第21話 王女への依頼
謁見が終わった後。
国王と王妃が退室し、ソフィアとセドリックもそれぞれの準備のために去っていった。
イリシアも一度その場を離れようとしたのだが──
「イリシア」
ヴィクトルに静かに呼び止められた。
「少しだけ待っていてくれないか」
「……?」
珍しい。
ヴィクトルがこのような言い方をする時は、大抵何か重要な考えがある。
「承知いたしましたわ」
イリシアは軽く一礼し、廊下の窓際へと移動した。
聞こうと思えば聞こえる程度の、しかし近すぎない絶妙な距離を取る。
その様子を見届けてから、ヴィクトルはまだ残っていた人物に声をかけた。
「姉上」
振り返ったのは第一王女シャルロッテだった。
優雅にまとめた金色の髪と、聡明で気品のある微笑みが印象的な美女。
「どうしました?」
「少し相談があります」
シャルロッテは弟の真剣な表情を見て、足を止めた。
「珍しいですね、ヴィクトルが私に相談とは」
「重要な話です」
王女は穏やかに頷いた。
「聞きましょう」
ヴィクトルは周囲に誰もいないことを確認してから、声を落とした。
「近いうちに、一人の女性を匿っていただきたいのです」
シャルロッテの細い眉がわずかに動いた。
「ほう?」
「教会関係です」
その一言だけで十分だった。
今の王城で最も敏感な話題である。
「名前は?」
「エレナ」
「……どういった方なのかしら?」
「アラン殿の事業団所属です。優秀な分析官で、今回の作戦でも大きな役割を担っています」
シャルロッテは腕を組み、興味深げに目を細めた。
「その女性がどうかしましたの?」
「現在、ある作戦に参加しています」
「作戦?」
「ええ」
ヴィクトルは慎重に言葉を選んだ。
「彼女は近いうちに非常に危険な立場になります。
教会から追われる可能性も高い。
その際、姉上のところに匿っていただけませんか?」
シャルロッテは少し考えた後、すぐに答えた。
「構いませんわ」
ヴィクトルがわずかに目を丸くする。
「理由も聞かずに?」
「貴方が頼む時点で、相応の事情があるのでしょう?」
シャルロッテは優雅に肩を竦めた。
「それに今の私も、教会絡みで忙しいですもの」
その言葉にヴィクトルの表情が少し曇った。
「フィリップの件ですね?」
王女の顔から笑みが消えた。
「ええ」
静かな声だったが、そこには明確な怒りが滲んでいた。
「正直に言うと、あの子を叩き直したい気持ちでいっぱいだわ」
「姉上……」
「ですが」
シャルロッテは一度目を閉じ、深く息を吐いた。
「私やあなたが知っているフィリップは、あのような子ではないはずよ」
「……」
「愚かではあるけれども、あそこまで愚鈍でもないもの。あなたも知っているでしょう?」
ヴィクトルはゆっくりと頷いた。
「俺も同意見です」
「やはりそう思う?」
「ええ」
ヴィクトルはさらに声を落とした。
「実はイリシアが言っていました。
フィリップの周囲に、何かしらの魔術あるいは催眠の痕跡が見えた気がすると」
シャルロッテの瞳が鋭く光った。
「……本当?」
「確信はないそうですが」
(正確にはイリシアはそんなことは言っていないが──)
ヴィクトルは内心でそう思った。
しかし彼は確信していた。
イリシアは何かに気づいている。ただ、口には出さないだけだと。
シャルロッテは長く息を吐いた。
「なるほど……」
「だから姉上」
ヴィクトルは真っ直ぐに姉を見つめた。
「フィリップを頼みます。
どんなやり方でも構いません。正気に戻してください」
シャルロッテはしばらく黙っていた。
やがて、ふっと笑う。
その笑みは美しかったが、どこか獰猛で、姉としての強い意志が宿っていた。
「任せなさい」
「出来れば手加減を……」
「努力はしますわ」
全く信用できない返答だった。
そしてシャルロッテは踵を返した。
「エレナの件も引き受けます」
「ありがとうございます」
「ただし」
王女は最後に振り返った。
「もし本当に誰かがフィリップに干渉していたのなら──」
金色の瞳が細くなり、冷たい輝きを帯びる。
「その者は覚悟してもらわないとですね」
それだけ言い残し、シャルロッテは優雅に去っていった。
静寂が戻る。
数秒後。
「お見事ですわね」
イリシアが静かに声をかけた。
ヴィクトルが振り返り、肩を竦めた。
「エレナの保護先を、今のミレイユ嬢がいる診療所にするか悩んでいたんだけど、姉上のところの方がよっぽど安全だと思ってね」
「それもそうですわね」
イリシアはくすりと笑った。
そしてヴィクトルの前で立ち止まった。
「それにしても」
青い瞳が細められる。
「嘘も方便という言葉はございますけれど」
「うん?」
「わたくしに責任を擦り付ける気ですの?」
ヴィクトルは楽しげに笑った。
「だって実際そうだったんだろ?」
「……」
一瞬、イリシアが黙り、視線をわずかに逸らした。
「まあ……」
小さな声で認める。
「そうでしたけど……」
「やっぱり」
ヴィクトルは満足そうに頷いた。
「君は本当に隠し事が下手だな」
「どの口が仰いますの」
「僕は上手いよ」
「いいえ、全然」
即答だった。
ヴィクトルが苦笑する。
イリシアも少しだけ、柔らかく笑った。
束の間の平穏。
だが二人とも分かっていた。
本当の戦いはこれからだ。
明後日には東方使節団が出立する。
ミレイユを守るため。
教会の闇を暴くため。
そして──この捻じ曲がった運命を変えるために。
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