先輩は、ずっと私に合わせてくれていたのだろうか
私と先輩が帰宅すると、タエさんは昼食の準備をしていた。先に先輩に帰っていただき、私は自分の部屋で羽織の下に来ていた詰襟から着替えてから、離れに戻った。
「遅くなってごめんなさい」
その時、意外な人物がお勝手にいることに気づいた。
「お姉様、お客様はずいぶんとお顔が良いのですね」
「鈴乃!」
妹の鈴乃は、鷹条の家のことも、先輩のことも何も知らない17歳だ。父である家元は鈴乃にどう説明したのかわからない。だが、私が舞の稽古にも出ないことを快く思っていないはずだった。
「鈴乃さんがお裾分けに筍ご飯を持ってきてくれたんですよ」
「おぉ、うまそうだ。ありがとう」
「鈴乃と申します。姉がお世話になっております。お姉様が離れに入り浸っているので、私にお稽古の先生の仕事がたくさん来てしまって、大変ですのよ」
鈴乃はむくれた顔で言ったが、先輩の姿をまじまじと見て目を輝かせた。
「ほっんとうに、お姉様が夢中になるのも無理がありませんわ。こんな素敵な方のお世話するなんて、なかなかないことですもの」
「鈴乃っ!」
先輩とタエさんは吹き出した。
「まあまあ、鈴乃さん、ありがとうございます。美味しくいただきますね」
タエさんがとりなして、鈴乃はやっと退散してくれた。
私は冷や汗をかいたが、先輩は涼しい顔をして、着替えのために奥の部屋に引っ込んだ。
「筍ご飯に合わせて、だし巻き卵と、焼き魚とお吸い物をご用意しましたよ」
タエさんがそう言って、私は食卓の準備をした。
3人での昼食は楽しかった。
「ぼっちゃま、あんみつはいかがでしたか?」
タエさんが先輩に聞いた。
「うん、うまかった。でも、あれだな。誰かすごくあんみつが好きな人がいて、その人に合わせて千時屋に食べに行っていたんだと思う」
先輩は、筍ご飯を食べながら言った。
私はうつむいた。
「まぁ、ぼっちゃま。御明察ですよ」
「え?タエさんは心当たりあるの?」
「まぁ、あるような、ないような……」
「その方は誰ですか。帝大の友達?」
私はますますうつむいたまま、顔を上げられなくなった。
「帝大のかわいらしいお友達ですよ」
私は箸を止めた。
先輩は不思議そうにこちらを見る。
私は顔が真っ赤になった。
「……ときどき、白檀の香りがするんだ」
先輩がぽつんと言った。
「白檀?」
「うん。懐かしいような……落ち着くような香りだ」
私は思わず顔を上げた。
タエさんは一瞬だけ目を伏せた。
タエさんはお吸い物をよそいながら、遠くを見るような目つきになった。
「ぼっちゃまは昔から、白檀がお好きでしたからねぇ」
――白檀の香りが、先輩を呼んでいる。 そう思ったのは、私だけだろうか。
鷹条家の香りの力は、復活しようとしているのだろうか。
あの特別な香り。令和でも感じたことのない、特別な先輩の香り。ホワイトムスクのような、金木犀のような、莉莉花のような、なんだか言葉にし難い、鷹条雅親様の香りは、帝都の貴公子である先輩の代名詞のようなもの。
****
その夜、私はほんわりとした温かい気持ちで眠りについた。
――あんみつがお好きでらしたと思ったのは、ずっと先輩は私に合わせてくれていた?
――そんな……先輩……。




