交錯する優しさ
『悲しみも苦しみも、全て私が引き受けます。貴方にかかる火の粉は全部私が受け止めますから、だからどうか私に任せてください』
ヴィベルの言った言葉が、里桜の脳内でこだまする。
——この言葉を聞くのは確か二回目だ。あれは確か……
と、里桜はブルージルコンの瞳でヴィベルの瞳を見つめ、僅かに小首を傾げた。
「ヴィベルさん。何か隠してない?」
「……え?」
里桜の母を亡くした日。警察署で怯え、震える里桜に言った時と同じ言葉をヴィベルは無意識のうちに口にしていたのだ。
あの時、リタの死は総一朗の手によるものではないと判断し、ヴィベルはすでに調べる為の行動に出ていた。今もまた、里桜に何かを黙ったまま、全てを背負おうとしているのではないか……?
「ヴィベルさん。何も知らないでいるのも辛いよ。私を庇おうとしてくれてるのは嬉しいけれど、私、もう十六歳の子供じゃないよ」
里桜は真っ直ぐとブルージルコンの瞳をヴィベルに向けていた。凛としたその佇まいは強さを秘めている様に思えた。
いつの間にか大人になった里桜に対して、もう自分の手からはとっくに離れていたのだと認識し、ヴィベルは寂しい気持ちを味わいながらも誇らしく思った。
里桜はふいにふっと笑うと、いつもの可愛らしい表情をヴィベルへと向けた。
「あのね、夢でアルカと話したの。また逢えるって言ってくれたし、私、皆を助けるって約束したの。顔を二度と見たくないって言われても構わない。ファメールさんとレアンを絶対に迎えに行かなきゃ。そうじゃないと、アルカとも逢えない気がするの」
強烈な程に拒絶された恐怖に里桜は怯え、震えていた。それでも、どんなにか拒絶されようともアルマゲドンにダイブし、彼らを助けるのだと言う彼女の思いに、ヴィベルは悲しい程の優しさを感じ、ぎゅっと瞳を閉じた。
——ダイブしないという選択肢など、初めから無かった。里桜は立ち向かうのみなのだから。それをどうサポートするかを考えなければいけなかった。
「ファメールは貴方を巻き込みたくないが為にあんな態度を取ったのです。エルネストと共にあの世界に留まるつもりです。ですから……」
ヴィベルは口にするのを躊躇いながらも、言葉を放った。
「里桜。貴方がアルマゲドンにダイブしたのなら、また追い出そうとするかもしれません……」
「でも、それでも行かなきゃ。お願い、ヴィベルさん。反対しないで欲しいの。心配してくれるのは分かるけれど、私、このままお別れなんてできないよ。沢山助けて貰ったんだもの。今度は私が助ける番でしょ?」
懇願するように見つめるブルージルコンの瞳を真っ直ぐと見つめ返しながら、ヴィベルは頷いた。そして、里桜のベッドの側で跪くと、まるで謝罪でもするかのように頭を下げた。
「ヴィベルさん……?」
「すみません、里桜」
ヴィベルの様子を見て困惑する里桜に、ヴィベルは言葉を放った。
「私も彼らを救いたいんです。彼らは私の弟と言っても過言ではありません。本来ならば、保護者として貴方を行かせるべきでは無いのだと思います。ですが、このままでは誰も幸せになどなれません。どうか、私も一緒にアルマゲドンに連れて行ってください。エルネストの血を引く貴方ならば、自分の意思でアルマゲドンにダイブできます。ですから……」
「……ありがとう」
里桜はブルージルコンの澄んだ瞳をヴィベルに向けて、心から感謝の言葉を告げた。
「反対しないでくれて、ありがとう」
ホロリと里桜の頬を涙が伝った。
「いつも味方で居てくれてありがとう、ヴィベルさん」
ブルージルコンの瞳に浮かんだ涙は宝石の様で、里桜は聖女かと見間違う如く美しく、不謹慎だと思いながらも、ヴィベルはドキドキと鼓動する心臓を静かに保つ事が出来ず、慌てて里桜から目を反らした。
「私は、いつだって味方ですよ。里桜」
そう言ったヴィベルがどうして避ける様に目を反らしたのだろう、と、里桜は不思議に思いながら、そういえば久しぶりに本物の顔を見た様な気がして、ついマジマジとヴィベルを見つめた。
サラサラの濃いめのブラウンの長い前髪が隠し切れず、目の周りが泣きはらした様に赤くただれているのが分かる。眼鏡には涙を擦った跡が残っており、やつれた様子から、よっぽど里桜を心配して憔悴しきっていたのだろうと伺い知れた。ヴィベルに申し訳ない事をした気持ちが募り、何をどう言ったらいいのか戸惑う里桜の口からは、「なんだか、久しぶりだね。ヴィベルさん」と、照れ隠しにも似たような言葉が零れた。
ヴィベルはふっと笑うと、「確かにそうですね」と、溜息をついた。
「ほんの数日しか経っていないのに、なんだかひと月も会っていなかったみたいに感じるもの」
「心配し過ぎて老けましたか?」
「そういうんじゃなくて!」
「ですが、本当に心配で死にそうでした」
「ごめんなさい」
ヴィベルは僅かに微笑んで安堵のため息をついた。痩せすぎな程に細い輪郭に、里桜は眉を寄せた。
「またご飯食べられなくなっちゃった?」
「私は大丈夫ですから、ご心配なく」
「あんまり痩せるとモテなくなっちゃうよ?」
ヴィベルはふっと微笑んだ。
——里桜は相変わらず私を男性として見てはいないのですね……。
と、諦めた様に小さくため息をつく。里桜以外にモテる必要などどこにも無いというのに。
恐らくプロポーズしたこともすっかりと忘れているに違いない。
「そうですね。まぁ、一生独身でもいいですよ……」
微笑みながら、ヴィベルの脳内には『完全にフラレた』という言葉が石造りの文字の様にゴゴゴと浮き上がり、ビシビシと皹を入れていた。
ヴィベルの頬が引き攣っている事に、マズイ事を言ってしまったと気づき、里桜は慌てて弁解しようと口を開いた。
「あっ。あの、そうじゃないの。そうじゃなくって! いつも味方で居てくれるから、だからね? なんだか、その……あの、ね」
「大丈夫です。付きまとったりしませんから」
「そんなこと思ってないよ! そうじゃないの! ただ、私なんかに関わってたら、ヴィベルさんが幸せになれないなって思って……」
この優しい人にこれ以上頼ってはいけない、と、里桜は考えるのと同時に、孤独感に苛まれた。
どんな時でも一緒に居てくれたヴィベルも、里桜と居る事で深く傷つけてしまうかもしれない。子供の頃からずっと支えてくれた理解者なのだ。
再び里桜がブルージルコンの瞳からボロボロと涙を零し始めたので、ヴィベルは慌ててハンカチを手渡した。
「泣かないでください! 大丈夫ですから、フラレてもずっと味方で居ますから!」
「そうじゃないの! そうじゃなくって……」
ぐしぐしと泣きながら鼻水を啜り、里桜は顔を真っ赤にした。
「ひとりぼっちは嫌だなぁって、自分勝手に思っちゃっただけなの。アルカも、ファメールさんも、レアンも、皆私のお爺ちゃんに苦しめられたんだもの。現実世界に戻った後も、やっぱり一緒になんか居られない。ヴィベルさんも、お母さんが日本に連れて来なかったら同じ目に遭わされてたかもしれないんでしょう? 私の事、怖いでしょう? 関わりたくなんかないよね?
でも、いけないって分かってるけど、それでも、ヴィベルさんがずっと味方で居てくれるって、言ってくれるから、私甘えちゃいそうで……」
「甘えてくれて構いませんが。むしろウェルカムですけれど……」
「でも、でも、お爺ちゃんが……!」
「私は里桜を拒絶するような気持ちは一切ありませんよ。言ったじゃないですか。嫌いになどなるはずがないと」
「本当に嫌じゃないの? 私に気遣ってくれてるんじゃなくて?」
「まさか! 私がどれほど里桜を愛していると思っているんです!?」
そう言い放って、ヴィベルは顔を真っ赤にした。
——しまった。勢いに任せて思いきり自分の思いをぶつけてしまった。里桜の反応が怖い……。
と、恐る恐る里桜を見つめると、「ヴィベルさん、ありがとう。こんな私に」と、あまり深くとらえていないのか、瞳を擦りながらそう言い放ったので、ホッとしたような寂しいような、複雑な思いになった。
「いつもそばに居てくれてありがとう、ヴィベルさん」
「いえ、いいんです。そんなことは……」
泣きじゃくる里桜を見つめながら、ヴィベルは思った。
恐らく今、里桜を抱きしめて、再びプロポーズをしたのなら、彼女は自分を受け入れてくれるだろう。どうしようもない心細さに苛まれて、ヴィベル以外に頼れる者が居ないと思っている。
今ならば、自分を受け入れてくれるだろう。
「……里桜」
泣き癖がつき、返事もまともに出来なくなってしまった彼女を見つめ、胸が締め付けられそうだった。
……こんな、不幸なプロポーズがあるだろうか?
受け入れざるを得ない状態の彼女に、自分の思いを押し付ける。そんな事はしたくはない。
ヴィベルはふっと笑うと、里桜の頭を優しく撫でた。
「何度も言いますが、エルネストの事は里桜が罪悪感を感じる事など一つもありません。それに、ファメールがあんな言い方をしたのは、さっきも言いましたが里桜を守る為です。貴方を現実世界に帰そうとした苦肉の策だったんですよ。恐らくその言葉を発するのはファメール自身辛かったはず。決して、彼も本心では里桜を拒絶したりしていません。本当はきっと助けて欲しいと思っているはずです」
「思い出しちゃわないかな? 私を見ると、辛い過去を……」
「本当に憎いと思うのなら、ファメールならば、アルマゲドンにエルネストと里桜を残し、電源を落とすくらいするのでは? 里桜が思っている以上に彼は狡猾ですよ。私はヴィベルとして、エデンで五年以上もの間彼の側で仕えたのですから、里桜よりも彼の性格は存じていると思います」
自分が全く力になれずに情けない、と、ヴィベルは思いながらも里桜にファメールの考えを伝えた。
「頼ってくれていいんです。里桜、一人でどうにかしようだなどと考えなくても良いんです。そうでなければ、折角側に居る私達は何のために居るのです? 皆、里桜の力になりたい。側に居たい。そう願っているんです。里桜もそうならば、離れる必要など無いでしょう?」
ブルージルコンの瞳から涙を零しながら、「ありがとう、ヴィベルさん」と、里桜はしゃくりあげながら言った。
里桜の背を優しく撫でながら宥めてやり、ヴィベルは里桜の髪にキスをした。里桜がカッと顔を赤らめて俯くと、コツコツと部屋の扉がノックされた。
「お! 小娘、気が付いたのか!」
アダムが顔を出し、里桜の様子にパッと顔を明るくすると、ズカズカと室内へと入って来た。
「いやぁ、めちゃんこ心配したぜ~」
「ごめんなさい。アダムさんはアルマゲドンにダイブしなかったの?」
「ああ。俺もアリエルもミシェルの奴に置いていかれたんだ。あいつったらよぉ、俺をぶん殴って鼻血吹かせて、その血をパスワードに使いやがったんだからなぁ~」
「ちょっと、アダム!」
ヴィベルは慌ててアダムに声を掛けた。
「里桜はまだ病み上がりなのですから、余り無理をさせないでください! 里桜、もう休みましょう。無理してはいけませんから」
アルカと里桜が血の繋がった本当の叔父と姪の関係にあるという事を、今は知らない方がいいだろう、と、ヴィベルはアダムの服をぐいぐいと引っ張った。
「どうしてアダムさんの血がパスワードなの?」
きょとんとしながら聞いた里桜に、ヴィベルはさぁっと血の気が引いた。
しまった……遅かったか。と、ヴィベルはアダムを殴りつけたい気持ちを必死に抑えた。アダムはあっけらかんとして「俺っつーか、カインの野郎はエルネストの実子だからな」と、鼻くそをほじりながら言うので、思わずゲイン!! と頭を殴りつけた。
「ってぇえええええ!! 何すんだよ小娘の叔父!!」
「黙りなさい! 貴方という人はっ!!」
「ホントの事言って何が悪いんだよっ!!」
「言うべきタイミングというものがあるでしょう!!」
「んなモン知るかよっ! あ――――っ!! うぜぇっ!!」
げしっ!! と、アダムがやり返し、ヴィベルのみぞおちに義手がさく裂した。ヴィベルは悶絶して蹲り、床に両膝をついた。
「はっは~! 俺の勝ちっ! 小娘の叔父よぉ、ミシェルやガブリエルと違って身のこなしがなってねぇぜ?」
私をあの化け物達と一緒にしないでください! と、叫びたくても叫べずにヴィベルは黙って痛みに耐えた。
「ちょっと! アダムさん! ヴィベルさんに乱暴しないでよっ!」
里桜がぷりぷりと怒ると、腹部の痛みに今度は自分が悶絶した。
「なんだ。腹痛コンビが出来ちまったなぁ」
「何やってんのよっ!」
パコン!! と、乱入してきたアリエルにハイキックで顎を蹴りつけられ、アダムはしこたまに脳を揺さぶられて床へと崩れ落ち、ぴよぴよと頭の上をひよこが飛び回った。
「全くもう! 騒がしいから来てみたら、病人の部屋で何をやってるのかしらっ! ラファエルさんが可哀想じゃないのっ!」
「アリエルさん……」
「あらっ! アンジュ、目が覚めたのねっ!! 心配したのよっ!?」
「と、とりあえず負傷者続出の為一旦仕切り直しましょう……」
ヴィベルがお腹を押えながらそう言うと、アリエルは「そうね。お茶でも淹れるわ」と、ニッコリと笑った。




