第14話 救い出すための手
王都教会地下牢。
湿った石壁が冷たい空気を纏い、鉄錆と血の混じった重苦しい臭いが鼻を突く。
薄暗い灯りが、壁に刻まれた古い傷跡をぼんやりと浮かび上がらせていた。
その牢の奥で、ミレイユ・アンサリオはぼんやりとこちらを見つめていた。
淡いピンクブロンドの髪は乱れ、輝きを失っていた。
小柄な身体は極端に痩せ細り、鎖骨や手首の骨が浮き出ている。
そして喉──幾重にも刻まれた、無残な傷跡が、彼女がこれまで受けてきた苦痛を無言で語っていた。
「……」
ジュリアン・アルヴァンは拳を強く握りしめた。
怒りが全身を震わせそうになるのを、必死に堪える。
今は感情に流される時ではない。
救出が最優先だ。
「ルーク、ミーナ」
低く、抑えた声で呼びかける。
「頼む」
「ああ」
「はい」
ルークは短く頷いた。
すぐ隣でミーナも無言で準備を始める。
二人はアラン直属の精鋭。潜入、偽装、諜報──そういった裏の仕事を専門とする者たちだった。
ミーナがしゃがみ込み、特殊な針金で鍵をピッキングする。
カチリ、という小さな音と共に、重い鉄格子の扉が静かに開いた。
ミーナはゆっくりと牢内に入り、ミレイユの前にしゃがみ込んだ。
彼女はできる限り優しい笑顔を浮かべ、穏やかな声で語りかけた。
「怖がらなくていいよ……もう大丈夫」
もちろん返事はない。
喉を潰されているのだ。
それでもミレイユは小さく瞬きをし、ミーナの顔をぼんやりと見つめた。
ミーナはそっと、少女の冷たい手を握った。
「助けに来たよ」
その一言だけだった。
だがその言葉を聞いた瞬間、ミレイユの虚ろだった若葉色の瞳が、わずかに大きく揺れた。
助け。
その言葉を、何度夢に見ただろう。
何度、祈っただろう。
もう誰も来ない。
誰も助けてくれない──そう思い続けていた日々。
それなのに、今、目の前にいる。
自分を助けるために、危険を冒してここまで来た人たちが。
ミレイユの目から、ぽろりと大粒の涙が零れ落ちた。
声にならない嗚咽が、喉の傷を震わせる。
ミーナはその小さな背を優しく撫で、抱きしめるように包み込んだ。
「うん、もう大丈夫。ここから出ようね」
同時に、牢の奥の影から一人の女性が静かに歩み出た。
ジュリアンが振り向かずに名前を呼ぶ。
「エレナ」
そこにいたのは、既に数日間潜伏を続けていたエレナだった。
彼女は軽く肩を竦め、いつもの淡々とした調子で言った。
「思ったより早かったね」
「そりゃ急いだからな」
「助かったよ」
エレナは笑ったが、その顔には明らかな疲労の色が滲んでいた。
一人で教会深くに潜伏し続けるのは、想像以上に過酷だったはずだ。
「じゃあ、始めようか」
ルークが言った。
ミーナがミレイユを椅子に座らせ、エレナもその向かいに腰を下ろす。
二人を中心に、複雑な魔法陣が床に広がった。
「少し気持ち悪くなるかもしれないけど、我慢してくれ」
ルークが優しく告げる。
ミレイユは小さく頷いた。
ルークとミーナが懐から銀色の小さなケースを取り出す。
蓋を開けると、淡く光る特殊な粉末が現れた。
「変装術式、展開」
「二人を入れ替えるよ〜」
ルークが魔力を流し込む。
青白い光が地下牢を明るく照らし、魔法陣が複雑に回転する。
光が弾け、二人の身体を包み込んだ。
数秒後──光が収束した。
そこに立っていたのは、
ミレイユの姿をしたエレナ。
そして、エレナの姿をしたミレイユだった。
ジュリアンが感心したように低く呟いた。
「すげぇな……」
「専門ですからね」
ミーナが胸を張る。
ルークも満足そうに頷いた。
「完璧だ。声以外は、ほぼ見分けられない」
エレナ(ミレイユの姿)は、自分の姿になったミレイユをじっと見た。
そして少しだけ真剣な顔になり、しゃがみ込んだ。
「いい?」
ミレイユの前に視線を合わせ、静かに語りかける。
「今から私は、あなたになる。私はここに残る」
ミレイユの瞳が大きく揺れた。
「大丈夫」
エレナは優しく笑った。
「私一人なら、何とかなる頃合いを見て脱出できるから」
そう言って、自分の胸を親指で軽く指した。
「こう見えて、結構強いんだよ?」
冗談めかした口調だったが、その瞳の奥にある覚悟は本物だった。
ミレイユの瞳から、再び涙が溢れ出した。
エレナは優しくその頭を撫で、額にそっと触れた。
「だから、今度はあなたが生きる番」
その言葉に、ミレイユは何度も何度も頷いた。
声は出ない。
けれど「ありがとう」と、精一杯伝えようとしているのが、はっきりと分かった。
「よし」
ルークが立ち上がった。
「時間だ」
ジュリアンも頷き、ミレイユ(エレナの姿)の前にしゃがみ込んだ。
「乗れ」
ミレイユが戸惑う。
「早く。走るから、俺が背負った方が速い」
ミレイユはおずおずと、細い腕をジュリアンの背中に回した。
あまりにも軽い。
こんな身体になるまで、どれだけの残酷な扱いを受けてきたのか。
ジュリアンは奥歯を強く噛み締めた。
絶対に助ける。
必ず。
「しっかり掴まれ」
ミレイユが小さく頷く。
ジュリアンは立ち上がり、軽いがそれと同時に背中に少女の重みを感じた。
それは決して負担ではなかった。
救うべき命。守るべき未来。その証だった。
ルークが牢の外を確認し、ミーナが通路を警戒する。
そして三人は振り返った。
牢の中には、ミレイユに変装したエレナが立っていた。
「またね」
エレナが笑う。
いつも通りの、何でもないような笑顔だった。
ルークが頷き、ミーナが小さく手を振る。
ジュリアンは真っ直ぐ彼女を見据えた。
「絶対に戻ってこいよ」
「もちろん」
即答だった。
「私を誰だと思ってるの?」
その言葉に、全員が短く笑った。
短い時間だったが、十分だった。
ルークが静かに告げる。
「撤収するぞ」
その瞬間、四人は動き出した。
地下牢から。
本物の聖女を連れて。
運命を変えるために。
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明日からは7時と20時に1話ずつ、計1日2話を予定しております!
次回の投稿は明日の7時頃を予定しております!
本作品はカクヨム、アルファポリスにて同時投稿をしております。
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