鷹条Side 誰にも渡したくない
「まぁ……あの方、鷹条様に似ていらっしゃるわ」
「帝都の貴公子と呼ばれていた方よ」
「本当だわ……」
ざわざわと周囲が騒ぐのは、私の耳には入らなかった。
私に記憶があるのは、子供の頃の両国花火大会だ。
もしも、先輩とやらが、りんちゃんを花火大会に連れて行ったとしても、せいぜい頑張っても川床でかき氷ぐらいではないだろうか?
私は、両国花火大会を見るために押し寄せた大衆の中にりんちゃんを連れ出すつもりは毛頭なかった。
――今夜は……今夜は……特別なのだ。
私は、今宵は特別に大切な女性を招待する場を考えた。
鷹条家は没落した状態だ。だが、理人に特別なお願いをした。
日が暮れる前に、四谷から日本橋兵町まで路面電車で移動した私とりんちゃんは、綾小路家の別邸に向かった。
屋台が立ち並ぶものの、隅田川を一望できる一等地が近づくに連れて、その屋台も消えた。
「りんちゃん、こっちだ」
私は人混みを理由に、りんちゃんの手をとり、しっかりと繋いだ。
からんころんと、りんちゃんの下駄の音が心地よく響き、薄紅着物から白いうなじが見えた。頬を赤らめたりんちゃんに、私は胸の高鳴りを抑えきれなかった。
――綺麗だな……ドキドキする。
手を繋いだだけで私は心が浮き立ち、舞い上がった。
――「帝都の貴公子と呼ばれていた方よ」……そんな声が聞こえた気がした。
だが、今の私にはどうでも良かった。
綾小路家の別邸には裏口がある。子供の頃も出入りしていたので、よく知っていた。
「こっちこっち」
「あ、理人!」
「雅親、こっちだ」
私はりんちゃんの手を引いて、広大な綾小路家の別邸の庭園に入って行った。
「別館のテラスだ」
「ありがとう」
「りんさんも、楽しんで」
理人が囁いた。理人はりんちゃんにも会釈をして、スッと暗闇に姿を消した。
綾小路家の別邸では、毎年この両国花火大会の夜、家族と関係者だけで花火を庭園で鑑賞する会が催される。
人のざわめきが庭の向こうでしていた。
私は迷わず、別館に向かった。そこにはテラスがあり、絶好の花火鑑賞場所だった。空から降ってくるような花火が見えるのだ。
薄紅の着物を着たりんちゃんと顔を見合わせて、私は嬉しくなった。
テラスに出ると、氷を入れたバケツに、よく冷えた白葡萄酒の瓶が入れてあった。冷やしたグラスも置いてあった。
私はグラスに白葡萄酒を入れて、りんちゃんに渡した。
最初の花火がドーンと音を上げて夜空に散った。
「綺麗……」
「うん、綺麗だな」
りんちゃんの瞳がキラキラと輝き、花火のあかりに照らされて笑顔が浮かび上がった。
私は見惚れた。りんちゃんに。
――なんて綺麗な人なんだ……。
グッと白葡萄酒を飲んだ。
りんちゃんもそっとグラスに口をつけて、お酒を飲んだ。
「こんなお酒、初めてです……」
りんちゃんが、頬を赤らめて小さくつぶやいた。
――よし!先輩とやらは……どうやら、こんなことはしてあげなかったようだ。
私は心から安堵した。
「……私もあなたと飲むのは初めてだ」
――白葡萄酒の味をよく知っていると思ったのだから、私は以前から飲み慣れているようだ……。
――だが、これほど心躍る状況で飲むのは初めてだろう?
私は自分自身に聞きたかった。多分、間違いなく、私は初めてだと確信していた。
川の風が涼しい夜だった。
花火が次々に打ち上がる中、りんちゃんのうなじから落ちた髪が、ふわりと涼しげに揺れていた。
私はそっと手を繋いだ。りんちゃんは片手でグラスを持ち、もう片方の手は、私の右手の中にあった。
「……どうして……どうして……」
りんちゃんが、私を見上げて何かを言いかけた。
「うん?」
私はりんちゃんの温かい手を握ったまま、りんちゃんの顔をのぞきこんだ。
「どうして……こんなことを私にしてくださるのですか……?」
私はじっとりんちゃんの瞳を見つめたまま、動けなくなった。
――あぁ、口付けをしたい……。
――先輩とは……。
私は対抗心が胸のうちに湧き上がるのを感じた。
「好きだから」
ドーン!
そっけない口調になってしまったが、確かに私はそうりんちゃんに言った。
りんちゃんの顔が、夜空から降ってくる煌めく花火のかけらで、綺麗に染まっている。
「……えっ?……せ……」
――せ、の後に続く文字は、せっぷんか?それとも先輩か?どっちだ?
ドーン!
――私の打ち上げ花火は、これからだ。
「女性として、りんちゃんを大切にしたいと思っています。私はあなたを女性として、私の好きな女性として、今年の花火をここで一緒に楽しもうと思いました」
ドーン!
りんちゃんの手をそっと私の胸に引き寄せた。りんちゃんの体が私の胸の中に倒れ込み、私は彼女をそっと抱きしめた。
りんちゃんの持っているグラスを受け取り、私はテラスのテーブルの上に置いた。私のグラスはとっくに置いてある。
私の腕の中で、りんちゃんは泣いていた。
「……いや?」
私は不安に駆られて聞いた。
「いやじゃないです……いやじゃない……から……涙が止まらないんです」
私はりんちゃんの体をしっかりと抱きしめた。
――嬉しい。
――本当に嬉しい。
私は酔いが一気に回ったかのように、頭がくらくらした。
花火が夜空に煌めく中で、りんちゃんを抱きしめていると、この幸せが夢ではないかと思った。
「好きなんだ」
私は腕の中のりんちゃんの耳元で囁いた。
――あぁ、酔っている!
――手を繋ぐ計画だったのに、告白までしてしまっている!
私の中の男がりんちゃんを独占したいと願っている。
――だめ……だめだ!雅親!耐えろ……!
――口付けはまだだ……性急すぎると嫌われる。
――まずは、過去の先輩とやらを超えるんだ。
川から涼しい風が吹きつけてくるはずなのに、私の体はカッと熱くなり、幸せな余韻に浸った。
りんちゃんは、涙を溢れさせ、キラキラした瞳で、私の腕の中から花火を見上げていた。
空から落ちてくるような花火は、一生忘れないと思う。
記憶は戻らない。
それでも私は、彼女を誰にも渡したくなかった。




