生贄
白く淡い光を放つ夢現逃花が咲き乱れる大地は、甘い香木の様な匂いが辺り一面に立ち込めている。空は薄暗く灰色の雲に覆われており、時折赤く光る雷光は禍々しさを感じた。
吹き荒れる風に髪を晒しながら、里桜はゴクリと息を飲んだ。
エメラルドグリーンに輝く泉の中に、墓標の様な石の板が聳え立ち。太く頑丈そうな鎖でがんじがらめに括りつけられた、灰色の髪の男の姿。その背後には、機械仕掛けの穴の様な、吸い込まれそうな程に巨大な見た事も無い装置が置かれていた。
今にもアルカを飲み込んでしまいそうなぽっかりと開いた機械仕掛けの穴は一体なんなのだろうか。
「ファメールさん、あの不気味な機械は何?」
眉を寄せる里桜に、ファメールが淡々と説明をした。
「大型ハドロン衝突型加速器を用いたワープ装置さ。衛星メギトと筐体アルマゲドンとを結んでいるんだよ。現実世界では光の速度を超える為に必要になるエネルギー量が膨大過ぎて、ワープなんて非現実的だけれどね。夢幻の世界であれば、エネルギーの供給を心配する必要なんかない」
——ワープ装置? どうして? でも、そんなことよりもどうしてアルカは瞳を開かないの?
「アルカ!!」
里桜が駆けだそうとした時、ファメールがすっと杖でそれを制した。
「止めておいた方が良い。マナの泉に触れたら、キミは激痛に悶え苦しむ事になるだろう」
「マナの泉?」
エデンでは、確か魔力の源で、アルカが苦痛に耐えながらも吸収し、魔族繁栄の為に使っていた。一体これはどういうものなのか……?
ファメールはエメラルドグリーンに輝くマナの泉の畔へと歩を進めると、金色の瞳を細めて墓標に括りつけられている灰色の髪の男を見つめた。
「天上と地上を自由に行き来できる唯一の存在サマエル。ここで言う天上とは夢幻世界の事で、地上は現実世界の事を指しているんだ。つまりは、アルマゲドンと現実世界、二つの世界をつなぎ止める役割をアルカは一人で担っているんだよ。アルカがこうして柱となってマナの泉の中に君臨する事によって、この世界の均衡は保たれているんだ」
「どういうことなの?」と、不安げにブルージルコンの瞳を向ける里桜に、ファメールは頷いた。
「つまりは、アルカがこうして苦痛に耐える事で、僕達は現実世界とアルマゲドンを行き来する事ができるって事さ。もしもアルカが居なければ、あの筐体はただのゴミクズでしかない。現実世界と仮想空間を繋ぐネットワーク。それが、アルカの『夢』なんだ」
「酷い。ずっとこんな……私がエデンから帰って二年の間、アルカは一人でこうして耐えていたの?」
瞳を閉じたままピクリとも動かないアルカの姿に、里桜は唇を噛みしめた。
「アルカは、一日の半分をこうしてマナの泉に入って眠っているんだ」
ファメールの言葉に里桜は「え?」と、声を上げた。
「ファメールさん。それって、神様が目覚める時間とも関係あるの?」
先ほどアリエルが言っていた。『神は一日の半分を眠る』のだと。里桜の言葉にファメールは頷くと、寂しげに金色の瞳を伏せた。
「アルカと『神』は、同じ身体を共有しているんだよ」
つまり神が眠っている間はアルカが行動し、アルカが眠っている時は神が行動するということなのだろうか?
「今眠っているのはどうしてなの? アルカも神様も、両方眠っているの?」
——私の予想が正しければ、神は三人の養父のはず。憎む相手と同じ肉体を共有しているだなんて……!
里桜の問いに、ファメールは首を左右に振った。
「いいや。アルカはもう、目覚めない。ミカエルが封印したんだ」
「……え?」
瞳を見開いて驚愕の表情を浮かべた里桜から視線を反らし、ファメールは固く瞳を閉じたままのアルカを見つめた。
——アルカ……キミは本当に大馬鹿野郎だ。アルマゲドンに創成された僕やレアンすら、キミは捨てる事ができなかった……ただのデータなのに。
現実世界に本当の僕とレアンが生きていると知りもせず、キミはデータの僕達と共に生きる事を選択した。
そうでなければ、この世界なんか捨ててしまえば良かったんだから。
ファメールの脳裏にアルカとミカエルの記憶が辛辣なまでに浮かび上がった。
『神の目覚めを妨げる存在はキミさ、サマエル。キミが長く眠る事で神の目覚める時間が増えるはず。今は三カ月に一度しか目覚めてくれない。それでは世界の均衡は保たれないんだ』
ミカエルの指摘にアルカは困った様に微笑んだ。
『ああ。分かってるよ、ミカエル。お前に必要なのは、オレじゃなく神だもんな』
『今からキミに封印の魔術を施す。恐らくキミはこのまま眠りにつくことになるだろう』
『かまわねぇよ』
観念した様に大人しくアルカはミカエルの封印の魔術をその身に受けた。
『いつか、ブルージルコンの瞳をした女の子が来たら、サ……』
アルカが瞳を閉じながら言った。
『そしたら、オレは。いや、オレ達はきっと救われるだろうな』
『……サマエル。バカな事を言うのは止してくれないか。人間がこの天上のエデンに来れるはずなんか無いんだからね』
アルカは『ああ。そうだな』と笑い、その頬を涙が伝った。
『それでも、もしも彼女が現れたら。そしたら、ミカエル。お前は救われるはずだ』
『含んだ言い方をするじゃないか。それじゃあ、キミは救われないと言いたげだね』
『お前らが救われたら、オレは嬉しいんだ。ってことはさ、オレも一緒に救われる。そうだろ?』
ミカエルは、その時のサマエルが言った言葉をずっと覚えていた。だから、里桜が姿を現した時、サマエルを守る為に里桜を消そうと考えたのだ。しかし、それと同時に救われる事の希望も持った。
この牢獄の様な世界から、彼女は開放してくれるのかもしれない。と。
「帰ろうよ……」
里桜がファメールに縋りつく様にブルージルコンの瞳で覗き込んだ。
「ねぇ、ファメールさん。アルカと一緒に帰ろうよ! 目を覚まさないなら起こしてあげないと! ミカエルさんじゃなくファメールさんなら神様よりもアルカの方が大事でしょう? 封印を解いてあげてよ、ねぇ!!」
溜息をつき、ファメールは首を横に振った。
「もうダメなんだ。リオ。アルカはもう二度と目覚める事はない」
「どうして? どうしてそんな事言うの!? ファメールさんっ!!」
「アルカのデータは、既に失われたんだ」
ファメールが金色の瞳を寂しげに細め、そして身動き一つしないアルカを見つめた。
「……見つからなかったの?」
ポツリと言葉を発した里桜に、ファメールはほんの少しだけ頷いた。
「アルカは、もう、この世界にはいないよ」
「……え?」
——うそ……どういうこと? アルカ、死んじゃったの? もう二度と会えないの?
瞳を固く閉じ、墓標に括りつけられたまま微動だにしない灰色の髪の男の姿が、涙で滲み、二重にも三重にもなった。
「起きてよ……アルカ……!」
マナの泉に飛び込もうとした里桜の手を掴み、ファメールは首を左右に振った。
「リオ。ダメだよ。アルカが悲しむ」
「嫌だっ!! アルカっ!! 一緒に帰ろうよっ!」
「リオ」
「アルカ!! 起きてよっ!! お願い、起きてっ!! だって、そこに居るじゃない! ねぇ、アルカ!!」
泣き叫ぶ里桜を抱き寄せて、ファメールはぎゅっと唇を噛みしめた。
——里桜、アルカの代わりに僕で我慢しろと本当は言いたい。けれど、僕にはそれができない。
「アルカぁ!! 起きてったらぁっ!!」
号泣し、里桜はその場にペタリと座り込んだ。弱弱しく「……お願い……アルカ…」と、零れ落ちる涙を両手で擦り、俯いた。
美しいブルージルコンの瞳から惜しみなく涙を零し、肩を揺らす里桜を見つめ、ファメールは苦しくなる程の胸の痛みを味わった。
「嫌だよ。アルカ……。居なくなったら嫌だ。そんなの絶対に嫌だよ……! 折角探しに来たんだよ? 帰ろうよ。一緒に現実世界に帰ろうよぉ……」
——現実世界は辛いかもしれない。帰りたく無いかもしれない。それを望むのは残酷な事なの?
「アルカ、帰ろうよ。目を開けてよ。起きて。お願い、アルカ……」
アルカが居てくれたから私は前を向く事が出来た。今度は私がアルカの支えになれればいいって思ってた。それはただの我儘なのかな? もう嫌なの? 疲れちゃったの?
灰色の髪の男は、ほんの僅かすらも動く事なく、まるで死んでしまったかのように磔にされたままそこに在った。
ただ、そこに在る物体の様に。里桜の呼びかけは一切届いていないのだ。
「嫌だ……。一緒に帰ろうよお!!!!」
——ねぇ、アルカ。ファメールさん達にもアルカが必要なんだよ。皆アルカに帰って来て欲しいって思ってるんだよ。いつもみたいに笑ってよ。アルカらしく出迎えてよ。
『よぉ、リオ。ひっさしぶりだなぁ! こんなところまで来てくれたのか? 手間取らせちまったなぁ』
二ッと笑ってさぁ……。こっちの苦労なんか全部吹き飛んじゃうくらい明るく迎えてくれるって、そう思ってたんだよ。
こんなの、アルカじゃない!! 別の人だよっ!! アルカが居なくなっちゃったなんて、信じたくなんかないっ!!
子供の様に声を上げて泣きじゃくる里桜を前に、自分ではアルカの代わりにすらなれないのだとつきつけられた気分でファメールは虚しさを感じながら、それを握りつぶすかのようにぎゅっと手を握りしめた。
——終わりにしよう。
深いため息をつき、己を戒めるかの様にファメールは顔を上げた。
「……リオ。お別れだね」
ポツリと言ったファメールの言葉に、里桜は瞳を上げた。
お別れとは、アルカと二度と会えない事を意味しているのだろうか……?
悲痛の表情を浮かべる金色の瞳をブルージルコンの瞳で覗き込む様に見つめる。思い起こしてみれば、ファメールがアルマゲドンにダイブしたときから違和感を覚えていた。
どこか、寂しげに。遠慮しながらも抗う事ができずに、これが最期なのだ、と、まるで別れでも告げるかの様に優しくも苦し気に見つめるその瞳。
「レアンの所へ行こうか。ヴィベルも来ているはずさ」
「ファメールさん? お別れって?」
困った様に微笑むファメールの表情が何故だか余りに悲しく、里桜は再び瞳から涙を零した。
「どうしてそんな事言うの?」
困惑する里桜に僅かに頷いて見せたファメールは、何か固い決心をした様に思えた。




