「行こうか」
秋風が吹いた。
金色の葉が一枚、ゆっくりと舞い落ちる。
王都。
教会。
断罪劇。
陰謀。
全てを置いて、彼らは旅立つ。
本来なら誰も辿らなかったはずの道へ。
本来なら救われなかった少女を救うために。
イリシアは馬車の扉の前で一度振り返った。
見送る人々。
大切な家族。
信頼できる仲間たち。
守りたい未来。
その全てを、青い瞳にしっかりと焼き付ける。
そして、いつものように優雅で、しかし芯の強い笑みを浮かべた。
「皆様、行ってまいりますわ」
馬車の扉が静かに閉まる。
蹄の音が響き渡り、車輪が石畳を軋ませた。
東へ。
遥か東方の島国──カミツ国へ。
こうして、王国の運命を変える旅が、静かに、しかし確実に始まった。
ついに第1部最終話!
これから東方の島国カミツ国へ向けて出発です!
ちなみにルヴァン王国の名前の由来はパンの名前です。
設定考えてた時、お腹すいてました。
次回の投稿は明日の7時頃を予定しております!
本作品はカクヨム、アルファポリスにて同時投稿をしております。
気が向いたらいいね、ブクマ、よろしくお願いいたします。




