逃奔
里桜は相変わらず心を失ってしまった様に虚ろな瞳で座り続けていて、ヴィベルや総一朗が何を言っても反応一つしなかった。
里桜の心を取り戻す為にはどうすべきか……。
まずはこの世界の事を把握しなければ、と、ヴィベルは今までの経緯を総一朗に話して聞かせ、総一朗もまたフランスでエデンの筐体を破壊しようとしていた事をヴィベルに話した。
外を出歩いて他の天使達の様子を確認してみると、ほとんどの天使の首筋に『F』の刻印があることに首を傾げた。
「さて、首筋の刻印の事はよくわからんが、大体状況は掴めた」
ぐっと伸びをしながら首を左右に動かしてポキポキと鳴らすと、総一朗は欠伸をした。
「では後は頼んだぞ、ラファエル」
「……は?」
「言っただろう、私はもう歳だ。後は副社長に任せた」
「一人娘の一大事に何を言っているんです!!」
「一人娘だからこそ、だ。後は夫候補に任せた」
「……えーと」
ヴィベルは呆れた様に冷たい視線を総一朗に向けた後、コホンと咳払いをした。
落ち着こう。総一朗のふざけた態度は今に始まった事ではない。そもそもアルカが夢幻世界にダイブしているというのに、フランスにあるエデンの筐体を破壊しようとしたというのも無茶苦茶……
そこまで考えて、ヴィベルはハッとして総一朗を見つめた。
「フランスに、エデンの筐体がもう一台あるんですよね!?」
「ああ、そうだが?」
「それなら、日本の筐体が破壊されたとしても、アルカのデータは無事なのでは?」
そもそも日本にあった筐体はフランスの筐体へ侵入する為のクラッキング用だ。それなら、アルカのデータは残っているはずだ。
ヴィベルの問いに、総一朗は残念そうに首を左右に振った。
「私が何年も黙ってエデンの筐体を放置していたと思うか? カインのデータを日本の筐体に移し終えたからこそ、フランスにある筐体を破壊しようと思ったのだよ。私とてカインを殺そうなどと思いはせん」
——そのデータを、偶然にも破壊されてしまった。
アダムの義手のプログラムがジエルにより改変され、里桜を狙っていたが故にそれを守る為に……。
義手が飛んできたあの時、里桜の側に居ながら一番何もできなかった己の不甲斐なさに腹が立って仕方がないと、ヴィベルは悔やんだ。割れたガラス片がスローモーションの様に見え、自分はただ『里桜!』と、叫ぶ事しかできなかった。
ファメールの魔法障壁が無ければ、里桜は大けがを負っていたかもしれない。アルカが里桜を守ろうとしなければ、里桜は死んでいたかもしれないのだ。
里桜を失っていた可能性を考えて恐怖に耐える為ぎゅっと拳を握りしめると、面倒そうに欠伸をする総一朗にやきもきし、立ち上がった。
「どうする気だ?」
「なんとかしてリオを現実世界に帰さなければ。その為には正気を取り戻して貰う必要があるでしょう。私では彼女の支えにはなりませんから……」
「ミシェルやガブリエルならばリオを正気に戻せると?」
総一朗は大きなため息をつくと、頭を掻きながらチラリとヴィベルを見た。
どれほどに悔しく思っていることだろうか。里桜を傷つけた張本人にヴィベルは頭を下げに行こうとしているのだ。
「しかし、カインのデータは喪失したのだろう? それを知っていても尚現実世界に戻りたいと思うかね?」
「アダムの中にアルカの記憶があるのです」
ヴィベルの言葉に総一朗は眉を寄せた。
「それは……引き出したらアダムとやらを消すしか無くなるのではないか?」
「アダムの削除プログラムをファメールに渡してあります」
「……なんだと!?」
総一朗から視線を背け、ヴィベルは言葉を続けた。
「アルカでなければ、衛星メギトへの命令を止める事ができません。アルカを復旧させない訳にはいかないんです。例えアダムを殺してしまう事になるとしても」
その声は震えていた。背を向けるヴィベルを見つめながら、総一朗は眉を寄せた。
——ラファエル、お前は、どんな思いでそのプログラムを作った? 里桜の事を考えて、感情を押し殺し、殺人プログラムを組んだというのか?
里桜とラファエル。自分にとって娘と息子の様な存在の二人が辛い時に、何もしてやれなかった。やはり親として失格だな、と、総一朗はため息をついた。
「いや、なぁ……。現実世界など、もう良くは無いか?」
「……は?」
「ここは住みやすそうだ。リオが元気になりさえすれば、皆で仲良く幸せに暮らすのも良いだろう。メギトの命令など忘れてしまえばよいではないか」
「総一朗、本気ですか!? ここは死後の世界かもしれないんですよ!?」
「この際、生も死もどうでも良いだろう。もう止めにせんか? これ以上戦って傷つくのは。ミシェル達に事情を説明し、皆で楽しくここで暮らせば良いではないか」
相変わらず無責任な事を言う男だ、と、ヴィベルはブルートパーズの瞳でジロリと総一朗を睨みつけた。
「リオをこんな所に居させたく無いんです。一秒たりとも!!」
ドン!! と、テーブルを両手で叩きつけると、ヴィベルは総一朗を残し、一人部屋から出ようとした。
「おい」
ヴィベルの服の裾を総一朗がむんずと掴んだ。襟元がきゅっと締まり、ヴィベルは「うっ!! ぐ!!!」と、声を上げた。
「ラファエル、しかし少し待て」
「総一朗! 苦し……はな……」
「その『アダム』という人物、ぬしの話では、エデンで創成された人格なのだろう?」
「ぐ……るじ……」
「だとするならば、妙だとは思わぬか?」
「そ……いち……ろ……死」
ヴィベルの顔色が赤紫色に変化したのに気づき、総一朗が「うお?」と叫んだ。
「あ、すまぬ」
パッと手を放すと、ヴィベルはぜえぜえと息をきらしながらその場に蹲った。
「何するんですか!!」
「もしもこの世界が死後の世界だというなら、現実世界にいるその『アダム』という男にも魂が宿った、と言うことにならぬか?」
「知りませんよ!」
「プログラムが夢を見る。いや、そもそもプログラムそのものが夢ということなのか。ふむ、ロマンを感じるな。なんだ、このシステムは傑作ではないか!」
「何寝ぼけた事言ってるんですっ!?」
——総一朗が傑作だと宣ったシステムのせいで、今こうして皆が不幸に陥っているというのに、この男は全くもって反省の色が無い!
と、ヴィベルはコメカミにビキビキと青筋を立てた。
コツコツと部屋のドアをノックされて返事をすると、ゆっくりと丁寧に扉が開かれて、アッシュブロンドの髪の男が姿を現した。
「レアン……」
ヴィベルはどんな顔をして彼らと会話すべきか戸惑いながら声を発すると、レアンは礼儀正しくお辞儀をした。
よそよそしくさえ感じる態度ではあったものの、何も言わずに受け入れるしか無い、と、ヴィベルも同じように、しかしどうしても誤魔化したくて、曖昧に俯き加減で会釈を返した。
「邪魔をしてしまい申し訳ございません。リオと少し話をしたいのですが」
レアンの申し出にヴィベルはすまなそうに瞳を細めた。
「リオは今、会話ができる状態ではありません……」
「傷つけてしまったことは申し訳無く思っています。ですが、ほんの少しでいいのです。会わせていただけませんか?」
レアンは里桜がまるで魂が抜け落ちてしまった人形の様な状態になってしまったとは思いもしておらず、ヴィベルがただ、傷つけた事を非難して里桜に会わせまいとしているのだろうと受け取った。
「……そうじゃないんです。リオは今、口を利ける状態ではないと言っているんです」
「どういう意味です?」
「それは……」
「どれ、私が連れて来よう」
総一朗がよっと立ち上がると、唖然とするヴィベルの横を通り、部屋から出て行こうとした。
「ちょっと! 総一朗!」
「気にしておっても仕方あるまい? 荒療治も必要だろう? お前も二人に会いに行こうとしていたではないか」
「ですが! ファメールにも事情を話し、慎重にいかなければ!」
慌てるヴィベルの様子にレアンは怪訝に思い、「リオに何かあったのですか?」と、問いかけた。
「娘はあれ以来まるで魂が抜け落ちた様だ。口も利かぬし動きもしなくなってしまったのだ」
「え……?」
「さあほら、リオは隣の部屋だ」
——里桜が……? 人形の様に……
レアンはそれ以上何も考える余裕もなく、反射的に踵を返すと、総一朗を追い抜いて隣室の扉を開いた。
「リオ……?」
しかし、そこには誰の姿も無かった。
ただ白いだけの無機質な部屋があるだけで、そこに居たはずの、心を失った女性の姿は消えていたのだ。
「おや? おかしいな、何処へ行ったというのだ? 一人で現実世界に帰ってしまったのか? あの状態で一人で帰すのは流石にまずいな……」
ひょいと室内を覗き込んだ総一朗が言い終える前に、レアンは駆けて行った。里桜を探しに行ったのだろう。まだこの世界に居るのだと信じて……いや、恐らく彼の行動は反射的なもので、とにかく里桜を探さなければという思いのみで行動したに違いない。
総一朗は頭を掻きながらその後ろ姿を見送った後、元の部屋へと戻った。項垂れたまま、立ち尽くしているヴィベルに声を掛けると、ヴィベルの頬を伝った涙がポタリとカーペットへと零れ落ちた。
「ラファエル、リオが居なくなってしまったぞ」
「はい……」
「どうした?」
「レアンが追ったのでしょう?」
「ああ」
「では、私の出る幕はありません」
「……何を言っておる?」
しっかりせぬか! と、怒鳴りつけたい衝動に駆られたが、総一朗は自分にそんな資格は無いな、と、握りしめた拳の力を緩めた。
ヴィベルは自分の不甲斐なさを実感していた。
里桜は、ヴィベルと総一朗を置いて姿を消してしまったのだ。
彼女にとって自分も総一朗も必要無い。そういう事だろう、と、ヴィベルは考えて、女々しい思い込みだと知りながらも否定できず、唇を噛んだ。
里桜に拒絶された時の事を思い出し、ヴィベルは自分はもう既に里桜から必要とされていなかったのだと悟った。
「ガブリエルにリオを譲る気か?」
「……私ではだめなんです」
「ラファエル?」
「私では、リオを助ける事ができません」
「そうだな」
はぁ、と、大きくため息をつくと、総一朗は椅子へとどっかりと腰を下ろした。
「今のお前では、な」




