第10話 東方使節団
翌日、王宮応接室。
午後の柔らかな日差しが、大きな窓から差し込んでいた。
重厚な絨毯と王家の紋章が刻まれた調度品が並ぶ室内は、静かで荘厳な雰囲気に満ちている。
呼び出しを受けたイリシア・ヴァルモンドは、緊張を抑えながら静かに扉を開いた。
室内には国王アレクシス・フォン・ルーヴェンと、第一王子ヴィクトルの姿があった。
二人の視線を感じ、イリシアは優雅にドレスの裾を摘み、深く礼を取った。
「陛下、お呼び立ていただき光栄に存じます」
「楽にせよ」
国王は低く、威厳のある声で言った。
彼はイリシアをじっと見つめ、しばしの沈黙を置いた。
やがて、静かな声が響く。
「ヴァルモンド家の令嬢よ」
「はい」
「お前は未来の王太子妃候補だ」
イリシアは黙って続きを待った。
海を閉じ込めたような蒼の瞳に、わずかな緊張が宿る。
「故に余は、お前に一つ問いかけたい」
「なんなりと、お答えいたします」
「お前はこの国しか知らぬまま、王妃となるつもりか?」
その問いに、イリシアの瞳がわずかに揺れた。
国王はゆっくりと続けた。
「王妃とは、国の母である。
国内だけを見ていては務まらぬ。
他国を知り、文化を知り、政治の機微を知り、民の暮らしを知る──それら全てがお前の糧となり、未来の王国を支える礎となる」
そう言いながら、国王は机の上に一通の書類を置いた。
王家の金色の紋章が大きく刻まれた、正式な任命文書だった。
「イリシア・ヴァルモンド。
お前を東方交易使節団の代表に任命する。
カミツ国との外交交渉を命ずる」
その瞬間、イリシアの瞳がわずかに見開かれた。
カミツ国。
高度な医術と薬草の国。
そして長期滞在が可能な遠方の国──。
あまりにも都合が良すぎる。
まるで、彼女の目的、ミレイユの治療を最初から知っていたかのような内容だった。
「どうした?」
国王が穏やかに問う。
イリシアは一瞬考えた後、慎重に口を開いた。
「……いえ、少々出来すぎた話かと存じます」
国王は短く笑った。
「そうだろうな」
「陛下?」
「余も王だ」
その一言で、部屋の空気がぴんと張りつめた。
「王国で起きていることを、何も知らぬわけではない」
イリシアの心臓が、一瞬だけ大きく跳ねた。
「と、言いたいところだが……ヴィクトルから一通り聞いておる」
国王が少し肩を竦めて見せた。
「だが詳しくなど聞かん」
「…………」
「何を企んでいるか、何を隠しているか、今は問わぬ」
静かな声だった。
しかしそこには、王として長年国を統べてきた圧倒的な器と、深い信頼が感じられた。
「余が求めるのは結果だ」
ヴィクトルと同じ金色の瞳が、真っ直ぐにイリシアを見据える。
「王国のためになるのならば、好きに暴れてこい」
思わず、イリシアは小さく笑ってしまった。
まったく。
この国の王は本当に敵わない。
「承知いたしました」
彼女はドレスの裾を摘み、再び優雅に礼を取った。
「必ずや陛下のご期待に応えてご覧に入れましょう」
国王は満足そうに頷いた。
その時だった。
「父上」
ヴィクトルが静かに口を開いた。
「なんだ」
「私も同行します」
イリシアが固まった。
「……え?」
思わず本音が漏れてしまった。
ヴィクトルは平然とした顔で続ける。
「王家代表として当然でしょう」
「うむ」
国王もあっさりと頷いた。
「当然だな」
イリシアは二人を交互に見比べ、珍しく慌てた様子で声を上げた。
「えっ……?殿下??陛下も!?」
この国王と王子親子は、なんでもないことのように話している。
「なんだ?」
「長期外交任務ですのよ!?」
「だからこそだ」
ヴィクトルは涼しい顔で言った。
「君一人を行かせる理由がない」
「ありますわ!」
「ない」
「あります!」
「ない」
国王はそんな二人を眺めながら、肩を小さく震わせていた。
どうやら笑いを堪えているらしい。
「すまないな、イリシア嬢。
もとよりヴィクトルは同じ使節団の代表として同行する予定だったのだ。
ヴィクトルがどうしても最後まで黙っていろと言うもんでな」
「ええっ!?」
驚くイリシアに、ヴィクトルが優しく微笑みながら続けた。
「だって君は、最初から僕と一緒だと使節団の任務すら辞退するだろう?」
「そんなこと……っ!」
「ないとは言いきれないだろ」
「う、ぐ……」
結局、イリシアは言葉に詰まった。
こうして──
東方交易使節団代表:イリシア・ヴァルモンド。
王家代表:ヴィクトル・フォン・ルーヴェン。
二人は共にカミツ国へ向かうことが決定した。
国王の執務室の窓から差し込む午後の光が、イリシアの銀髪を優しく照らしていた。
新たな旅路は、王命という強固な後ろ盾を得て、静かに幕を開けようとしていた。
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