第19話 崩ゆく計画
国王アレクシス・フォン・ルーヴェンの一言により、煌びやかな夜会はその場でお開きとなった。
楽団は演奏を止められ、給仕たちは静かに下がらされ、色鮮やかなドレスをまとった貴族たちは、浮かれていた表情を強ばらせたまま立ち尽くしていた。
先ほどまで華やかな祝宴の舞台だった大広間には、今や重苦しく淀んだ空気だけが残っていた。
国王アレクシスは、集まった貴族たちをゆっくりと見渡した。
その視線は冷たく、しかし圧倒的な威厳を帯びている。
「本日の件については、王家預かりとする」
誰一人として声を上げる者はいなかった。
「ここにいる全員に命じる」
低く、重い声が広間に響き渡る。
「本件を外部へ口外することを禁ずる。
後日、改めて事情聴取を行う。証言の内容に虚偽があった場合、王家への反逆とみなす」
貴族たちの顔色が一斉に変わった。
単なる宮廷の醜聞では終わらない。
これは明確に国家案件へと格上げされたのだ。
「よいな?」
誰も逆らえなかった。
全員が深く頭を垂れる。
「御意にございます……」
こうして、第二王子フィリップによる婚約破棄騒動は、王家によって強制的に幕を閉じられた。
だが、それは終わりではなかった。
むしろ、新たな嵐の始まりだった。
◇
王城からの帰路。
クラリッサは馬車の中で、爪が掌に食い込むほど拳を強く握りしめていた。
怒りで、悔しさで、そして底知れぬ恐怖で、手が小刻みに震える。
(どうして……どうしてこうなったの……!)
本来なら。
今頃はすべて計画通りのはずだった。
リリアナは失脚し、
フィリップは自分の婚約者となり、
自分は王族の座に一歩近づいていた。
なのに──
頭に浮かぶのは一人の女性。
月光のような銀髪。
冷たく澄んだ青い瞳。
優雅で、しかし底知れぬ計算を秘めた微笑み。
イリシア・ヴァルモンド。
クラリッサは奥歯を強く噛み締めた。
唇の端から、血の味が広がる。
「あの女……!」
爪が掌に深く食い込み、血が滲む。
「全部……全部あの女のせい……!」
怒りが収まらない。
しかし胸の奥にあるのは、怒りだけではなかった。
理解できないほどの恐怖。
まるで最初から全てを見通されていたかのような、あの女の動き。
一歩先、二歩先──
いや、もっと遥か先を読まれていたような感覚。
クラリッサは思わず身震いした。
◇
やがて馬車は教会へと到着した。
夜更けの教会は、静まり返っていた。
最上階の豪奢な私室。
普段なら神聖さと権威を象徴する調度品で飾られた部屋だったが、今夜はその主の優雅さは欠片も残っていなかった。
「どうして……!」
ガシャンッ!
高価な花瓶が床に叩きつけられ、陶器の破片が飛び散った。
クラリッサは肩で荒く息をしていた。
美しい顔は怒りで醜く歪み、瞳には焦燥と狂気が浮かんでいる。
「どうしてあんなことになったのよ!」
机の上の銀杯を掴み、壁に向かって投げつける。
甲高い音が部屋に響き渡る。
フィリップとの計画は完璧だったはずだ。
公開での婚約破棄。
リリアナの断罪。
そして自分が新たな婚約者として脚光を浴びる──
その瞬間から、王族への道が開けるはずだった。
なのに、全てが壊された。
脳裏に浮かぶのは、再びあの銀髪の令嬢。
イリシア・ヴァルモンド。
「イリシア……!」
爪が掌に深く食い込み、血が滲む。
どうしてあの女は邪魔をするのか。
どうして皆、あの女ばかりを見るのか。
どうして、私じゃないの──
そんな時だった。
部屋の扉が、重々しく開かれた。
冷たい気配が、部屋に流れ込む。
クラリッサは慌てて振り返った。
「バルタザール様!」
現れたのは、保守派の頂点に立つ枢機卿バルタザール・グレゴリオ。
しかしその顔に浮かんでいたのは、慈愛などではなかった。
冷笑と、明らかな軽蔑だった。
「無様だな」
クラリッサの身体が凍りついた。
「え……?」
「計画は完璧だったのでしょう?」
「そ、それは……」
「なら何故、失敗した?」
淡々とした声。
しかし恐ろしいほど冷たい。
クラリッサは唇を震わせた。
「イリシアが……あの女が邪魔を──」
「言い訳か?」
一蹴された。
「違います!王族まで出てきて……想定外だったのです!」
バルタザールは鼻で笑った。
「想定外を想定できぬ者が、策など語るな」
クラリッサが言葉を失う。
バルタザールは彼女を見下ろすように、冷ややかに言った。
「失敗した理由は単純だ。
お前の采配が悪かった」
その瞬間、クラリッサの顔色が激変した。
「な……」
「フィリップは操りやすかった。
証人も用意した。舞台も整えた。
それを潰された」
冷たい瞳は、まるで虫を見るようだった。
「結局、お前が無能だったというだけだ」
クラリッサの肩が激しく震えた。
呼吸が乱れ、視界が滲む。
だがバルタザールは一切気に留めなかった。
「しばらく部屋から出るな」
「え……?」
「王家が動いている。余計な真似をされては困る」
「で、ですが──」
「黙れ」
低い、威圧的な声。
その瞬間、クラリッサは本能的に理解した。
逆らってはならない、と。
「お前はそこで大人しくしていろ。
必要になれば呼ぶ。それまで何もするな」
そう言い残し、バルタザールは冷たく去っていった。
扉が閉まる。
重い静寂が部屋を包む。
数秒。
十数秒。
そして──
ぷつりと、何かが切れた。
「……何よ」
小さな、掠れた声。
「何なのよ……!」
机の上のものをなぎ倒す。
椅子を蹴り倒す。
鏡を叩き割る。
「私が悪い!?」
呼吸が荒くなる。
「私が無能!?」
胸の奥が焼けるように熱い。
「全部あいつのせいじゃない!」
苛立ち。
焦り。
理由の分からない渇き。
喉の奥が、異様に熱い。
「……あれ?」
クラリッサは胸を押さえた。
最近、ずっと感じている感覚。
妙な飢え。
妙な渇き。
理由は分からない。
だが、日ごとに強くなっていた。
窓ガラスに映る自分の姿を見る。
乱れた紫色の長い髪。
歪んだ表情。
充血した瞳。
その姿は、聖女とは程遠かった。
「……嫌」
ぽつりと零れた声。
しかし、誰も答えない。
広い部屋には、彼女一人しかいなかった。
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