第11話 エレナの提案
王城の一室。
東方交易使節団の最終調整会議が行われていた。
大きな楕円形の机の上には、大陸地図や教会の見取り図、警備配置表、旅程表が広げられ、羊皮紙の山が積み上がっている。
室内の空気は張りつめつつも、静かな集中力に満ちていた。
イリシア
ヴィクトル
ソフィア
ジュリアン
そしてアランの事業団から参加した
ルーク
エレナ
ミーナの面々が机を囲んでいた。
「では改めて確認いたしますわ」
イリシアが最後の書類を丁寧に閉じた。
銀髪がわずかに揺れ、青い瞳が全員を順に見渡す。
「東方交易使節団の正式な随行員は、わたくし、ヴィクトル殿下、ジュリアン様、ルーク、エレナ、ミーナの六名です。
他に表向きの護衛や使用人として、別働の者たちも同行しますが、核心に関わるのはこのメンバーとなります」
その言葉に、誰も異論を唱えなかった。
しかし、一人だけ静かに手を挙げる者がいた。
エレナだった。
「その件なんだけど……」
全員の視線が一斉に彼女に集まった。
エレナは紺色の髪を軽く耳にかけて、申し訳なさそうに、しかしはっきりとした声で言った。
「私、使節団は辞退したい」
部屋の空気がわずかに揺れた。
ルークが眉をひそめ、腕を組む。
「理由は?」
エレナは迷うことなく答えた。
「使節団として向かう私の枠を、ミレイユさんに使いたいから」
一瞬の沈黙。
最初に反応したのはジュリアンだった。
「……なるほど」
彼はすぐに提案の意図を理解し、水色の瞳を鋭く細めた。
イリシアも静かに視線を向け、穏やかに促した。
「続けてくださいな、エレナ」
エレナは頷き、淡々と、しかし論理的に説明を始めた。
「別の案を考えていたなら申し訳ないんだけど……
私自身は教会に顔が割れていない。だから替えが効く。でもミレイユさんは違う。
もし救出に成功したとしても、使節団の出発は救出日の4日後……すぐに居ないことがバレてしまうから、彼女をそのまま国外へ連れ出すのは危険すぎる」
ソフィアが小さく頷いた。
確かにその通りだった。
保守派は血眼になって捜索するだろう。
特に本物の聖女の血を必要としている者たちにとって、ミレイユの消失は致命的だ。
エレナはルークとミーナの方を見た。
「二人の変装技術なら、可能なはず」
ミーナが目をぱちくりさせた。
「何を……?」
「ミレイユさんを私に変装させて、私をミレイユさんに変装させるの」
部屋が静まり返った。
ルークが口元を押さえ、低く笑った。
「……できるな」
「できますね」
ミーナも即答した。
顔立ち、髪色、体格、声のトーン、仕草──全てを調整すれば、十分に実現可能だった。
エレナはさらに続けた。
「だから私は救出部隊とは別働で、前もって教会の見習い修道女として潜入する。
救出隊がミレイユさんと会ったタイミングで私がミレイユさんと入れ替わりに、そしてそこに残る」
全員が息を飲んだ。
エレナの青緑色の瞳は、まっすぐで迷いがなかった。
「教会には偽物のミレイユさんが残る。
頃合いを見計らって私が脱獄する頃には、本物は既に王都から遠く離れているはず」
提案は恐ろしいほど理にかなっていた。
しかし同時に、極めて危険を伴うものだった。
イリシアだけは、別の部分を深く気にしていた。
「危険ですわよ、エレナ」
静かな、しかし強い声だった。
「見つかれば確実に拘束されます。最悪の場合……命の保証はありませんわ」
「分かってる」
エレナは穏やかに頷いた。
しかしその唇には、静かな笑みが浮かんでいた。
「だから、私がやるの」
その言葉に、一切の迷いはなかった。
「それにね」
エレナは軽く肩を竦めた。
「私なら転移魔法が一回だけ使える」
ジュリアンが顔を上げた。
「一回だけ?」
「うん。距離にも制限があるし、その後はほぼ魔力切れになる。
でも私一人なら、十分に逃げられるはず」
ルークが腕を組んで低く唸った。
「賭けだな」
「賭けだね」
エレナは静かに笑った。
「でも成功率は高いと思う」
長い沈黙が落ちた。
やがてイリシアが小さく息を吐き、青い瞳を細めた。
「……まったく」
呆れたような、しかしどこか優しい声。
「わたくしの周囲はどうしてこう、自分を軽く扱う方ばかりなのでしょう」
エレナが苦笑する。
「怒った?」
「ええ、少しは」
「でもお互い様だよ」
即答だった。
全員が少しだけ身構えたが、次の言葉は予想外に温かかった。
「ですが」
イリシアは軽く指を鳴らした。
ぱちん。
その瞬間、床に落ちていた影がわずかに波打ち、黒い小さな何かが現れた。
それはするするとイリシアの体を登り、手の甲の上にちょこんと座った。
リスの形をした黒い体に、赤く輝く目を持つ使い魔だった。
「この子をお連れなさい」
エレナが目を丸くした。
「え?」
「リス型の使い魔、エルナトと言いますの。保険ですわ」
イリシアは淡々と、しかし確かな優しさを含んだ声で続けた。
「例えば防御結界、拘束魔法、封印術……そういった類のものに閉じ込められた場合に備えて」
リスはするりとエレナの影の中へ潜り込んだ。
音もなく、影に溶け込むように。
「その子を使いなさい。
ある程度なら命令も聞きます。結界の破壊、緊急脱出、通信、護衛──その程度なら可能ですわ」
エレナが目を見開いた。
「そんな大事な使い魔を……?」
イリシアは肩を軽く竦めた。
「大事だからですわ」
その場にいた全員が、言葉を失った。
イリシアは静かに、しかし力強く続けた。
「あなたも、ミレイユ様も、誰一人として失うつもりはありません」
それは命令ではなく、未来の王太子妃としてではなく──
イリシア・ヴァルモンド個人の、揺るぎない意思だった。
「ですから」
彼女は優しく微笑んだ。
「必ず帰ってきなさいな、エレナ」
その言葉に、エレナは少しだけ目を潤ませながら、穏やかに笑った。
「うん、任せて」
こうして──
ミレイユ救出作戦の最後の歯車が、静かに、しかし確実に噛み合ったのだった。
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