夢幻
総一朗は語り終えると、ふぅーっと深いため息を吐いた。
「やれやれ、タバコ無しでは本当に骨が折れるな。なあラファエル。何か代わりの物でもいい、持っていないか?」
「持っている訳無いでしょう。私も貴方も、この世界で創成された大天使なのですから。この世界で唯一創成されていないのはリオだけです」
ヴィベルはそう言った後、総一朗に深く頭を下げた。
「総一朗、すみませんでした。 貴方を疑ってしまいました。ずっと尊敬していたのに、つい、リオの事となると私は……」
「いや、良いのだ。ラファエルの言う事は正しい。私が父親として、リオに何もしてやれなかったのは事実だ。そればかりかこうして苦しめてしまっているのだからな」
唇を噛み、ヴィベルは尚も心を失ってしまったかの様な里桜を見つめた。もしもエルネストがアルカではなく里桜を生贄に捧げていたらと思うと、ゾッとするどころではない。
「何故もっと早くにあの筐体を破壊しなかったのですか? あれさえなければ、誰も犠牲にならずに済んだのでは?」
「私にはエデンもアルマゲドンも作ろうと思えば簡単に作る事ができる。だからリタが、私自身の安全の為に、筐体は破壊せずにとっておいた方が良いと言っていたのだよ。もしも筐体を破壊してしまえば、あの男の事だ、私を捕らえ、拷問の限りを尽くしていただろう」
「それに……」と、総一朗はため息交じりに言葉を吐いた。
「リオの病がもしも治らなかった時、あの筐体はリオの慰めになるのではと思った」
総一朗のその言葉に、ヴィベルは俯いた。今は一見健康体に見える彼女も、病の後遺症が無くなったわけでは無い。元々リタと総一朗が想定していたエデンというシステムは、そういった心のケアをする為のものなのだから。
そして、エデンでの体験。偶然とはいえ、アルカとの出会いは彼女の心を救う事に繋がった。けれど根本的には里桜を苦しめてしまった筐体であるとも言える。元々は人を救い、癒す為に開発されたものなのだというのに。幸福を手に入れる為の代償はあまりにも大きい。
「この世界は、本当にアルカが創成した世界なのでしょうか? エデンとはあからさまに違い過ぎて、違和感すら覚えます」
エデンでアルカは魔族の国を創成していた。それに対し、神や天使が存在しているこの世界はあまりにも対照的過ぎる。
「……いいや、これはエルネストの世界だな」
総一朗は断言するようにきっぱりと言い切った。
「ですが、アルカでなければ創成できないのでは?」
「エデンはカインが創成した世界にユーザーとなって参加する。したがって、世界そのものはカインの世界で、ユーザーは国を持つ形で参加するのだ。だが、アルマゲドンは、カインが創成した世界を元に、それぞれも創成者となって参加するというわけだ。エルネストがこの世界をカインから浸食しているのは、システムとして不具合ではないのだよ」
総一朗の言葉に、ヴィベルは眉を寄せた。
「……ユーザーであれば、誰でも浸食ができる世界なのですか?」
「ゆくゆくはアルマゲドンという世界をいくつもコピーし、ユーザーに与える予定であった。つまり、一人のユーザーには一つの世界を与えるということだ。当然、誰でもダイブできるようには作ってはおらん」
エデンがオンラインゲームだとしたら、アルマゲドンは逆にオフラインゲームであるということだ。その理屈であれば妙だ……と、ヴィベルは不可思議に思い、小首を傾げた。
「総一朗、だとすれば、我々は何故ここにダイブできているのです?」
オフラインゲームであるならば、ユーザーは一人だけのはず、と、ヴィベルは疑問を口にした。
「わからん」
総一朗はキッパリと言い捨てると、無いとわかっているというのにタバコが無いかポケットをまさぐって、溜息をついた。
「エデンもアルマゲドンも基本的には別筐体で構築したのだ。それだというのに、エデンでのデータがアルマゲドンに引き継がれている節がある。何者かが手を加えたのだとしか思えんな」
「では、ここはエデンでもあり、アルマゲドンでもある、ということですか?」
「そうなるな。でなければ、カインが自分の記憶を引き継いでアルマゲドンに存在していたのに説明がつかん。しかも、私がダイブしたのはフランスにあるエデンの筐体だ。お前達は日本にあるアルマゲドンの筐体からダイブしたのだろう? どう考えても私が構築したものから改変されている」
一体誰が……? と、考えて、総一朗は思い当たる人物が居るのか、苦々し気な顔をした。ヴィベルはその表情を読み取って、同じように渋い顔をした。
「総一朗。ジエルとエルネストの接点は?」
カフジエル・ステヴナン。ジエルの名だ。緩やかな赤毛に愛嬌のある笑顔を浮かべ、少年の様な小柄な躯体の彼は、つかみどころのない性格で、プログラマーとしての技術は右に出る者はいないという程に長けている反面、問題も多く厄介な男だった。
会社の極秘データにアクセスをしてみせては、『社長、副社長。セキュリティが甘々っスよ!』と、ケラケラと笑いながら指摘し、何度懲戒処分をしたことか知れない。
「……ジエルはエルネストの元で育った。あやつも実験体の一人なのかもしれん」
「それを知っていてうちに採用したんですか!?」
「ああ。名を聞いてピンときた。エルネストは敢えて七大天使の名をつけているからな」
ヴィベルはテーブルを叩くと、怒鳴り散らそうと口を開き、ああ、里桜がここに居るのだと思いとどまって控えめに声を発した。
「……ジエルはリオを殺そうとしたんです」
アダムの義手が里桜を狙うプログラムとなっていた事、そのプログラムを組んだのはジエルであった事、そして、それを防ぐ為にアルカが自らを犠牲にした事をヴィベルは総一朗に話して聞かせた。
総一朗は頷く事もせず、ただじっと黙って話を聞いた後、深く長いため息を漏らした。
「あやつを問いたださねばならんな」
「ええ」
「……ふむ」
総一朗はうんざりした様に項垂れた。『めんどくさい』と、顔に書いてあるぞとヴィベルは指摘したい気持ちをぐっと堪えた。
「しかし、いくらアルマゲドンのシステム上可能なのだとしても、アルカの様に強烈な負荷無しに世界を創成できるものなのでしょうか。エルネストは現実世界を捨てたいと思う程の精神的負荷を負っていたんですか?」
ヴィベルの指摘に総一朗は「まさか」と、肩を揺らして笑った。
「あの男は自分のやりたい事をやっているだけに過ぎんさ。だから『聖書』なのだよ。いくら身体を乗っ取ろうとも、カインの様に本当に自分の理想の世界を一から創りあげる事など不可能だ。あの男は上位権限を持ちながら、『聖書』の世界観に頼る事しかできんのだよ。人の想像力というものは無限大の様に思えて、知識以上の想像はできんものだ」
「それはつまり弱点とも言えるのでは?」
総一朗は頷くと、ニヤリと笑った。会社でよく見る、新しいプロジェクト発足時の野心に満ち溢れた顔だ、と、ヴィベルは少し嫌な気分になり、苦笑いを浮かべた。
「流石ラファエル。そうだとも! 奴は『聖書』に載っている通りにしか動けん! 必ずや盲点があるはずだ。そこを突けば恐らくは手も足も出んだろう」
「あの、総一朗。問題が」
「何だ?」
「私も総一朗も聖書を熟知しておりませんけど……」
「……」
総一朗の人の悪い笑みが苦笑いへと変わり、二人はシンと沈黙した後に、深いため息をついた。
「なんとかしてミシェルやガブリエルを引き込むしか方法はあるまいな。あ奴らならばエルネストの教育で聖書を叩きこまれただろうからな。しかし、よくわからぬのだ。リオは何にショックを受けているのだ? エルネストが自分の祖父だと知っても、だからどうしたという感じだろう? 面識もない相手なのだしな。大体、リオと実験体にされた三人の兄弟との接点など、エデンの中でしか無かったわけだろう?」
「それは……」
と、ヴィベルは言いづらそうに口を開いた。
「現実世界で再会したんですよ。とはいえ、エデンにダイブした時点で既にリオにとって、彼らが心の支えになっていたので」
「心の支えだと?」
「彼らを好いているのだと思います」
「ほお? 色恋一つせなんだで心配していたが、三人同時とはやるな。ラファエル、お前は何をまごついていたのだ? お前こそリオを好いていたのではないのか?」
総一朗の言葉に、ヴィベルはすぅーっと青ざめてぎこちなく口元をヒク付かせた。
「え!? ど、どうして知っているんですか!?」
「……バレバレではないか」
「知っていて私達二人きりで住む事を許可していたんですか!?」
「お前がいつまでたっても不甲斐ない上に、リオは色恋に関しては余りに鈍いからな。全く心配しておらんわ」
顔面蒼白のヴィベルを前に、総一朗はやれやれとため息を吐いた。
「そこまで驚くことか?」
「驚きますとも!」
ヴィベルの動揺っぷりに、総一朗は肩を揺らして笑った。
「まったく。リタが折角気を回してお前をエルネストの養子から外したというのにな。叔父と姪の関係では結婚ができぬだろう?」
「ちょっと待ってください、姉さんも知っていたということですか!?」
「……当たり前だろう」
それほどに自分の好意がバレバレだと言うのに、当の里桜本人が全く気づきもしないとは、里桜の鈍さは折り紙付きというわけだ、と、ヴィベルは何とも言えない複雑な顔をした。
「私もリタも、リオの事を全て理解しているお前が夫となることを望んでいた。そうでなければ会社の副社長にもせんだろう? 勿論、押し付ける訳にもいかぬから、黙っていたが」
「ですが……では何故姉さんはリオに花嫁修業まがいの事を!? 私以外の者と結婚させようと必死の様に見えましたが」
「保険さ。リオがぬしに惚れるかどうかもわからぬのだからな。しかしまあ、私としては、あの三人の中ではガブリエルが気に入っている。あの男は真面目で良いな!」
なるほど、総一朗はエデンでラウディであった記憶から、レアンを気に入っているのだと思い、ヴィベルは増々複雑な表情を浮かべた。
「はあ、レアンは確かにそうですね。誠実ですし」
医師であることからも頭脳明晰。容貌魁偉で質実剛健だ。思いやりも気配りも卒がない。自分が里桜の父の立場であるならば、間違いなくレアンを娘の伴侶として推薦する事だろう。
「リオは誰を選ぶのだろうな?」
「アルカでは無いですか?」
「いや待て。カインはリオの実の叔父だぞ? 結婚できんぞ」
「総一朗……この際結婚なんてどうでも良いのでは?」
「しかし、私はリオの花嫁姿が見たいぞ!」
「……それは、私も見たいですが」
できれば自分の花嫁として。と、考えて、ヴィベルはこんな時に何を考えているのかと、自分に呆れた。大体、入籍しなくても花嫁衣裳を着る事は簡単に出来る。今考えるべきはそんな先の事ではない。
「ミシェルはあまり女性に興味を示すタイプでは無さそうだな。あやつは対象外か。あの男がリオに惚れてくれれば色々と楽なのだがな」
やれやれとため息をつきながら総一朗が言った言葉に、ヴィベルは食いついた。
「いいえ! あの人こそリオにぞっこんですよ! それなのに本人は認めようとしないので質が悪いんですからっ!」
「ほぉ? それは面白い展開だな」
そう言った後、総一朗はポンと手を打って、納得したように頷いた。
「ああ、成程。そうか、そういう事か。だからああいう行動に出たのだな! おおっ! 流石に天才の考える事は凄いなぁ! 今鳥肌が立ったぞ!?」
「……何です?」
また訳の分からない事を言い出した。と、冷たい視線を送るヴィベルに、総一朗はニヤリと笑うと、尚も人形の様に虚ろな表情を浮かべたままの里桜に一瞬視線を走らせて、小声でヴィベルに言った。
「ミシェルはリオを現実世界に戻す気なのだろう」
「は!? あの行動がですか?」
やはり訳の分からない事を言い出した! と、呆れた顔をするヴィベルを前に、総一朗は尤もらしく頷いた。
「ユーザーとパスワードの設定が『エルネストの血』を最高権限としている。ともなれば、カインとリオ。つまりは現状リオだけが自由にアルマゲドンと現実世界とを行き来できるということになる。賢しいあの男の事だ。それに気づいたのだろうな」
「ちょ、ちょっと待ってください。では、どうすればリオは現実世界に帰れるのですか?」
「アルマゲドンという世界に絶望すればいい」
アルマゲドンという世界に絶望……? そういうことか! と、ヴィベルは僅かに息を飲んだ。
里桜を現実世界に帰す為に、ファメールは敢えて自分達にもう関わるなと里桜を傷つけた。関わりを拒絶することで、里桜はこの世界に絶望し、現実世界に帰るだろう、と予想したのだ。
それは恐らく、里桜を大切に思うファメールにとって最も辛い発言であったに違い無い。悲しみを悟られない為に、里桜に視線を向けない様に、彼は必死だったのだ。
「ラファエル! お前もうかうかしてはいられぬな!」
「いえ、今はそれどころでは……」
人形の様に虚ろな瞳で静かに座り続ける里桜を見つめ、ヴィベルは心配そうに眉を寄せた。
ファメールのその言葉のせいで、里桜はアルマゲドンに絶望する前に、自分自身に絶望してしまった。ファメールにとってそれは計算外であったに違いない。
「それにしても、だ。私はエルネストによって創成されたというわけか。なんだか嫌だな」
総一朗は億劫そうに白髪の混じり始めた頭を掻くと、「むぅ、やはり面倒だな」と、肩を竦めた。
「私はもう歳だ。今更あれこれ考えるのは勘弁してくれぬか。後は優秀な副社長に任せて引退したいところなのだが」
「止めてください! 今冗談を言っている場合ではないでしょう! 娘の一大事だと言うのに、自覚あるんですか!?」
「私がどうこうできる問題ではないのでな。恋煩いにはつける薬が無いというし」
「そんな問題では無いでしょう!!」
ヴィベルは発狂しそうな程に頭を掻きむしると、ベッドに黙って座ったままの里桜の側へと行き、彼女の手をぎゅっと握った。
「大丈夫ですから! 必ず元に戻してみせますから!」
「ラファエル、親の前でキスは勘弁してくれ」
「しませんっ!!」
「擽ったら治ったりせんか? 足の裏とか脇の下とか。おい、ラファエル、変顔でもしてみろ!」
総一朗は里桜の前で両手を器用に駆使して変顔を決めこんでみた。
「ぬ? ダメか? では、これはどうだ!? 自信作だぞ!?」
「止めてください!!」
相変わらず無茶苦茶な事をする、と、ヴィベルは思って、いいや、この人のペースに飲まれてはならないと首を左右に振った。
まずは何をすべきかを考えなければ。傷つき、虚無と化した里桜をこのまま現実世界に戻したところで、彼女の心は癒えないだろう。しかし、この世界に長らく滞在する事は身体に影響は無いものなのだろうか?
ヴィベルは唇を真一文字に結び、じっと考えた。
バーチャルリアリティとは……夢幻とは何か。スタンドアロンの世界の様で現実とも繋がっている。遠く離れているはずの日本とフランスとが繋がっているのであれば、距離という概念は存在しない。そして、エデンでは死んだはずのリタが存在していた。
「……夢幻の世界とは、ひょっとして、現実と死後の世界の狭間にあるのでは? だとすれば、全てが繋がっているというのも理解できます」
「死後の世界は万国共通だと? 私にはよくわからぬな。キリスト教徒の幽霊に、念仏を唱えて通用するのか?」
「するんですよ、きっと! ですから、言葉も共通になるんです。ジグラートはバベルの塔の意味ですよね? それはこの事だったんですよ。言語だけではなく、宗教ですら一つになるんです。人種も国境も何も無い全てが一つの世界」
「ふむ……強引なようでそうでもないようで、やはり強引だな。結局のところあの男の唯一の心のよりどころとなる聖書の世界に準じているのだからな。他の宗教はどこへいってしまったのだ?」
「偏ったバベルはそもそもおかしいんですよ。成り立っていないんです。必ずそこにほころびが生じるはずです」
ヴィベルはそう言って、ハッとした。
もし仮説が正しければ、夢幻の世界に残るということは死と同列では?
——里桜。貴方をこんな世界に残すわけにはいかない……。
ヴィベルは里桜の頭を優しく撫で、彼女の額にキスをした。総一朗が「ほお?」と、にやにやと笑うので、「これくらい赦してください!」と、顔を赤らめて抗議した。
「リオ、待っていてください。今はどうすれば貴方を救えるのか分かりませんが、できることをやります」
「ところで、ラファエルよ」
総一朗が訝し気にヴィベルの首元を見つめながら言った。
「その、奇妙な入れ墨は何だ? あまりセンスが良いとは言えぬな。なんだ? アルファベットの『V』か?」
「え? 入れ墨?」
総一朗の視線の先にある首元を触れ、「そんなもの、入れてませんよ」と、擦った後、総一朗の首元を見つめた。
「総一朗にも入っていますが」
「おや? なんだ? この世界にダイブすると勝手に刻印される仕様なのか?」
「総一朗のはアルファベットの『F』の様ですね。それが何を意味するか分かりませんが」
ヴィベルに指摘され、総一朗も自らの首元に触れた後、「なんにせよあまり気分のいいものではないな」と肩を竦めた。




