第12話 傍にいる人
断罪劇の日は、刻一刻と近づいていた。
王都ルヴァンは、第二王子フィリップの生誕祭に向けた華やかな準備に沸いていた。
街路には色とりどりの旗がはためき、市場では特別な菓子や宝石が並び、王城では夜通しで照明と装飾の最終確認が行われていた。
夜会に向けた貴族たちの浮ついた空気が、王都全体を覆っている。
だが、その華やかさとは裏腹に、リリアナ・ヴァルモンドの表情は日に日に曇っていった。
以前ならば毎週のように届いていたフィリップからの手紙は、ぱったりと途絶えていた。
お茶会の誘いもない。
王城の廊下で偶然顔を合わせても、彼の態度はどこか他人行儀で、目が合ってもすぐに逸らされる。
理由は分からない。
けれど、確実に何かが変わってしまっている──それだけは、はっきりと感じていた。
心のどこかで、冷たい予感が芽生え始めていた。
◇
ある日の午後。
リュシアン邸にある薔薇庭園を、イリシアはソフィアと共に静かに歩いていた。
初夏の風が甘い花の香りを運び、木漏れ日が石畳の小道に柔らかな模様を描いている。
ふと視線を向けると、東屋の白いベンチで、リリアナとソフィアの弟・セドリック・リュシアンが話している姿が見えた。
リリアナは力なく微笑みながら、何かを話している。
セドリックは穏やかな表情で耳を傾け、時折優しい言葉をかけていた。
その横顔には、ただ彼女を気遣うだけの、静かな優しさが溢れていた。
その光景を見つめながら、イリシアは隣のソフィアに小さく問いかけた。
「ソフィア嬢」
「はい?」
「もしかして……セドリック様は」
言葉の続きを言う前に、ソフィアがくすりと笑った。
「あら、ようやく気づきました?」
イリシアは目を瞬いた。
「やはり……」
「ええ」
ソフィアは弟の方へ視線を向け、穏やかに言った。
「リリアナ様とフィリップ殿下の婚約が決まる前からですよ。
もうずいぶん長い間、想い続けています」
イリシアは絶句した。
「そんな……わたくし、全然気づきませんでしたわ……」
「でしょうね」
ソフィアは即答し、呆れたような視線を向けた。
「イリシア嬢は、そういうところ本当に鈍いですもの」
「えっ」
「えっ、ではありません」
イリシアは納得がいかない顔をしたが、ソフィアは肩を軽く竦めた。
「もっとも、セドリックの片思いです。本人も十分に分かっています。
リリアナ様が幸せなら、それでいい──そう言っていました」
イリシアは再び東屋へ視線を移した。
無理に笑顔を作ろうとしている妹の姿。
その隣で、何も求めず、ただ静かに寄り添う青年。
胸の奥が、じんわりと痛んだ。
「……そう、ならば」
イリシアは静かに頷いた。
「わたくしが使節団として出立した後の、リリアナの支えはセドリック様にお願いできそうですわね」
ソフィアは優しく微笑んだ。
「きっと喜びますよ。
弟は昔から、リリアナ様のことになると妙に頑張るんです」
「そうですの」
「ええ」
そしてソフィアは、意味深に付け加えた。
「誰かさんと似ていますね」
イリシアは首を傾げた。
「?」
「……いえ、なんでもありません」
ソフィアは小さくため息を吐いた。
(本当に鈍い……ヴィクトル殿下も大変ですね)
心の中でそう思いながら。
◇
そして──運命の日が訪れた。
第二王子フィリップの生誕祭。
王都中の貴族が集う、盛大で華やかな夜会。
本来であれば、婚約者であるフィリップがリリアナを迎えに来るはずだった。
しかし、どれだけ待っても彼は現れない。
控室で一人立ち尽くすリリアナは、必死に平静を装っていた。
季節に合うようにとあつらえた濃い黄色のドレスはフィリップ王子の蜂蜜色の金瞳に合わせるようにしたものだ。
リリアナはそのドレスが震えるほど手を強く握りしめ、誰に言うでもなく小さく呟く。
「……きっと、お忙しいのよね」
声には力がない。
その時、控室の扉が控えめにノックされた。
「失礼します」
入ってきたのはセドリック・リュシアンだった。
「リリアナ様」
「セドリック様……」
彼は優雅に一礼し、少し困ったように、しかし穏やかに微笑んだ。
「失礼を承知で申し上げます。
殿下がお見えにならないようですので……」
静かに右手を差し出した。
「今夜だけは、私がエスコート役を務めてもよろしいでしょうか?」
リリアナは目を見開いた。
セドリックはいつも通り、穏やかだった。
彼の胸ポケットに入っているハンカチの色、そして小物一つ一つが自分のドレスと同じ色である事にも気づいた。
彼女が一人にならないように、気を使ってくれてそっと隣に立ってくれる。
何も聞かず、何も責めることはしない。
その純粋な優しさに、リリアナの目に熱いものが滲んだ。
「……ありがとうございます、セドリック様」
「喜んで」
セドリックは優しく微笑み、手を取った。
リリアナはまだ知らない。
この夜が、自らの運命を大きく変える夜になることを。
◇
一方、会場の別室では。
銀髪の令嬢──イリシア・ヴァルモンドが静かに目を閉じていた。
ついに来た。
5ヶ月前から準備し続けた、この日。
ミレイユ救出作戦。
そしてフィリップによる断罪劇。
全てが今夜、動き出す。
イリシアの青い瞳が、ゆっくりと開かれた。
その奥には、冷たい決意と、静かな覚悟が燃えていた。
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