第20話 王の感謝
断罪劇の翌日。
ルヴァン王国の朝の王都は、不気味なほど静かだった。
昨夜の騒動は、参加者全員に厳しい口止めが敷かれている。
表向きには、何事もなかったかのように日常が続いていた。
しかし、水面下では王国全体が静かに、しかし確実に動き始めていた。
その日、イリシアとリリアナは王命により登城していた。
王城へ続く長い石畳の回廊を、穏やかな朝の光が差し込んでいる。
隣を歩くリリアナの顔はまだ少し強ばっており、前を歩く兄アランが振り返った。
「緊張してる?」
リリアナは小さく苦笑した。
「少しだけ……ですわ」
「なら大丈夫だな」
「え?」
「本当に危険な時のお前は、緊張する余裕すらないから」
アランは軽く笑って言った。
その言葉に、リリアナの表情もわずかに和らいだ。
やがて謁見室の前へと到着した。
すると、既に数人の姿があった。
「おや」
一人の男性が振り返ると、イリシアが目を細める。
ソフィア・リュシアン。
その弟セドリック。
そして──第一王子ヴィクトル。
「おはよう、イリシア」
ヴィクトルが穏やかな笑みを浮かべた。
まるで昨夜の騒動など、なかったかのような落ち着きだった。
「おはようございます、殿下」
イリシアも優雅に礼を返す。
その隣では、リリアナとセドリックが視線を交わしていた。
「体調は?」
セドリックが静かに尋ねる。
「ええ、大丈夫ですわ……ありがとうございます」
「無理はしないでください」
「はい……」
その控えめで優しいやり取りを見ていたソフィアが、くすりと笑った。
「相変わらずですね、二人とも」
リリアナの頰が一瞬で真っ赤になる。
セドリックも少し視線を逸らした。
イリシアは扇子で口元を隠し、内心で微笑んだ。
(なるほど……これは思った以上に進展していますわね)
そんなことを考えていると、謁見室の重厚な扉が静かに開かれた。
「陛下がお待ちです」
一同は背筋を伸ばし、緊張した面持ちで中へ入った。
謁見室の奥、赤い絨毯の先の玉座には国王アレクシス・フォン・ルーヴェンが座していた。
その隣には王妃カタリナ、そして少し離れた場所に第一王女シャルロッテの姿もある。
全員が跪く。
「面を上げよ」
国王の声が、荘厳に響いた。
一同が顔を上げる。
国王はまず、リリアナに視線を向けた。
「リリアナ・ヴァルモンド公爵令嬢」
「はい……」
「まず伝えるべきことがある」
リリアナは息を呑んだ。
国王は静かで、しかし重みのある声で告げた。
「第二王子フィリップには、謹慎を命じた」
謁見室に緊張した静寂が落ちる。
「現在、王家による正式な調査が行われている」
「……はい」
「そして昨夜の婚約破棄についてだが」
国王の声音は穏やかになった。
「王家は、あの婚約破棄を正式なものとして認めていない」
リリアナの肩が小さく震えた。
国王は続けた。
「しかし、お前が望むのであれば、王家側の責任として婚約を正式に解消することも認める」
リリアナが目を見開いた。
「それは……」
「無理に婚約を継続させるつもりはない」
王妃カタリナが優しく、母のような温かさで言った。
「よく考えなさい。答えは急がなくて良いのです」
リリアナは深く頭を下げ、震える声で答えた。
「ありがとうございます……陛下、王妃様」
国王は静かに頷き、今度はイリシアへと視線を移した。
「次だ」
イリシアは背筋を伸ばした。
「東方視察の件についてだが」
「はい」
「予定通り進める」
イリシアがわずかに瞬きをした。
国王はさらに続けた。
「使節団の編成も承認した。出立日は明後日。変更はない」
イリシアは深く頭を下げた。
「ありがたき幸せに存じます」
「ただし」
国王が少しだけ口元を緩めた。
「無理はするな」
「……はい?」
珍しく間の抜けた返事になってしまった。
その様子に、シャルロッテが小さく吹き出した。
「ふふっ」
国王は腕を組み、穏やかながらも真剣な眼差しで言った。
「お前は何でも一人で背負おうとする癖がある」
「……」
「その癖は改めろ」
図星だった。
イリシアが珍しく言葉に詰まる。
すると、王妃が優しく微笑んだ。
「昨夜のことですよ、イリシア嬢」
「え?」
「貴女とソフィア嬢が、我々が来るまでの時間を稼いでくれたのでしょう?」
イリシアが固まった。
ソフィアも目を丸くする。
国王が静かに頷いた。
「王族を甘く見るな。アラン子爵からの報告だけではない。
昨夜のお前達の立ち回りは、見事だった」
「……」
「特にイリシア・ヴァルモンド公爵令嬢よ」
国王の声が、わずかに柔らかくなった。
「王家を代表して礼を言う。
時間を稼いでくれて感謝する」
イリシアの紫水晶色の瞳が、わずかに揺れた。
王に直接感謝されるなど、予想していなかった。
「そしてソフィア・リュシアン公爵令嬢」
「は、はい!」
「冷静な法的指摘は、王家だけでは作れなかった流れだった。
よくやってくれた」
ソフィアも驚いた表情で、深く頭を下げた。
「光栄に存じます」
謁見室に、穏やかでありながら温かい空気が流れた。
明後日。
東方交易使節団は出立する。
その旅には、
王国の未来と、
一人の少女を救う希望を乗せて。
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