疑義と信頼
マシンルームに籠り、パチパチとキーボードを押下しながらプログラムを組んでいるヴィベルの後ろで、総一朗はライターが無く吸えもしないタバコの箱を握りしめ、見つめていた。
「里桜に会わないのですか?」
プログラムを打ちながらそう声を掛けたヴィベルに、総一朗は頭を掻きながら気まずそうに「ああ」と、肩を竦めた。
「私とは顔を合わせたく無いだろうしな」
「様子だけでも見に行っては? 今、寝ていると思いますが」
「いや、いい……」
無実が立証されて出所した時、迎えに来た里桜は「お帰りなさい」と言いながらも強張った表情を浮かべ、無理矢理に笑顔を貼り付けようとしていた。
恐らく、頭では父親が無実であったと分かってはいても、どうしても母の死に様の光景が浮かんでしまうのだろう。そういった理由もあり、総一朗はアメリカ支社へと行き、日本に戻る事をほとんどしなかったのだ。
アルマゲドンで再会した時には、三人の養父が里桜の祖父であると告げられ、更にエデンやアルマゲドンの構築は実の父親がやったことなのだという事実に、どれほどにショックを与えたことか。
どの面を下げて娘に会えばいいというのだ——と、総一朗は眉間に皺を寄せてため息をついた。思わず何度も探して見つからないと分かっていたにも関わらず、ポケットにライターが無いかを探そうとし、ヴィベルに牽制の咳払いをされてしまった。マシンルーム内での喫煙はエンジニアとしてあるまじき行為だ。
「あー……例のハッキングプログラムは出来たのか?」
誤魔化す様に発した総一朗の言葉に、ヴィベルは頷いて視線をコンソールへと戻した。
「はい。もうアダムに渡してありますよ。これでいつでもアダムは義手を介してアルマゲドンに疑似ダイブができるはずです。まあ、エルネストが眠っている間だけという限定付きですが」
「流石、仕事が早いな」
総一朗の何気ない誉め言葉が癪に障った。ヴィベルはそんなことすらできずに自分は何の役に立つというのだろうかと悔しく思ったのだ。
「……ですが、おかげで里桜が取ったバックアップからの、アルカの復元プログラムを組むのが遅れてしまいました」
「とはいえ、だ。お前は仕事が早いぞ? フローチャートも書かずによく複雑難解なプログラムが組めるものだと感心するくらいだな。私はここ最近物忘れがひどくなってしまったからな」
「ジエルだってこのくらいできるでしょう。それに、バックアップからの復元など、大したプログラムじゃありませんよ」
「あやつは別格だ」
はいはい、私よりもジエルの方がプログラマーとして優れていると言いたいんですよね。と、苛立ちながら、ヴィベルは黙々とキーを打ち続けた。
「ああ、その画面で。そう、それを選択してやれば、システムが復元コードをだな……」
「ちょっと、黙っていて貰えます? 総一朗が構築した後にジエルが相当手を加えているのですから、どんなトラップがあるのか分からないんです! システムに元々存在する復元プログラムが信用ならないからこうして新たに組んでいるのですから!! 一旦復元リストが正しいかどうかを全てチェックし直さないといけないんですからね!」
総一朗はむぅっと唇を尖らせると、手持無沙汰の様で画面を覗き込んで唸ってみたり、簡易ベッドで眠っているファメールを覗き込んで「絵画の様な男だな」と良く分からない感想を言ったりと、マシンルーム内をうろうろと動き回っていた。
「なぁラファエル! この男、ちょっと化粧して女装させてみんか!? 絶対に似合う……」
「あの、気が散るんですけど!?」
そんなことをしようものなら、ファメールに殺されるだけでは済まない! と、ヴィベルが真っ青になって叫んだが、総一朗はニヤニヤと悪そうな笑みを浮かべながら、ベッドの上に横たわるファメールを見下ろした。
「寝ている今がチャンスではないか。滅多に無いぞ?」
「どうでもいいチャンスですけど!?」
「肌も女性顔負けな程に綺麗ではないか。ミシェルは本当に男なのか? なぁ、ちょっと試しに脱がせてみんか?」
「バカな事言わないでください!!」
「おっぱいがあったらどうする!? お前、惚れるのではないか?」
「総一朗の中の私は胸があったら惚れるような単純な思考の持ち主なんですか!? っていうか、無いですよ! ありませんでした! 私よりも逞しかったくらいでしたっ!」
「……なんと!! お前、見たのか!?」
「変な言い方しないでくださいよ! 皆で海水浴に行ったんですっ! ああもう、黙っててください!! 邪魔しないでくださいよっ!!」
ちっと舌打ちをして座り込んだ総一朗に、これでやっと落ち着いて作業ができる、と、ヴィベルはホッとした。
カチカチとキーを叩きながら、ヴィベルは腹立たしさが沸々とわいてきた。エデンやアルマゲドンの構築を、総一朗がヴィベルに黙っていたことに腹を立てているのだ。
話すタイミングはいくらでもあったはずだ。せめてエデンの記憶を継承した後にでも教えてくれれば良かったものを、それを黙っていたということは……。
「……私を信用してくれているものだと思っていました」
キーボードを打ちながら呟く様にヴィベルが言い、総一朗はドキリとしてヴィベルを見、あからさまに気まずそうに頬を掻いた。
「な、何を言う。信用していない者を副社長にすると思うか?」
「いいえ。貴方は信用していないから伝えなかったのでしょう? 私にエルネストの息がかかっているのではと疑っていた。だからこそ、里桜の側に置くことで、私が里桜に想いを寄せる事で、例えエルネストの手の者なのだとしても、里桜の安全を死守するだろうと考えた。そうでしょう?」
ヴィベルの言葉に総一朗はため息交じりに「そうだ」と、答えた。
「娘の安全が第一だ」
「酷いですよ、総一朗。もしも本当に私がエルネストの配下だったのだとしたら……」
——里桜を想う余りエルネストの指示と板挟みになり、その結果罪の意識にさいなまれ、今頃は気が狂っていたかもしれないだろうな。
と、総一朗が思っていると、ヴィベルはぎゅっと拳を握りしめて言葉を続けた。
「そうしたら、里桜が余りにも不憫じゃないですか……」
信頼を寄せ、居を共にしていた男までも全てがエルネストからの負荷を受けていたと思ったのなら、里桜は恐らく哀しみのどん底に落ちていた事だろう。楽しく笑い合った日々も全て、ヴィベルの演技なのだと思う羽目になったのだ。
「……すまん」
ヴィベルの痛い程の里桜を想う気持ちに、総一朗は心の底から申し訳なく思った。
「ぬしが里桜の側に居てくれて良かった。あの子は、女性としての幸せを失うところだったのだからな」
総一朗の言葉にヴィベルは何も答えなかった。
「ラファエルよ、ところでぬしはどうやってアルマゲドンにダイブしたのだ? 里桜とは別にダイブしていたようだが」
総一朗の質問に、ヴィベルは「ファメールの魔術でですよ」と、溜息をついた。
「ほう? ということは、その時にすでにあやつはパスワードが『エルネストの血』であることに気づいていたということか」
「ええ。誤魔化していましたが……」
苦笑いを浮かべ、ヴィベルはアルマゲドンにダイブする直前の事を話して聞かせた。
ファメールの指示の下、ダイブする為の準備を進めながら、ヴィベルはふと疑問を口にしたのだ。
「里桜とレアンはアルマゲドンにどうやってダイブしたのでしょうか。ログインする為のパスワードは一体何なのでしょう……?」
ヴィベルの問いにファメールが肩を竦めた。
「さあてね……少なくとも僕たちには里桜のように肉体ごとダイブする技は持ち合わせてなんかいない。
因みにレアンはアダムと共に、マシンルームでこん睡状態にでもなればダイブできるんじゃないかと仮定していたみたいだね。つまりは、アダムがパスワードとでも言えばいいかな。
夢の世界でリンクすればいいわけだから、麻酔で眠らせればいい。定期的に正確な量の投薬が必要になるから、レアンはそのために点滴薬や装置やらを準備していたみたいだけれど、当然医者でも何でもない僕たちには同じ事なんかできやしない。万が一量を間違えでもしたら、そのまま死んでしまうことになるんだからね」
「殴って眠らせるか?」
アダムの言葉に、ヴィベルは慌てて首を左右に振った。
「それこそ死んでしまいますよ!」
「手っ取り早いじゃねぇか」
「ああ、じゃあアダムにはそうやって眠らせてやるさ。アリエル、アダムの脳天目掛けてかかとを落としてやってくれないか?」
「オケイ」
「ちょ!! やめ!!」
「ファメール。『アダムには』ということは、何か別の案があるのですか?」
ヴィベルの言葉に「当然だろう?」と、ファメールは肩を竦めた。
「まあ、案ってほどの大層な事じゃないけれどね。僕はエデンで習得した魔術を現実世界でも使えるんだ。当然睡眠の魔術だって使えるし、上級魔術の封印も使える。年単位で眠らせる事すら可能だよ。どういう原理かは知らないけれど、コールドスリープの様に、エネルギー摂取せずとも眠り続ける事ができるし、老化を遅らせる事すら可能さ」
「よくわからないけれど、すごいわミシェル!」
ファメールの指示でマシンルーム内に簡易ベッドが設置され、アルマゲドンダイブへ向けての準備が着々と進められた。
「まあ、何もマシンルームで眠る必要なんか無いんだろうけれど、ここのセキュリティは万全だから念のためさ」
室温が低いマシンルーム内での低体温症を防ぐ為、厚手の布団と電気毛布を用意し、ヴィベルは準備をしながらため息を漏らした。
——こんな、白い花畑の中で眠りにつくなど、黒い筐体が増々墓石の様に見えてならない。
「里桜とレアンをどうやって連れ戻せば良いのでしょう……」
「簡単だろ。アルマゲドンにダイブしたら、聖剣で小娘が俺を刺せばいい。小娘が処女で良かったなぁ!」
「なるほど。エデンと同じ様にすればいいということですね? ですが、何故処女である必要があるのでしょうか?」
「んなこと、俺に聞くなよ! 聖剣を扱えるのは処女だけって決まってんだからな!」
「そもそも聖剣がどこにあるのかもわかってませんけど?」
「それは……ダイブした後にでも探せばいいだろ?」
アダムとヴィベルの会話をファメールは黙って聞いており、ヴィベルは珍しく口出しをしてこないファメールの様子を怪訝に思った。
いつもならば何かしら指摘をしたり、自分なりの考えを口に出すはずなのに、と、ファメールを見ると、彼はヴィベルからつっと視線を反らした。
今思えば、あの時からファメールはアルマゲドンに自分は残るつもりだったのだろう。だからこそ、現実世界に戻る為の手段について発言しなかったのだ。
「アダム、ちょっといいかい? 話があるんだ」
「お? おう」
アダムはファメールに呼ばれ、別室へと移動した。
恐らくその時にアダムの放った義手のせいでアルカのデータが消失した事を告げられ、アダムがダイブする必要が無くなったのだと宣告されていたのだろう。
そんな事はつゆ知らず、ヴィベルはマシンルームで簡易ベッドの組み立て作業を続け、寝ている最中にも血流を促す為の装置等の準備も黙々と進めた。
「夢の世界に行けるなんて! なんだかワクワクしちゃうわ!」
「アリエルさん、楽しいところでは無いと思いますよ?」
「そうかしら? 楽しくないところを、どうして創成したりなんかするの?」
「……え?」
ヴィベルはアリエルの言葉にハッとして息を飲んだ。
——アルマゲドンは……そしてエデンは、元々誰かを苦しめる為にあるものではない。創成には想像を絶する苦しみを伴うものの、その世界は決して地獄のような世界ではない……?
「ねえ、エデンはどんなところだったの? 素敵な所だったんじゃないのかしら?」
「それは……」
「……エデンは、最高だったさ」
ファメールが一人戻ってくると、会話に参加し、金色の瞳でアリエルを見た。
今までほとんど視線を向けようとしなかったファメールに、アリエルはドキリとして固まった。
「アリエル、キミは留守番だよ」
「え!? 嫌よっ!!」
「嫌だと言われても、僕はキミを連れて行く気は無い」
「絶対に嫌っ!! ミシェルの居るところに私は行くわ! ミシェルの居ない世界なんか、私にとっては何の意味もないものっ!!」
ぎゅっと両手を握りしめて、必死の思いでアリエルはファメールに懇願した。
「お願い、邪魔したりなんか絶対にしないわ。だから、私を置いてなんかいかないでちょうだい! ミシェル、だって、貴方がもし帰って来なかったら……」
パッとアリエルの手を払うと、ファメールは「僕に触るな」と、いつもの様にプイと顔を背けた。
アリエルは唇を噛むと、決心した様にサファイアの瞳をファメールへと向けた。
「だったら貴方を行かせないわ!!」
すっと足を上げて構えるアリエルを、溜息をついてファメールが振り返った。
「こうなるから面倒だったんだよ」
ヴィベルは二人の様子をゾッとしながら見つめた。
アリエルはサバットの使い手だ。レアンがアリエルを足手まといだと微塵も思わないと言った程なのだから、かなりのものなのだろう。ファメールはというと、アダムとの最初のやりとりを見た印象では、彼も何かしらの格闘技を習っていたのではと思うような身のこなしだった。
ヴィベルがそんな二人の仲裁をしようと間に入ったのなら、一撃で気絶させられてしまうことだろう。
「あ、あの。暴力は……!」
ヴィベルがおろおろとしながら声を発したが、ファメールは余裕そうにつんと片眉を吊り上げてアリエルを見据えた。
「力づくで私に勝てると思わないで!」
「ふぅん? さて、どうかな。試してみるかい?」
「手加減しないわ!」
振り下ろしたアリエルの足を手の甲で弾き避けると、ファメールはアリエルの肩を掴んだ。あまりの速さにヴィベルは何が起こったのだとわが目を疑った。
アリエルはそのままファメールに殴られる! と、覚悟し、ぎゅっと体を強張らせた。ところが、やれやれと片眉を下げると、ファメールはアリエルの額に手を翳した。掌から一瞬だけ光が発せられ、強烈な眠気がアリエルを襲う。
「全く。甘く見られたものだよ。キミ程度が僕に適うはず無いじゃないか」
ペタリとその場に座り込むアリエルを見つめ、ヴィベルは唖然とした。魔術を使うのはともかく、ファメールのあの身のこなしはプロの格闘家の様だと思ったからだ。ヴィベルの視線にファメールは肩を竦めると、つまらなそうに悪態をついた。
「いつか、殺してやろうって思っていたんだよ。エルネストをね」
……だから身体を鍛えていた。恐らくプロからの手ほどきも受けたに違いない。そう思わせる程に無駄のない動きだった。
そして、それほどにエルネストへと向ける憎悪が深く、どす黒くファメールの心を支配し続けているのだと思い知らされる様だった。どうにかしてその支配から逃れたいが為に、ありとあらゆる手段を試したに違いない。その一つが自身を鍛える事だったのだろう。
ファメールが殺気の籠った瞳をヴィベルに向けたので、ヴィベルはごくりと息を呑んだ。アダムとの再会時に激昂した様子とはまるで違う。静かな殺意が込められた金色の瞳に射抜かれた様に、ヴィベルは身動きを取る事ができなくなった。
が、ファメールはニコリと微笑むと、「さあほら、ダイブの準備を始めようじゃないか」とヴィベルを簡易ベッドに横たわる様にと促した。
顔面蒼白のままやっとのことで呼吸を正すと、ヴィベルは自分に殺意を向ける理由など無いはずだと思い直して、ファメールの指示通りに簡易ベッドの上へと横たわった。
「さて、坊や。ねんねの時間さ。子守歌でも歌うかい?」
「あの……ふざけるのは止してくれませんか?」
クスリとファメールは小さく笑うと、ハンカチをヴィベルへと手渡した。
「これは?」
「アダムの血のついたハンカチさ。ログインパスワードはこれだね」
「え……? なぜ……」
「ほら、黙ってハンカチ握りしめて寝なよ」
「ファメール、一体……」
ヴィベルが言い終わらないうちにファメールはその額に手を翳した。ヴィベルは強烈な睡魔に襲われて、そのまま眠りについた。
「……とまあ、そんな感じでダイブしました」
ヴィベルはプログラムを打ちながら総一朗に説明をすると、総一朗はフム、と顎に手を当てた。
「ではミシェルはどうやってダイブしたのだ? 目覚めていないところからすると、眠りの術ではないということなのだな?」
「さぁ? その先は私も知りません。ファメールがどうやってダイブしたのかは……」
マシンルームに設置された簡易ベッドの上で昏々と眠り続けるファメールを見つめて総一朗が言うと、「私が知ってるわ」と、アリエルがマシンルームに入って来た。
「いぶし銀のおじ様と話してるの?」
「ええ。ガラの悪い最低親父と」
「ラファエル、お前私を何だと……」
アリエルには総一朗の姿も見えなければ声も聞こえていない。アリエルがトンと筐体に背中をつけたその場所には総一朗が立っており、総一朗は慌てて場所を移動した。




