第八章 犯人は宰相でした
朝、目が覚めた瞬間から胸の奥がざわついていた。
今日はドルヴァン副官への事情聴取が行われる。
私の印象が正しかったかどうかが分かる日だ。
できれば外れていてほしい、と昨夜思った気持ちは、朝になっても変わっていなかった。
着替えながら、ドルヴァン副官の顔を思い浮かべた。
四十代、温厚そうな雰囲気、いつも穏やかに笑っている人だった。
書類の確認に来るとき、必ず「お忙しいところ失礼します」と言ってから入ってきた。
礼儀正しい人だという印象が強い。
だからこそ、あのタイミングの良さが引っかかったのだ。
私が席を外した隙に来る。
偶然にしては、多すぎた。
「リリアーヌ様、今日は顔色が少し良くなりましたね」
アネットが朝食を運びながら言った。
「そう? 自分ではよく分からない」
「昨日より眠れたのでは」
「少しは」
昨夜は考えすぎないようにして、早めに目を閉じた。
完全には眠れなかったけれど、昨日よりはましだったかもしれない。
朝食を食べながら天の声を待った。
今日はいつもより遅かった。
お茶を二杯飲み終えた頃に、ようやく口を開いた。
「おはようございます全国の皆様!! 本日の天の声、少々遅くなりました!! 理由は——重大発表の準備に時間がかかったためでございます!!」
重大発表。
その言葉に、体が少し固くなった。
「昨日予告しておりましたドルヴァン宰相府副官への事情聴取、本日未明に実施されました!! 結果をご報告します!!」
未明に。
夜中に行われたのか。
「まず!! ドルヴァン副官、事情聴取の場において横領への関与を認めました!!」
外からどよめきが上がった。
私は手元のカップを置いた。
認めた。
つまり、私の印象は正しかった。
それが嬉しいのか悲しいのか、よく分からない感情が胸の中で渦を巻いた。
「副官の証言によると、横領の仕組みは五年前に構築されたとのこと!! 首謀者の指示のもと、架空商会への資金誘導を担当していたとのことでございます!!」
首謀者の指示。
つまりドルヴァン副官は、誰かに命じられていた。
「そして!! いよいよ本日のメインでございます!! 首謀者が判明しました!!」
天の声が、また間を置いた。
この間は、いつもより長い。
外も完全に静まり返っている。
王都全体が、息を呑んでいる気配がした。
「横領の首謀者——現宰相、ガードナー・ロッセル卿でございます!!」
宰相。
副官ではなく、宰相本人。
外が爆発した。
驚きと怒りが混ざり合った声が、波のように広がっていった。
私も声が出なかった。
宰相府の関係者、という昨日の言葉から、ある程度は覚悟していたつもりだった。
でも宰相本人とは思っていなかった。
宰相というのは、王国行政の頂点に立つ人間だ。
国王の補佐として、全ての省庁を束ねる立場。
その人間が、五年間にわたって横領を続けていた。
「ロッセル宰相は現在、王宮騎士団により身柄を確保済みでございます!! なお確保の際、宰相は『身に覚えがない』と主張されましたが——証拠が四十七点ございます!! 残念でございます!!」
四十七点。
残念でございます、という言い方が軽やかすぎて、外からまた笑い声が起きた。
笑っていいのかどうか判断がつかない場面なのに、天の声のトーンがそうさせてしまう。
「なお証拠の中には、リリアーヌ・エルシェイド嬢が記録していたメモから得られた情報も含まれております!! 改めて、嬢の几帳面さに感謝申し上げます!!」
「やめてください……」
思わず言ったが、天の声は構わず続けた。
「そしてここで追加情報でございます!! 宰相の横領と、今回の婚約破棄事件の関連性について!!」
関連性。
私は顔を上げた。
「ロッセル宰相が横領を継続できた理由の一つとして、財務書類の確認体制の問題がありました!! 本来であれば複数の目が入るべき書類確認が、実質的にリリアーヌ嬢一人に集中していたこと!! これが問題の温床になっていたとも言えます!!」
「ただし!! 誤解なきよう申し上げます!! リリアーヌ嬢は与えられた権限の範囲内で、誠実に業務を行っておりました!! 問題は体制そのものであり、嬢には一切の責任がございません!!」
責任がない、とはっきり言ってくれた。
でも体制の問題の話をされると、自分が気づいて誰かに伝えられていれば、という気持ちがどうしても出てくる。
「そして!! ロッセル宰相は、リリアーヌ嬢がこの差異に気づいていることを懸念していたことも判明しました!! 嬢が婚約者の立場から外れることを、宰相が密かに望んでいた可能性が浮上しております!!」
その言葉に、胸の中で何かが止まった。
私が婚約者の立場から外れることを、宰相が望んでいた。
つまり——今回の婚約破棄は、単に殿下がミレイアに惚れたという話だけではなかったかもしれない。
誰かが、意図的に動いた可能性がある。
「詳細は引き続き調査中でございます!! 続報をお待ちください!!」
続報待ち。
でも今の情報だけで、頭の中の景色がだいぶ変わった。
しばらくして、アレクシス卿が来た。
今日は昨日より早い。
応接間に入ってきた彼の表情は、引き締まってはいるけれど、どこか決着がついた落ち着きがあった。
「聞きましたか」
「聞きました。宰相が首謀者だったとは思っていませんでした」
「私も宰相府の上層部が関わっているとは思っていましたが、宰相本人とは」
「驚きましたか」
「驚きました。ただ——証拠の数を聞いて、逃げ場はないと確信しました」
四十七点、という数字を思い出した。
天の声は証拠を全部把握していた。
それを確保した上で、昨日の段階ではまだ伏せていた。
「宰相が私の婚約破棄を望んでいた可能性がある、と言っていましたね、天の声が」
「その件も会議で話し合われています。直接的な証拠はまだありませんが、状況証拠は揃いつつある」
「殿下は……その話を知っているんですか」
「おそらく、知らされていないと思います」
「そうですか」
少し考えた。
殿下が宰相に利用されていた可能性がある。
愚かではあるけれど、それを聞くと単純に怒れなくなってくる。
複雑な話だ。
「リリアーヌ嬢」
アレクシス卿が、少し声のトーンを変えた。
「今回の件で、嬢は婚約破棄の被害者であると同時に、横領発覚の重要な鍵を握っていた人物でもある。それは王族会議でも正式に認識されています」
「それは……どういう意味ですか」
「今後、嬢の処遇について正式な話し合いが行われるということです。エルシェイド家への補償も含めて」
補償。
その言葉が、現実として降りてきた。
婚約破棄には正式な手続きがあって、侯爵家への補償が伴う。
そういう手続きの話だろうと思っていた。
でもアレクシス卿の言い方は、もう少し広い意味を含んでいる気がした。
「処遇、というのは」
「今は言える段階ではありません。ただ、覚えておいてください。嬢の仕事は正当に評価されるべきだという意見が、王族会議の中に確実にある」
評価。
またその言葉が来た。
顔が熱くなるのを感じながら、窓の外を見た。
「私は評価されたくてやっていたわけじゃないので」
「分かっています」
「評価されても、嬉しいより恥ずかしい方が先に来てしまって」
「それもよく分かりました、この数日で」
アレクシス卿が、口の端をわずかに上げた。
また、あの笑い方だ。
「でも」
彼は続けた。
「恥ずかしくても、評価は受け取った方がいい。受け取ることを拒否すると、やった仕事まで消えてしまう」
その言葉が、静かに胸に刺さった。
拒否すると、やった仕事まで消えてしまう。
今まで考えたことのない視点だった。
私はずっと、目立たなければいいと思っていた。
評価されなくても、仕事が正しくできていればそれでいいと思っていた。
でも結果として、五年間の仕事が全部殿下の名前で記録されていた。
それは——私が拒否した結果でもあったのかもしれない。
「難しいですね」
「難しいです」
アレクシス卿があっさり同意した。
否定しないところが、この人らしいと思った。
午後になって、天の声が再び口を開いた。
「続報でございます!! ロッセル宰相の取り調べが進んでいます!! 現在判明している共犯者の数——宰相府内で八名、財務省内で三名、合計十一名でございます!!」
十一名。
組織的に動いていたのは明らかだった。
「さらに!! 宰相とユリウス殿下の関係についての調査も進んでいます!! 現時点での結論——殿下は横領に直接関与していません!! しかし!!」
しかし、という言葉が意味ありげに響いた。
「宰相から殿下に対して、定期的に『助言』が行われていたことが判明しました!! その助言の内容の一つが——リリアーヌ嬢は王太子妃に相応しくない、というものでございました!!」
外から、怒りの声が上がった。
私は、その声を遠くに聞きながら、静かに考えた。
宰相が殿下に助言していた。
リリアーヌは相応しくない、と。
殿下はその言葉を信じて、ミレイアへの気持ちと重ねて、婚約破棄を決めた。
つまり殿下は——利用されていたのだ。
自覚なく、誰かの都合のいいように動かされていた。
だからといって、殿下を許す気持ちになれるかというと、そう単純でもない。
五年間、殿下は私の仕事を自分の名前で提出し続けた。
それは宰相に言われたからではなく、殿下自身の判断だったはずで。
複雑だ。
本当に複雑な話だ。
「なおユリウス殿下は現在、この事実を知らされた直後とのこと!! 殿下の反応——言葉を失っておられます!!」
言葉を失っている。
そうだろうと思う。
自分が信頼していた宰相に、五年間操られていたと知ったのだから。
「リリアーヌ様」
アネットが静かに呼んだ。
「何?」
「殿下のこと、憎いですか」
直接的な質問だった。
アネットらしくない聞き方だ。
よほど気になっていたのだろう。
少し考えた。
「憎い、というほどの熱量がない」
「怒っていますか」
「怒っている。でも——宰相に利用されていたと聞いたら、怒りの行き先が少し変わった」
「宰相に向かいましたか」
「半分くらいは。残り半分は、殿下の鈍さに対して」
アネットがくすっと笑った。
「正直なんですね」
「アネットが聞いたから」
そう言ったら、アネットがまた笑った。
こういう時間が、重い話の後に必要だと最近分かってきた。
夕方にアレクシス卿が帰り際に、
「明日の王族会議で、ユリウス殿下の処遇が正式に決まります」
と教えてくれた。
「廃嫡になりますか」
「可能性は高いです」
「……そうですか」
「嬢はどう思いますか」
また直接的に聞いてくる人だ。
「可哀想だとは思います。でも——国王になるべき人間が、五年間側近に操られていたなら、それはやはり問題だと思います」
「正しい判断だと思います」
「正しいかどうかは分かりません。ただ、そう思った」
アレクシス卿が少し間を置いてから、
「明日、また来ます」
と言った。
「……よく来ますね、本当に」
「用がありますから」
また同じ答えだった。
この人は毎回同じことを言う。
でも不思議と、嫌ではない。
彼が帰って、夜になった。
天の声が一日の締めを告げた。
「本日の天の声、これにて終了でございます!! 本日の一言まとめ!! 犯人は宰相でした!! 以上でございます!!」
シンプルすぎる一言まとめに、外からまた笑い声が起きた。
私も、少しだけ笑った。
宰相が犯人だった。
私のメモが鍵になった。
殿下は操られていた。
明日、廃嫡が決まるかもしれない。
色々なことが一気に動いている。
でも今夜の私にできることは何もない。
ただ眠るだけだ。
「アネット、今夜こそちゃんと寝る」
「ぜひそうしてください」
「明日もきっと何かある」
「きっとあります」
「だから今夜は寝る」
「論理的です」
アネットの真顔の返事に、私はまた少し笑った。
笑いながら自室に向かった。
廊下の窓から、夜空が見えた。
星がきれいだった。
明日、どうなるか分からない。
でも今夜は、それでいいことにした。




