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最愛の貴公子様へ、忘れられた花嫁ですが、忘れた貴公子を保護しております  作者: 西野 歌夏
第一章:華族様は花嫁にすると言ってくれた。忘れられた花嫁は、華族様に恋をしたあの夜を忘れられない
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もう一度

「離ればかりにこもっていても、記憶は戻りませんよ。お二人でお屋敷のお庭を散策なさってきてはいかがでしょうか」


そうタエさんに言われた。

言われてみればそうだ。


先輩の記憶を取り戻すことが、先輩にとっては最優先事項だ。


「では、りんさん、花房の庭を案内してもらえますか」


先輩は私にそう言った。


タエさんが、朝ごはんの片付けもしてくれるというので、私と先輩は朝の散歩にでかけた。


花房の屋敷は、非常に広大だった。舞のお稽古をする関係で、広い座敷がいくつもあったが、庭も広大だった。


私は先輩とまた2人で歩けるということで、それだけで嬉しくて嬉しくて、心が浮き立った。


「……せ……鷹条さん、こちらへ」


私は思わず先輩と呼びかけてしまったが、先輩は特に違和感を感じなかったようだ。


私はドキドキする胸を抑えて、先輩を連れて、ゆっくりと花房の庭園の案内を始めた。


横に並んで先輩と歩くのは初めてだった。

いつもは詰襟姿で、先輩の後輩のふりをしていたから。

娘の格好で、先輩の隣を歩く。


それだけで、何もかもが新鮮で、世界が少し違って見えた。


離れの前には、スズランの小さな花がひっそりと咲き、芍薬は朝露を含んで大きく花開いていた。


池へ続く細い小道を進むと、藤棚がある。薄紫の藤が風に揺れ、その花の影が白い飛び石に淡く落ちて揺れていた。


「確か来る時に洋館で、大輪のバラを見ました」

 

先輩は何気ない様子で私に言った。先輩の顔を見上げると、横顔に朝の光が差し込み、美しい横顔に思わず見惚れてしまいそうになった。


胸の鼓動がどうしようもなく、うるさくなる。


顔が上気してしまい、私は慌てて洋館のバラを見に行きましょうと誘っていた。


今の花房の屋敷は、春の名残と初夏の匂いが混ざる庭だった。洋館前では薄桃色や白色のバラが咲いていた。


「あっ!」


私は慌てて先輩の手を取り、木の影に引き寄せた。


「……なんです?」


先輩は戸惑った様子で私に聞いた。


「しーっ!舞の稽古にいらした女学生たちが通り過ぎるのを待ちましょう」


気づけば、背の高い先輩の胸が、私のすぐ目の前にあった。

 

――えっ!

 

私は驚いて、先輩から離れようとして、思わずのけぞって転びかけた。とっさに、先輩の右手が伸びてきて、私の背中を支えた。


抱き抱えられるような格好になり、私と先輩の目があった。


「ご、ごめんなさいっ!」


私は小声で謝り、先輩は私から視線をそらした。


私の心臓は早鐘のように鼓動を打ち、私は息をしてもいいのか分からないぐらいに混乱した。


「いや、大丈夫だ」


先輩は低い声でそういうと、私をちゃんと立てるように体を支えて起き上がらせた。


「でね……っ!うわぁ、素敵ぃ」

「今度、両国川開きの花火大会でしょう?叔父様がね……」


四人の女学生たちが楽しそうに話しながら通り過ぎた。


「そっか。花火大会か……」


先輩は考え込むような仕草をした。


「思い出しましたか?」


私は先輩の記憶が少し戻ったのかと期待してしまった。


「いや、そうではない。子供時代に母と行ったきりだと思う。懐かしいなと思った」


――私と一緒に行ったことはやはり覚えてらっしゃらないのね……。


「では、今度、変装して2人で行ってみませんか?」


私は前回先輩に連れて行ってもらった両国川開きの花火大会に、今度は先輩をお連れしてあげようと思った。


「うん?」


先輩は私の顔を見下ろした。長いまつ毛が不思議そうに上下に揺れた。


――綺麗……。


私は先輩の仕草にいちいち心を持って行かれた。2年ぶりにお会いしたので、おかしくなったのかもしれない。


「何か思い出すかな……」


先輩はポツリと言った。


「はい、何か思い出されるかもしれません」


私はそう祈った。

帝大生としての記憶もなく、西洋に行った記憶もなく、子供以降の全ての記憶が消えたにも関わらず、先輩は、こうして私の隣にいてくれる。


詰襟と丸めがねを包んだ風呂敷包みは、私の部屋の押入深くに隠してあった。


変装して、先輩と帝都の街を歩く。

失われた記憶を探すように。

 

「よし、そうしよう。明日から、帝都の街を歩いてみよう。これまで思い出せなかったんだ。やれることは全部やってみよう」


先輩はそう言って、私にうなずいた。

 

「帝都の街を案内してくれるね?」


「はい、喜んで」


 私は、先輩の隣を歩けることが、たまらなく嬉しかった。



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