戦慄
『エルネストは……僕達の養父は、リオの祖父だ』
その言葉が突き刺さったまま、里桜の脳内に『ファメールさんの養父って、酷い』と言った自分の言葉がこだまする。
——嘘だ。信じたくない……。きっと何か、勘違いしてるんだ……。
ファメールの言葉を確かめる為、恐る恐る父へと視線を向けると、総一朗が僅かに頷いた。
——戦慄が走る。
ジエルから伝え聞いた残酷な仕打ち受けた三人の兄弟。それを行った彼らの養父へ、里桜は強い怒りを抱いていた。
『酷い、絶対に許せない。どうしてそんなことを!!』里桜の怒りはまるで反射された様に自身に返って来た。それは、三人への想いが強ければ強い程に、里桜の怒りも強くなる。
ファメールが里桜を見ることなく顔を背けたその態度そのものが、里桜の心を更に凍り付かせた。レアンもまた、里桜に視線を向けようとはしない。
見る事ができなかったのだ。ファメールの放った一言が、レアンにとっても驚愕の事実だったからだ。レアンが自分の考えを整理できず、そしてその言葉によって里桜が傷ついた姿を見る事ができなかった。
けれど、里桜にはそれが『拒絶』と受け取らざるを得なかった。
——アルカがもしもこの場に居たのなら、私は彼からも憎まれる。当然だよね。それほどに惨く残酷な行為を彼らにしてしまったのだから。
呆然とし、ペタリと座り込む里桜を見ることなく、ファメールは言葉を放った。
「この世界は、僕達の世界だ。リオ、キミはもう出ていってくれ」
まるで氷の刃で胸を貫かれたかの様な衝撃を受け、里桜は瞳を見開いたまま、ファメールの放った言葉を何度も脳内で再生した。表情を強張らせたまま俯き、空っぽの脳内をただただ言葉だけがぐるぐると回転する。
里桜の様子を見て総一朗がぎゅっと拳を握りしめた。里桜と彼らがどのような関係にあったのかは知らない。だが、まるで心停止してしまったかのような娘の姿に総一朗は動揺した。
「ミシェル、リオには、娘には何の罪も無い! 分かっているだろう! 何故傷つける必要があるのだ!」
自分が今更父親面するなどと、と、ざらつく思いのまま放った言葉は、誰の心にも届かずに、虚無の中を素通りしてしまったかのようだ。
ファメールは僅かに総一朗に視線を向けた後、どうでもいいものを見たといった様にすぐに視線を外した。
「良かったじゃないか、ヴィベル。キミだけあの悪夢から逃れられて」
「……どういう意味です?」
「僕達の養父、エルネストはキミも実験対象にすべく養子にしようとしていた。それにエルネストの娘であるリタが気づいてキミを連れて日本に逃げた。キミは汚れていない。綺麗なままでいられた」
押し黙るヴィベルにファメールは僅かな間を置き、再び口を開いた。
「この世界は僕達の世界さ。もう二度と、僕の前に姿を現さないでくれ」
————僕達の世界。
エルネストから強烈なまでの負荷を掛けられた三人だけの世界。
杖を翳し、光が発せられてファメールとレアンがその場から姿を消した。
沈黙の後、ヴィベルが里桜を気遣う様に触れたが、彼女は瞳を見開いたまま身動き一つ取らずに呆然としていた。ゾクリと悪寒がし、ヴィベルの顔から血の気が引いた。
「……リオ?」
彼女の肩を軽く揺らしても反応が無いまま呆然としている。まるで魂が抜け落ちてしまったかのようだ。
ヴィベルにはこの顔をした里桜に見覚えがあった。リタが死に、警察署に里桜を迎えに行った時のあの時の顔だ……。
「リオ!」
両手で小さな里桜の顔を包み込み、ヴィベルは声を掛けた。
「貴方が自分を責める必要はありません! ファメールも、レアンも分かってくれるはず。今はダメでも時間が経てば……」
「ラファエル」
総一朗が首を左右に振った。そんな生易しい事ではない。そう言いたいのだろう。当然だ。心についた傷を癒す薬は無いのだから。見えないだけに一層治療が難しい。もしも心を手術し癒せる医者がいたのなら、どれほどに良いか。
里桜は呆然としながら思った。
三人は、もう二度と私を見つめてくれない。話すこともできない。私を見る度に、彼らは辛く残酷な過去を思い出してしまうから。エデンやアルマゲドンを創成してしまう程の、現実世界への絶望を与えてしまった辛い記憶を……
エデンで私を救ってくれた彼らを、私は傷つけてしまったのだ。再会などしなければ、こうして傷付け合う事も無かったのかもしれない。アルカを助けるんだと意気込んで、自分は大好きな仲間が出来た事に、ただ浮かれていただけなのかもしれない。
——傷ついた彼らを更に追い詰めたのは、私……?
「よくわからないけど、私はミカエルの側に行くわ」
アリエルがため息をついて言葉を放った。
「リオ。さよなら」
踵を返し、部屋を出て行くアリエルを見送る様にジエルが見つめた後、総一朗へと視線を向けた。
「社長、ま、まさか、自分が孤児だって知ってて、エルネストさんのお世話になってたことも全部知ってて、それであの古い邸宅に連れていったんですか!?」
「……ああ」
「な……そんな……! 自分まで実験体になるなんて、ご免っス!!」
ジエルは顔面蒼白になると、逃げる様に踵を返し、アリエルに続いて部屋から出て行った。
ヴィベルは身動き一つしなくなった里桜に触れ、頭を撫で、肩を揺らした。そして彼女を抱きしめて嗚咽を漏らした。
「リオ、どうして……」
ポタリと涙を零し、ヴィベルは叫んだ。
「泣くくらい。せめて泣くくらいしてください!! リオ!!」
ヴィベルは里桜の代わりだと言わんばかりに涙を零し、声を上げた。里桜の瞳は暗く沈み、何処を見るでもなく虚無と化した心をそのまま表しているかのようだ。
「あんまりじゃないですか! こんなっ! どうして!! いくら何でもあんまりです!!」
「ラファエル……」
「リオに、一体何の罪があったというのです!? どうしてこれほどまでに傷つけられなければならないのですか!! いつも、いつも、一体どうしてっ!!」
里桜、どうか……みっともなくても何でもいい。泣いて、怒って喚き散らしてください!
「リオ、貴方は悪くなんかない! 何にも悪くなんか無いんです!!」
ヴィベルは懇願し、里桜を見つめたが、里桜は無表情のままどこを見るでも無く視線を落とし、人形の様にされるがままにヴィベルに身を任せていた。里桜の笑顔がヴィベルの脳内にいくつも浮かんでは消える。
この悲しみをどう表現すべきか。愛した女性が傷つき壊れてしまう様を、ただ見つめる事しかできない。自分の無能さに吐き気すら覚える。彼女を救えるのは自分では無いのだ。
——いつも、いつもだ……!
「リオ、お願いですから。自分を責めないでください……お願いですから」
悪い夢でも見ているかのようだ。里桜を助ける為にダイブしたはずが、待ち受けていたのは傷つけられ、無残にも心が壊れてしまった彼女だ。
彼らなら里桜を理解して、全てを知った上で受け入れてくれる。里桜も彼らには心を開いていると期待していた。
海水浴に行った時、あれほど皆で楽しそうにしていたというのに。
里桜が笑ってさえいてくれれば、自分の想いなどどうでも良かったというのに!
「どうして……」
これは、いつも無理にでも気丈に振舞っていた彼女を見守ると言いながらも、何もできずにいた自分への罰なのだろうか。
里桜がエデンにダイブした時、昏睡状態のまま数カ月の間。ヴィベルはほとんど食事が喉を通らなかった。
里桜が目覚め、憔悴しきったヴィベルの為に苦手だった包丁を握り、食事を作ってくれた事で、やっと少しずつ口に食べ物を入れる事ができた。それほどに、里桜を失った時間というものは地獄だった。
——再びあの悪夢に飲み込まれる。
里桜を傷つけ、失い、途方もない罪悪感に押しつぶされて呼吸すら満足に覚束ない、あの悪夢に!
「総一朗!! 教えてください!! 一体何故!? どうしてこんな酷い事を!! どうしてリオを苦しめるのですか!! 貴方は、リオにどんな恨みがあるというのです!!」
「私はリオの父親だ! 娘を苦しめようと思ってなど……」
「何が父親です!! 何がっ!!」
総一朗を睨みつけ、ヴィベルは喚いた。
「リオが泣いている時、一番心細い時、悲しみと孤独で凍えてしまいそうな時に貴方はどこで何をしていたんです!! 貴方はいつもそうだ! どうして側に居てあげないんです!? あの広い家でたった一人、リオがどれほどに寂しい思いをしていた事か!! いいえ、そんな生易しい思いなんかじゃない。リオは怯えていたんです! たった一人で家に居る事で、自分が世界中で独りぼっちになってしまったのではと。その恐怖にずっと怯えていたんです!! 姉さんからの厳しい教育から愛情を感じる事ができず、尊敬する貴方だけが頼りで、だから貴方と同じ仕事に就きたいと願って努力していたんです! どれほどに、どれほどに彼女が孤独に怯えていたのかどうしてわかってやらないのです!! 出所した時だってそうです。リオの側を離れるべきでは無かった。それなのに、貴方という人はっ!!」
総一朗は絶句し、俯いた。
ヴィベルは里桜を強く抱きしめて、「私がずっと側に居ますから。もう、傷つけません。傷つけさせませんから」と、涙を零しながら訴えた。
里桜は無表情のまま。何の感情も無いただの人形の様だった。心なしか体温まで下がり冷たくなった気がし、ヴィベルは必死に里桜の両肩を抱いた。
これ以上傷つけさせないと約束したところで、もう、十分に傷つき過ぎた。里桜がこんな風になってしまう程に、彼女にとって、彼ら三人はかけがえのない大切な存在なのだ。
里桜が最も辛い時に支え、救い、癒し、立ち向かう勇気をくれた彼らはもう二度と、微笑みかけてはくれないかもしれない。忘れる事のできない過去は、赦す事ができないということと同じなのだ。
記憶が消えない限り、生きている限り一生残り、癒える事のない深い、深い傷。その傷はズキズキと永遠に痛み続ける。




