帰還
「い……た、た、た……全く、一体何だというのだ!」
総一朗が頭部を押えながら、キョロキョロと辺りを見回した。香木の様な甘い香りが漂い、白く僅かに発光すらしている様な花が辺り一面に咲き乱れていた。
「夢現逃花……それにこれは、アルマゲドンの筐体か!」
夢現逃花の花畑にポツリポツリといくつも置かれた、黒く四角い禍々しくすら見える筐体に総一朗はハッとして立ち上がった。先ほどこさえたたんこぶがズキリと痛み、慌てて手で押さえつけようとして、自分の服の袖がスーツである事に気づき、衣服を見下ろした。
濃い灰色に、銀糸でストライプの入ったスーツ生地。薄緑色のYシャツに、藍色のネクタイ。この姿だということは……?
よし! と、胸ポケットをまさぐってタバコを取り出すと、トンと底を叩いて箱から飛び出した一本を夢中になって咥えた。
ライターは……と、ジャケットのポケットをまさぐって、次はズボンのポケットをまさぐって、と、なかなか見つからない事に苛立っていると、ギロリと睨みつけるブルートパーズの瞳に気づき、総一朗は唇に咥えたタバコをポトリと落とした。
「総一朗!! 貴方という人は、何よりもまずはタバコですか!?」
怒り狂うヴィベルに、総一朗はわたわたと両手を振り、「お、落ち着け!」と、叫んだ。
「落ち着けるものですか! 全く、まずはここはどこだろうかと辺りの状況を調べもしないとは!」
「あー、まぁ、そうだな。ここはどこだ?」
「……日本のジグラート社本社ビルにあるマシンルームですよ」
「なんだと!? では、私はフランスからワープしたということか!?」
「そうなりますね」
ヴィベルは筐体に触れ、忌々しそうに唇を噛んだ。
「……恐らく私はファメールに掛けられた眠りの魔術が解けたから現実世界に戻って来たのでしょう。ですが、総一朗まで何故こちらに移動したのでしょうか」
「さぁな。私のタバコが恋しいという願いが叶ったのではないか?」
冷たい視線を総一朗に向けて、ヴィベルは頭を抱えたい気分になった。じとっとした空気を感じ、総一朗は頭を掻くと、「冗談だ」と訂正し、肩を竦めた。
「これがアルマゲドンの筐体なのだとしたら、周りの者を巻き込んでダイブする形となる。恐らくそのシステムの法則に従って、ラファエルが目覚めるのと同時に私をも巻き込んで連れて来てしまったのだろう」
では、ファメールはどうなったのだろうか、と、ヴィベルはマシンルーム内を見回した。
簡易ベッドに横たわるプラチナブロンドの髪の男の姿を認めて、唇を噛んだ。
——ファメールはまだアルマゲドンから帰って来てはいない、か。と、溜息をつき、他に誰もこの部屋には居ないようだと確認した後に、出入口へと歩を進めた。
「他に誰か戻っていないか確認しましょう」
総一朗も慌ててヴィベルの後に続き廊下へと出た。長い廊下を歩き、ベージュ色の絨毯が敷き詰められただだっ広い部屋へとたどり着くと、アリエルといちゃつく男の姿にヴィベルは「あっ……」と声を発した。
「ちょっと! カイン、だめよ! 私はミシェルが好きなのよ!?」
「俺のコトは?」
「……そりゃあ、嫌いじゃないけど」
「好きってことか?」
「まぁ、うん、そうね。好きよ」
「なあ、それってよぉ、食いモンの好きと同じ好きか?」
「そういう好きじゃないと思うわ。でもね、私はミシェルが……」
アリエルの身体を抱き寄せながら頬を緩ませ、アダムはニヤニヤと笑った。
——好きだって! 俺を好きだって言ったぜ!?
と、有頂天になり、アリエルにキスをした。アリエルは驚いてアダムの顔をぐっと両手で押しのけた。
「ちょ、ちょっと! カインったら!」
「アリエル、ベッド行こうぜ! な?」
「え!? ちょっと、だめったら!」
「いいじゃねぇか、愛し合ってンだしな!」
「愛し合って無いと思うわ!」
「一回だけ! な、一回でいいから!」
——この男は、私達がアルマゲドンにダイブしている隙に一体何をやっているのだ!?
と、ヴィベルは呆れて顔を顰めたが、いやいや放っておくわけにもいかないと考え直し、コホン、と咳払いをしてアダムに向かって声を掛けた。
「もしもーし、アダムー」
「おい、ラファエル。お取込み中ではないか?」
「関係ありませんよ」
「だがなぁ……」
背後から突如聞こえてきた声を無視し、アダムはアリエルに濃厚なキスをしていた。心の中で、『頼む、どっか行け!』と、願いながら、だ。
「それどころじゃありませんし。アダムちょっと邪魔しますよ」
ヴィベルがアダムの肩を掴み、ゆさゆさと揺すった。
「うっせぇ! 邪魔すんなっ! いいとこだったのにっ! 普通このタイミングで来るか!? 最悪だっ! 出直すとかすんだろうがよっ!! もう一回寝てろっ!」
「後から好きなだけいちゃついてください。今はそれどころではないので」
「今やりてーんだよっ! クソったれ!」
総一朗は呆れた様にため息をつくと、ヴィベルを見つめた。
「なんだ、アダムとやらは獣の様な男だな」
「そうなんですよ。狂暴ですし」
ヴィベルの言葉にアダムはピクリと反応すると、怒鳴り散らすように叫んだ。
「本能のまま生きてるだけだろっ!? つーか、今だけでいいから寝てろってばっ! 頼むからっ!」
「アダム、目的を忘れていませんか?」
「ちょっとくらいいいじゃねぇか! 俺の目的は俺が自由に幸せになるこった!!」
頼むから今は放っておいてくれと涙目になりながらも頑なに訴えるアダムに、ヴィベルは苦笑いを浮かべながら頬を掻いた。
「ですが、アダム。アリエルは男性ですよ?」
「……へ?」
シン……と、僅かに間を空けた後、アダムはポリポリと頭を掻いた。
「まあ、別にどっちでもいいけどな」
「!?」
「なんだ? なんかおかしな事言ったか?」
ポカンとしたアダムの隣で、アリエルも唖然として瞳をパチクリとさせており、「お? そうか、ってぇことは……」と、アダムがペタリとアリエルの胸に触れた。
「うおっ!! 全く乳がねぇっ!! そうか、こいつは寂しいな。少しくらい膨らみがあったっていいってのに! くっそぉ! だったら寝てるうちに小娘の乳揉んでこようかなぁ。よし、ちょっと行ってくらぁ!」
「バカな事考えるんじゃありませんっ!!」
ヴィベルにスパコーンとスリッパで殴られて、アダムはいじけた様に唇を尖らせた。
「ちょっとくらいいいじゃねぇか! このドケチ男めっ!」
「ケチとかそういう問題ですか!?」
「減るもんじゃなし、ちょっと揉むくらいよぉ。どうせ寝てんだから」
「良い訳無いでしょう!! ……って、え!? 里桜もこちらに戻っているのですか?」
里桜は肉体ごとダイブしていたはずだ。寝ているということは、戻って来たということなのかと、ヴィベルは瞳を見開いた。
「ああ、腹怪我してよ、今寝てるぜ?」
「怪我!? どういうことです!?」
「安心しろよ、乳は無事だ」
「そういう問題じゃありませんよ!!」
顔面蒼白になって声を発したヴィベルの後ろで、周りの状況についていけないと苦笑いを浮かべる総一朗を見て、アダムは灰色の瞳を見開いて立ち上がった。
「お、お前!!」
アダムは殺気立った視線を総一朗へと向け、身構えた。
「お初にお目にかかりますな。まあ、ラウディでも総一朗でもなんでも呼び方はお任せするが」
アダムの様子に億すこともなく、総一朗は握手の為に手を差し出した。
「……おめぇがこのアルマゲドンを構築したのか?」
「いかにも」
二人とも、今はそれより里桜を…と、ヴィベルが口を開こうとした時に、アダムが総一朗に掴みかかろうとしたので、ヴィベルが慌ててアダムを取り押さえた。
「てめぇっ! 俺は赦さねぇからな! この……」
「アダム! 落ち着いてください!」
「離しやがれ!!」
「いけません!!」
「こいつが、こいつが全部っ……!!!」
「アダム、聞いてください! 総一朗は利用されただけなんです!!」
「利用されてたら何だってんだ! ああっ!? この、『俺』を!! あんな、悲しい世界を作りやがってっ!!」
アダムの叫んだ言葉にヴィベルはドキリとして絶句した。
——そうか……。アダムにとっては、このシステムの生みの親である総一朗は父親の様なものなのだ。今までエデンやアルマゲドンが生まれたいきさつを、一体どんな気持ちで聞いていたのだろうか。アダムの気持ちを誰も尊重してやっていなかった。
と、ヴィベルは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
勝手に生み出され、アルカの中に封印され、挙句現実世界へと強引に飛ばされたと思ったら、今度はアルカの為に削除されようとしているのだ。自分の意思とは関係ないところでただただ振り回されるだけの、なんと悲しい運命だろうか。
「小娘が、あいつら全員がどれだけ傷ついたと思ってやがんだっ!!」
アダムの放った言葉に驚いて、ヴィベルは思わずアダムを見つめた。
——アダム……貴方は自分の事よりも、里桜や彼ら三人の事を……?
「親父なんて生き物は信用ならねぇ! てめぇの事しか考えてねぇ! ガキの事なんざ二の次だ。ただの人形としか思ってねぇんだろう! 戯れで作られた創造物なんて、玩具としか思ってねぇんだろうがっ!! 飽きたら捨てるんだろう!? 俺も、小娘もよぉ!!」
アダムはヴィベルの手から逃れると、総一朗をギロリと睨みつけた。
自分はただのプログラムだ。その事実がアダムにとってどれほどに悲しい事だっただろうか。現実世界で皆が生活する様を、どんな気持ちで見ていただろうか。海へ行き、コーヒーを味わい、星を見て、そのどれもが自分の存在する世界とは別の世界のものなのだという事が、孤独を感じずにはいられないのだ。
「分かるか? なぁ!! 分からねぇだろう!! 俺が偽物だってことは、俺以外のものは全部、俺のものじゃねぇって事だ。俺は、誰からも望まれてなんかいねぇ。愛されてもねぇ!! たった一人で、たった……」
アダムの瞳からボロボロと涙が零れ落ちた。
「でもなぁ、小娘やあいつらは皆望まれて生まれて来たはずだろう? だったらどうして悲しい目に遭わされなきゃならねぇんだ? 違うだろう。そうじゃねぇだろう! お前は親父なら、どうしてちゃんと大切にしてやらねぇんだっ!!」
「アダム、か。カインがエデンのシステムにより生み出した男か。なるほど」
総一朗はアダムを見つめ穏やかに笑った。
「ふむ。成程。ではお前も、里桜と同じく私とリタの子だということだな」
アダムを見つめたまま、総一朗は満足そうに頷き、唸るようにため息をついた。
「素晴らしいではないか。寂しさを感じ、感情を理解して他人の為に怒る事までできるとは。その優しさは誇りだな」
「……優しい、だと? 俺がか?」
「心が押しつぶされるほどの絶望から生まれた世界に、お前の様な優しさを持った男が生み出されるとは」
「なんだと? 何言ってやがんだ? バカにしてンのか?」
唖然とするアダムに、総一朗はニコリと微笑んだ。
「いいやすまぬ。だが、私は嬉しい。あのような世界に生み出された『アダム』という人間は、もっと機械的で感情が欠落した者だろうと思っていたのだ。それが、どうだ? 他人の為に怒る事ができ、孤独を悲しむこともできるとは予想だにせなんだ」
俯き、オロオロした様子でアダムは瞬きをし、唇を噛んだ。
——俺が、優しいだと? 俺はただ、カインの野郎の行動を真似てただけだ。あいつの考えや行動を一番身近に見ていたんだからな。
ヴィベルは小さくため息をつき、二人の様子を見守った。アリエルは「良く分からないけど、お茶の用意をするわ」と言い、アダムは俯いて僅かに唇を動かした。
「……なんだよ、ぶん殴ってやろうと思ってたってのに」
「暴力はいかんぞ?」
と、総一朗がアダムの肩に触れようと手を伸ばしたが、その手はアダムの肩をスルリとすり抜けた。不思議そうに総一朗は自分の手を見つめ、再びアダムに触れようとしたが、やはり触れる事はできずに空を掻いた。
「む? なんだ?」
「総一朗?」
ヴィベルが総一朗に触れようとすると、ヴィベルの手もまた空を掻き、総一朗には触れる事ができなかった。
「あ? 何やってんだ?」
アダムも総一朗に触れようとし、その手はやはりスルリとすり抜けて、ヴィベルの手に当たった。
心なしか総一朗の身体が半透明にも見える。
「総一朗! お、お化けですか!!」
「な! なんだと!? 私は死んだのか!! いつの間にっ!」
「ちょ、おい! 何がどうなってんだ!?」
「来ないでください! お化けは嫌いです! 悪霊退散!!」
「人を悪霊呼ばわりするなっ!」
「おいおい、死因は一体なんだ!? 幽霊ってのはこんなに元気そうなモンかよ!? 顔色良いしよ!?」
「何でもいいから近づかないでくださいっ!!」
「……あなたたち、どうしたの?」
アリエルがお茶を持って来ると、不思議そうに小首を傾げた。ヴィベルは慌てた様にアリエルの後ろへと隠れると、総一朗に「こ、この人はサバットの達人なんですから! 強いんですからねっ!」と、まるで盾にでもするように叫んだ。
「ラファエルさん、どうしたのかしら? カインとの喧嘩は終わったの?」
「……え? 私とアダムが喧嘩してるように見えたんですか?」
アリエルはパチクリと瞬きし、テーブルの上に持ってきた3客分のティーカップを並べた。
おかしい。ここには4人居るはずなのに。アリエルは飲まないつもりなのだろうかと思っていると、「私も一緒にお茶を頂くわ」と、ティーポットからお茶を注ぎ始めたので、唖然としてヴィベルがアリエルを見つめた。アリエルはその視線に気づくと照れた様にヴィベルを見た。
「なあに? ラファエルさんたら、そんなに見つめて。私に気があるのかしら?」
「そうか、ラファエルはそっちの気があるのか」
「アリエルさん!」
総一朗の挟んで来た言葉を無視し、ヴィベルはアリエルの両肩を掴んだ。アリエルは顔を真っ赤にすると、「やだ、私はミシェルが好きなのに、カインといいラファエルさんといい、積極的過ぎるわ!」と、照れた様にもじもじとしたが、ヴィベルは構わずに総一朗を指さし、「あれが見えませんか!?」と、アリエルに見る様にと促した。
「あれって? なにかしら?」
「アダムの隣に居るちょい悪親父です!」
「え? 何? そんなナイスガイが居るの!?」
「いえ、ナイスガイではなく、ガラの悪いおっさんです!」
「ラファエル、お前私の事をそんな風に思っていたのか……」
「ほら、声も聞こえませんか!? なんといいますか、耳障りで苛つく声が!」
「ラファエル、お前私の事を……」
「ほらほら、腹立たしくなりませんか!?」
アリエルはため息をついて肩を竦めると、憐れむ様にヴィベルを見つめた。
「ラファエルさん、アルマゲドンから帰って来て幻覚でも見る様になっちゃったんじゃないかしら? 少し休んだ方がいいわ」
……総一朗が見えていない。しかも、声も聞こえていない……。
「総一朗、やはりお化けですか!!」
「ま、待て待て! ではこのアダムには何故私が見えるのだ!? 声だって聞こえているのだろう!?」
「ああ、まあ聞こえてっけどよぉ。なんか、気持ちわりぃなぁ」
「気持ち悪いとは何だ! 親に向かって!」
総一朗が伸ばした手がアダムの身体をスカッと突き抜け、アダムは顔を引きつらせて叫んだ。
「なっ! もう親父面かよ!? 幽霊のくせしやがって図々しい奴だなっ!」
「カインまで独り言言い出して、一体どうしちゃったのよ?」
「かくなるうえは憑りついてやるからなっ!」
「止めてくださいっ!!」
「風呂もトイレもつきまとってやる!」
「ストーカーより悪質じゃないですかっ!!」
アリエルはヴィベルとアダムの様子にうーんと首を捻ると、テーブルについて一人お茶を一口飲んだ。
「良くわからないけれど、二人には私には見えない『いぶし銀男性』が見えているって事なのね?」
「アリエルさん、何やら想像上の総一朗がグレードアップしている気がするのですが……」
「総一朗? アンジュのお父様がいらっしゃるの? フランスに居るんじゃなかったかしら?」
アリエルの言葉にヴィベルは「あっ」と小さく声を発した。
「……なるほど、肉体はフランスにある、という事なんですね!」
総一朗は「なるほど」と、頷くと、「そう簡単にワープなどできぬか」と、落胆した。しかし、すぐに顔を上げると、焦った様に喚き散らした。
「まずいぞラファエル! 死体と間違われて処理されてしまうのではないか!?」
「……いっそ燃やして貰えばいいんじゃないですか? その方が色々と手間が省けます」
「ジエルも一緒なのだぞ!! 私が無理やり連れ出しのだから、労災が利かぬ!!」
「そっちの心配ですか!!」
ヴィベルは大きくため息をつくと、端末を取り出して操作し始めた。
「エデンを人に見られる訳にはいきませんし、とりあえずフランス支社の社員には例の邸宅に人が近づけない様にだけ依頼しておきます」
「ああ、すまぬな」
ふぅ、と顔を覆い、ヴィベルもテーブルへとついた。「頂きます」と、アリエルが淹れてくれたお茶を飲んで一息つくと、端末を操作しながら状況の仮説を上げた。
「アリエルさんと私やアダムの差。もしかすれば、エデンに関わったかどうかで、総一朗が見える、見えないの差なのかもしれません。総一朗の肉体はフランスにあるので、アルマゲドンにダイブしたであろう意識だけがここに居るのではと思うのです」
「小娘の叔父はミシェルの奴の魔術で、肉体がマシンルームで眠らされていただけだからな」
「じゃあ、ミシェルも起きてるのかしら! 会いに行って来るわ!」
と、嬉しそうに立ち上がろうとしたアリエルを、ヴィベルは止め、首を左右に振った。
「……いえ、彼は、帰っては来ません」
「どういうこと?」
「ちゃんと説明します、が、その前に。アダム、里桜がここに戻って居るのですか?」
「ああ。すっげぇ怪我してよ、ガブリエルの奴が手術したみてぇだけどな」
「手術する程の怪我だったんですか!?」
「ああ。今寝てるからよ、起こさねー方がいいぜ? 結構やばかったみてーだし」
すぅっと青ざめて、ヴィベルは不安げにブルートパーズの瞳を細めた。
「……では、レアンが里桜についてあげているのですか?」
「いや、あいつは……多分、アルマゲドンに戻った」
曖昧に言葉を濁して俯くアダムに、ヴィベルは眉を寄せた。
里桜の手術をしてすぐさまレアンがアルマゲドンに戻る理由は恐らく、ファメールを支える為だろう。と、考えて、いや、それよりも里桜の無事をと思いを巡らせた時に、カタカタと手が震えだし、抑えきれなくなった。
——里桜。そんな、大怪我だなんて……。
ヴィベルは顔面蒼白になり、ダラダラと脂汗を垂らした。
「おい、お前大丈夫か?」
「助けてください、アダム。私にはもう、どうすれば良いのか……」
「え? 俺、何もできねぇけど……」
今にも泣きそうなヴィベルの様子に、アダムは困惑し、人差し指を咥えて落ち着かない様子で首を左右に振った。
「なあ、一体何があったんだ? なんでお前らバラバラなんだよ。なんでミシェルの奴は帰って来ねぇんだ?」
俯き、息が上がる苦しさに耐えようと唇を噛むヴィベルの代わりに、総一朗がこれまでの事をアダムに話して聞かせた。困惑していたアダムの表情が段々と険しくなってきたが、総一朗は構わず最後まで伝えた。
ヴィベルは腰かけた椅子に片足を立て、その膝に額を乗せる様に突っ伏して、総一朗が話し終えるのを黙って待った。
話し終えた総一朗にアダムは深くため息をつき、苛立った様に灰色の瞳で総一朗を睨みつけた。
「おめぇら、バカぢゃねぇのか!? 何やってやがんだよ! 何のためにダイブしたんだ? 結局お前らが救われたいからそうやって心配してるフリしてるだけの偽善野郎じゃねぇかよ!!」
「落ち着け」と、総一朗が発した言葉にアダムは舌打ちをし、「あー、クソったれ!!」と、側にあった椅子を蹴り飛ばした。
「落ち着いてられる訳ねぇだろう! おめぇらは小娘がこっちに戻ってさえいりゃあ大満足ってわけか!? ミシェルやガブリエルの事なんか結局どうでもいいんだろっ!! そりゃあそうだよなぁ!? お前らには関係ねぇもんな? あいつらの痛みも苦しみも、一つも味わった事なんかねぇんだからなっ!! だからそうやって落ち着いてられるんだろうがっ!」
ヴィベルは立ち上がり、アダムの襟首を掴むと怒鳴りつけた。
「本気で言っているんですか? 私が、彼らを見捨てたと本気で……!!」
アダムはぐっとせり出してヴィベルを睨みつけ、「じゃあ、てめーはどうしてぇんだよっ!」と、怒鳴り返した。
「何も出来なかったから今こうなってんぢゃねぇのか!? ああ!? ちげぇのかよっ! クソが!! 良かったよなぁ、てめーだけは無傷でよぉ!! このままあいつらを見捨てる気なんだろう!! 俺はぜってぇ赦さねぇからなっ!!」
ヴィベルのことだ、里桜にはこれ以上危険な目に遭わせられないと考える事だろう。里桜の安全を優先するのならば、ファメールとレアンの二人を見捨てるに違いないとアダムは考えたのだ。
ヴィベルはアダムに負けず声を荒げた。
「ああそうですよ!! 何もできませんでした! いつも、いつもいつも何もできない。力になるどころか傷つけてばかりで何もできない!! ですから、今度こそは救いたい! そう思って……」
ヴィベルの瞳からポロリと涙が零れ落ちた。
「……私は、一人だけエルネストの元から逃れ、何も知らずに生きてきました。そんな自分が赦せないんです。アルカも、ファメールもレアンも、姉さんが私を養父の戸籍から抜くまでは義弟であったはず。彼らを救いたい! そう思っているのは事実です。勿論、里桜を危険な目に遭わせたくはありません。
けれど、里桜を本当に救う為には彼らの存在もまた必要不可欠です。そして、彼らを救う為にも、里桜の存在がまた必要なんですっ!! ファメールは、『自分達の世界』から出て行けと言いました。エルネストと共にあの世界に閉じこもり、残る気なんでしょう。
彼は……自分を犠牲にする気なんですっ!
レアンもまた、ファメールの考えに同調して犠牲になる為に戻ったんだと思うんです。本当は、彼らだって里桜の側に居たいくせに。誰よりも里桜を必要としているくせに!! エルネストを恐れているくせに!!」
彼らをこのままあの世界に置いておくわけには絶対に行かない。そして、里桜の心も、だ。
ファメールやレアンが思う程、里桜が彼らを想う気持ちは決して軽くは無いのだ。どうして言葉が通じるのに、心は通じ合えないのだろうか。
「バカ野郎……わかってンぢゃねぇか」
アダムはふっと笑った後、顔をくしゃりと歪め、ボタボタと涙を零した。
「俺は嫌だからなっ。おめーらが不幸になるなんて、ぜってぇ嫌だからな! 全員が幸せにならねぇと、絶対に嫌だからなっ!」
ヴィベルはアダムの襟首から手を離すと、「すみません」と、顔を背けた。
「……なんということだ」
総一朗がポツリと言葉を放ったので、ヴィベルとアダムが怪訝な瞳を総一朗へと向けた。
「まさかラファエルが暴力的な行動に出るとは思わなんだ。良かった、幽霊で。殴れんからな!」
この男、最低だ……と、ヴィベルとアダムは初めて心が通じ合った気がした。




