第13話 断罪劇とその裏
楽団の奏でる優雅な旋律が、王城の大広間を華やかに満たしていた。
シャンデリアの無数の燭光が、宝石を散りばめた貴族たちのドレスや軍服を輝かせ、ワイングラスが触れ合う音と笑い声が絶え間なく響く。
誰もが今夜を、第二王子フィリップの生誕を祝う、華やかで平穏な夜になると信じていた。
だが、イリシア・ヴァルモンドだけは違った。
隣に立つヴィクトルも。
遠くから視線を送るソフィアはも。
そして王城と教会の離れた場所で待機するジュリアンたちも──
今夜が、長い戦いの始まりであることを知っていた。
だからこそ、フィリップがクラリッサを伴って大広間に姿を現した瞬間、イリシアは静かせに長い息を吐いた。
(始まりますわね……)
予想通り。
何一つ変わっていない。
その時、フィリップが大広間の中央へと歩み出た。
楽団の演奏が、不意に途切れれる。
優雅な旋律に身を委ねていた貴族たちが、一斉に顔を上げる。
何事かと視線が集中する先──第二王子フィリップと、その隣に立つ聖女クラリッサの姿があった。
イリシアは静かに目を伏せた。
──やはり。
ここまでは、全てゲームの記憶通り。
5ヶ月もの時間を費やして準備した計画が、今、動き出す。
イリシアの扇子の向こうでヴィクトルがわずかに頷く。
ソフィアも遠くから冷静な視線を送っていた。
離れた教会では、ジュリアンたちが既に動き始めているはずだ。
フィリップが一歩前に出た。
「楽団は演奏を止めよ」
命令が広間に響き渡る。
指揮者が杖を下ろし、音楽が完全に消えた瞬間、大広間は不気味なほど静まり返った。
フィリップは満足げに周囲を見渡し──
「リリアナ・ヴァルモンド」
その名を呼んだ。
会場の空気が、一瞬で張りつめた。
リリアナの小さな肩が、ぴくりと震えた。
隣に立つセドリックが咄嗟に支えようとするが、リリアナは小さく首を振り、自分で立とうとした。
フィリップは冷たい声で宣告した。
「今宵をもって、お前との婚約を破棄する」
どよめきが一気に広がった。
貴族たちがざわつき、貴婦人たちが顔を見合わせる。
リリアナは必死に涙を堪え、唇を震わせていた。
そんな妹を見つめながら、イリシアは静かに扇子を閉じた。
──大丈夫。
──予定通りですわ。
指先をわずかに動かす。
誰にも見えない小さな魔法陣が一瞬だけ輝いた。
◇
王城の別室では、通信鏡が淡い光を放っていた。
『始まりましたわ』
イリシアからの短い伝達。
それだけで十分だった。
アランは即座に国王への報告を開始する。
◇
同時刻。
王都教会の地下。
湿った冷たい空気と、鉄の錆びた臭いが充満する暗い回廊。
ラファエルが意図的に作った警備の空白──その数分間だけが勝負だった。
ジュリアン、ルーク、ミーナの三人は闇に紛れ、音もなく地下深くへと進んでいた。
◇
一方、大広間では断罪劇が本格的に始まっていた。
「リリアナ・ヴァルモンドは、聖女クラリッサに対し数々の侮辱を行った!」
フィリップの声が響き渡る。
「さらには禁忌である闇魔法の研究にも関与し、王家への反逆すら企てていた!」
リリアナの顔が真っ青になった。
「違います……!
わたくしはそのようなことなど──」
震える声で否定するが、フィリップは聞く耳を持たない。
その虚ろな瞳を見て、イリシアは確信した。
──間違いない。
──殿下は、完全に操られている。
クラリッサが悲しげな表情を浮かべて前に出た。
「わたくしは……耐えて参りました……」
完璧な演技で涙を流す。
知らぬ者が見れば、心を打たれるほどの可憐さだった。
しかしイリシアには、その瞳の奥に宿る冷たい計算高さがはっきりと見えていた。
「リリアナ様は何度もわたくしを『偽物』と呼び、聖女の務めを嘲笑い、わたくしを傷つけ続けたのです……」
周囲から同情の溜息と非難の声が上がる。
そして、用意された証人たちが次々と現れた。
「私も聞きました!」
「確かに目撃しております!」
「聖女様への暴言を繰り返し……!」
偽証が次から次へと並べられる。
予定通りの茶番劇。
フィリップは勝ち誇ったように宣言した。
「よって私は、リリアナ・ヴァルモンドとの婚約を正式に破棄する!」
会場が大きく揺れた。
そして彼はクラリッサの手を取り、高らかに告げた。
「さらに、新たな婚約者として聖女クラリッサを迎えることを、ここに宣言する!」
歓声は起きなかった。
誰もが困惑し、重苦しい沈黙が大広間を覆う。
あまりにも唐突で、不自然な展開だった。
その沈黙の中で。
月光を思わせる銀髪の乙女が、一歩前に出た。
イリシア・ヴァルモンド。
ヴィクトルが静かに息を吐く。
──ここからだ。
本当の戦いが、今、始まる。
イリシアはリリアナの前に立ち、優雅に一礼した。
「第二王子殿下」
その声は静かだったが、広間の隅々まで響き渡った。
「ひとつ、確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
フィリップが眉をひそめた。
「何だ」
「今回の婚約破棄は、王家の正式なご判断という認識でよろしいのでしょうか?」
空気が変わった。
フィリップがわずかに言葉を詰まらせる。
イリシアは逃さない。
「国王陛下の裁可は?
王妃殿下はご存知で?
我が婚約者でもあるヴィクトル王太子殿下は?
殿下の姉君であられるシャルロッテ王女殿下は?
我が父エドガー・ヴァルモンド公爵との事前協議は?」
一つ、また一つ。
積み上げられる的確な問い。
フィリップの額に汗が滲み始める。
会場の貴族たちも、ようやく気づき始めていた。
おかしい。
何かが、決定的におかしい。
その時、イリシアの耳元で小さな影の使い魔『小鳥』が囁いた。
『蝶が地下牢到達、対象確認』
心臓が大きく脈打った。
蝶──救出部隊の合図。
滞りなく進んでいることに安堵しつつ、顔には一切出さない。
扇子をわずかに傾ける。
それが、次の合図だった。
別の小鳥が飛び立つ。
ラファエルへ。
アランへ。
そして教会の地下へ。
作戦は第二段階へと移行した。
◇
一方──
王都教会地下。
重い鉄格子の牢獄の扉を開けた瞬間、ジュリアンたちは言葉を失った。
湿った石の床。
薄暗い灯り。
鉄の臭いと血の匂い。
鉄格子の向こうにいたのは、一人の少女。
淡いピンクブロンドの髪が乱れ、華奢な体はすっかり痩せ細り、骨が浮き出ている。
虚ろな若葉色の瞳は何も映さず、ただ虚空をぼんやりと見つめている。
そして喉──幾重にも刻まれた、無数の古い傷と新しい傷跡。
ミーナが息を呑んだ。
ルークが拳を強く握りしめた。
ジュリアンは歯を食いしばり、低く怒りに震える声で呟いた。
「……ふざけんなよ」
少女はゆっくりと顔を上げた。
かすかに光を失った瞳が、三人を映す。
声は出ない。
それでも、その姿だけで十分だった。
イリシアの記憶にあった通り。
本来、この世界を救うはずだった少女──本物の聖女、ミレイユ・アンサリオ。
その瞬間。
王都最大の茶番劇と、
王国最大の救出作戦が、
完全に動き始めたのだった。
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