星見の一刻
「ファメールさん! 良かった。ファメールさん!」
飛びつかんばかりに繋がれた鎖をガチャガチャと鳴らす里桜に、ファメールはよしよしと優しく頭を撫で、「寂しかったかい?」と、微笑んだ。その表情はミカエルは決して浮かべないであろう、優しさが滲み溢れていた。
ミカエルはいつもどこか苦しみを抱えていた様な気がする。
「ミカエルさんめちゃくちゃ怖かったんだからね!」
「ああ、すまないね。そんな予感がしていたんだけれど……」
と、思考を走らせて、ファメールは深いため息をついた。
「最悪だ。僕は思った通り、キミに酷い事を。軽蔑しただろう? 僕の事が怖くなっただろう?」
ファメールの金色の瞳が怯えた様に里桜を見つめた。
「ファメールさん?」
「すまない。恐れているのは僕の方だ。キミに嫌われてしまったと思うと、恐ろしくて」
もっと早くダイブしていれば……と、ファメールは悔やみながらも自分の持っている本質的な性格自体に嫌悪した。他の誰を傷つけようとも構わない。けれど、里桜だけには……。そう思っていたと言うのに、そもそもの自分そのものが里桜を傷つける存在であるのなら、この世界に生を受けた事こそが罪だ。
すっかりと肩を落とし落ち込んでしまったファメールを見つめ、里桜はオロオロとした。
「ファメールさん。ね、コレ。外してくれる?」
里桜の両手の錠を外してやると、里桜はそのままファメールに抱き付いた。
「嫌うわけないでしょ。もうめちゃくちゃ待ち焦がれちゃったよ」
ファメールの胸に顔を埋める里桜の温もりが伝わる。
「良かった。逢えて! 来てくれて本当に有難う」
「……僕を赦してくれるのかい?」
「赦すも何も、怒ってないもん。それに、来てくれたじゃない。嬉しくてたまんないよ! あー、良かった。本物のファメールさんだぁー!」
ギューッと抱きしめる里桜に、ファメールは眉を下げて抱きしめ返した。
——自分はおかしくなってしまったのだろうか。何故こうも彼女を前にすると心臓が騒がしくなるのか、全く理由がわからない。
けれど、このままおかしくなってしまっても構わないとさえ思う。彼女の温もりが幸せ過ぎて……。このまま時が止まってくれないかとありえない事を考える僕は、完全にどうかしている。
「ミカエルさんの記憶もあるの? 私、ミカエルさんもぎゅってしてあげたかったんだけど」
「あんな奴の事はもう忘れてしまっていいよ」
「自分の事なのに」
「キミを虐める様なヤツは例え自分だろうと許せないね」
自分に対して腹立たしい、と、ファメールは眉を寄せてフンと鼻を鳴らした。
「ミカエルさんは怖かったけれど、でも優しい人だったよ? 焼き菓子も食べてくれて嬉しかったし」
「焼き菓子? ……ああ、確かに美味しかったね」
ミカエルの記憶を辿って答えた後、「ミカエルも素直に美味しいと伝えたみたいだけれど?」と、里桜を見つめた。
「うん。すっごく嬉しかった」
「キミ、まさか僕よりもミカエルの方がいいだなんて言う訳じゃないよね?」
「そうじゃないけど! 二人とも優しくって大好きってこと!」
里桜の言葉に、ファメールは金色の瞳を見開いて彼女を見下ろした。
「えっ?」
「でも、ファメールさんが来てくれて嬉しいよ! 待ち焦がれてたんだから、安心した!」
里桜が顔を上げて心の底から嬉しそうに微笑んだ。その微笑みが余りにも美しく、ファメールは迂闊にも顔を真っ赤にし、深くため息をついて項垂れた。
「ファメールさん?」
「リオ、僕はちょっとね、その……」
「どうしたの?」
抱き付いたのが嫌だったのかと不安げに見上げる里桜が可愛らしく、ファメールは里桜の唇にキスをした。深く舌を差し込み彼女の口内を犯す。膝の力が抜け落ちる里桜の身体を支えながら、ファメールはゆっくりと膝をついた。
——里桜を前にすると自分に歯止めが効かなくなりそうで怖くなる。
「……すまない。けれど、あともう少しだけ、キミに触れる事を赦して貰えないかな?」
手首についた里桜の傷に、ファメールは丁寧にキスをした。熱を持ち、傷が癒えていく感覚を味わいながら、里桜は陶酔する様に胸を上下させ、呼吸を荒げた。
うっとりとした里桜の瞳に、ファメールは喜びを感じて微笑んだ。
「ガブリエル程じゃないけれど、僕にも治癒の力があるんだ。気持ちいいのかい?」
恥ずかしくて顔を真っ赤にする里桜にクスリと笑うと、「あと少し我慢して」と、腕にキスをし、胸に、衣服が破れて傷口が見えている腹部に、脚に、と、傷を癒した。
ひゃっと声を上げて体を強張らせる里桜の頭を、ファメールは優しく撫でた。
「大丈夫。もう終わったよ」
「う……ん。ありがと」
顔を真っ赤にしてファメールを見上げる里桜に、ふっと笑った。
「物足りないかい?」
慌てて首を左右に振る里桜を抱き上げた。小さく詠唱をすると、里桜の衣服が破れの無い綺麗な状態へと戻る。
「ほら、つかまって」
素直に肩に両手を回す彼女を愛しく思いながら、ファメールは自らの膝の上に里桜を乗せ、ぎゅっとそのまま抱きしめた。離れていた時間を埋めるかの様に、里桜の温もりをたっぷりと味わう。
ファメールの様子に、里桜は戸惑っていた。まるで自分がファメールにとって大切な人であるかのような扱いに、どう反応すべきか困っていたのだ。
「……レアンの噛み痕が消えていたね。肩の傷痕もだ。レアンが治癒をしたのかい?」
「うん。でも、こういう治し方じゃなかったけど……」
「こういうってどんなさ?」
恥ずかしそうに口を噤む里桜にファメールが小さく笑った。
「ファメールさんの意地悪!」
「すまない。僕はレアンの様に治癒に特化してはいないからね」
「治療するのにキスが必要なの?」
里桜の質問にファメールは悪戯っぽく、照れを含みながら微笑んだ。
「いいや? したいからしただけさ。嫌だったかい?」
——なんか、今日のファメールさんて妙に色っぽいけど可愛い。
と、里桜は何となく居心地が悪くなって目を反らした。
「嫌じゃない……ケド」
口をもごつかせながら答える里桜にファメールは悪戯っぽく微笑んだ。
「レアンとの治癒力の差というなら、一度で全ての傷を癒す事ができないというところかな。あ、ほら。こんなところにも傷があった」
そう言ってファメールは里桜の耳にキスをした。ひゃっと小さく声を上げた里桜を、金色の瞳を細め、愛しそうに見つめる。
「な、なんか。ずるいよファメールさんっ!」
「すまない。けれど、キミが先にダイブしてしまって心配で死にそうだったんだ。これくらい赦してくれないかな」
「心配かけてごめんなさい」
「うん、本当に。死んでしまうかと思ったよ」
ファメールが長い指で里桜の頬に触れると、彼女が自然に瞳を閉じた。ファメールはふっと少しだけ微笑むと、彼も長い睫毛を揺らして瞳を閉じ、里桜の唇にキスをした。
——彼女がこんな風に素直に受け入れてくれるのは初めてかもしれない。それほどに自分がダイブすることを待ちわびていたという事なのだろう。嬉しくて堪らずに高揚する気持ちとは裏腹に、罪悪感がどんどん膨れ上がり押しつぶされてしまいそうだ。
「良かった。夢幻の世界でもキミの唇の柔らかさは変わっていない様だね」
「そ……そんな事言う!?」
里桜は恥ずかしくなってプイと顔を背けると、ファメールに抱きしめられながら、神殿の窓から見える星空を見上げ、深呼吸した。
「ファメールさん、アルマゲドンにも星空が見える」
里桜に言われ、ファメールも神殿の窓へと瞳を向けた。大きな窓の上方に備えられた天窓から、降り注がんばかりの大粒の星々が瞬いている様子が見えた。
「綺麗な星空」
別荘で皆と一緒に見た星空を思い出し、里桜は見入った。ファメールはふっと微笑んで、里桜の髪にキスをした。
「余裕じゃないか。ここはそんなに居心地が良かったのかい?」
「ファメールさんが来てくれたから。やっと星空を見る余裕が出来たんだよ」
「エデンでの空と違って、現実世界の空に酷似しているね。ちゃんと星座まで分かる」
「ファメールさんは星座にも詳しいの?」
「まあ、一般よりは知っているんじゃないかな」
「あ、あれ。私も知ってる。カシオペヤ座!」
『W』の形の星座を指さして言う里桜に、ファメールはクスリと小さく笑った。
「娘の美しさを自慢して、神々の怒りに触れ、椅子に括りつけられたまま星座にされた哀れな女王カシオペヤか」
「え!? そんな話なの!? ひど……子供自慢って罪なんだ」
「神が罪だと言えば全て罪になるのさ。メドゥーサの髪も美しさをアテネと張り合おうとしたら蛇に変えられたしね」
「ひど……」
里桜は苦笑いを浮かべたが、そんな里桜を見つめるファメールの瞳にドキリとして、誤魔化すように再び空を見上げた。
「ファメールさんの星は無いの?」
「僕の星?」
「うん。大天使ミカエルの星」
「ああ。ミカエルは水星だね。レアン……ガブリエルは月。ラファエルは太陽で、アリエルは金星。カフジエルは土星で、ザドキエルは木星。そして、サマエルは火星だね」
——ザドキエル……? お父さんの洗礼名だ。
と、里桜は思って、まさかねとため息をついた。父はアメリカ国籍だった。その時の洗礼名なのだと聞いた事があった為、キリスト教徒であれば一般的な名なのかもしれない。
「いいなぁ。皆天使でかっこいい。私なんか『川』だし。星どころかドンブラコって主役を流すだけの背景だなんて」
ファメールは瞬きし、里桜の髪に触れた。彼女の唇についた髪を払い、耳にかけてやりながら、「僕は美しい名だと思うけれど」と言った。
「『川』なのに?」
「勿論」
ファメールは微笑んで頷くと、再び空を見上げた。
「ほら、あの美しい川が見えないのかい?」
ファメールの視線を追って、星々が散りばめられて浮かび上がる天の川を里桜は見上げた。
「天の川は十七億個の恒星でもって、その形を成しているんだ。その美しさに惑わされ、僕達はその川に底があるなんてことを想像だにしなかった。ずっと追い求めていた宇宙の端は天の川の底にあったんだよ。天の川の地球から最も遠い恒星は、八千光年。それに比べ、地球から最も遠い運河は三百二十憶光年と言われているんだ。こんなすぐ側に、追い求めていた宇宙の端があったというのに……」
ファメールは里桜を金色の瞳で見つめ、その肩を優しく抱き寄せた。
「天の川の余りの美しさに惑わされ、見失ってしまう程に、魅了されていた。そういうことさ」
里桜の髪にキスをすると、「僕もまた魅了された一人さ」と、耳元で囁いた。
ドキリとして顔を真っ赤に染める里桜にふっと笑い、膝の上から降ろすと、さて、と、ファメールは立ち上がり、「サマエルに会いに行こう」と、里桜の手を取った。
「検索結果は出たんだよね? アルカのデータは見つかったの?」
ファメールが何も答えずにゆっくりと杖を振りかざした。里桜が反応する間も無く強制的に空間がふっと入れ替わり、体制を崩した里桜をファメールが優しく支えた。




