一歩踏み出す
キエリとリアンが家に帰るとラクリマが針仕事をしていた。
「あら? 今日は帰ってくるのが早いのね。おかえりなさい、キエリ、リアン」
「ただいまお母さん」
「ただいま母さん。今日はグリードに邪魔されたからね。早く帰ってきた」
リアンは、帰ってすぐにキエリの前に水をスプーンですくって持ってきた。
「姉さんこれで口ゆすいで、あいつの汚らわしい手を噛んだのだから、気分が悪いだろう?」
「え? あ、別にそこまででは‥‥」
「ゆすごう」
「う、うん」
リアンがあまりにも真剣に言うので、キエリは勢いに押されるまま口をゆすいだ。
「これから父さんを手伝ってくるけど、姉さんも行く?」
「お母さん、針仕事してたからお手伝いしようかな」
「そっか」
リアンは、ラクリマが針仕事で道具を置いている机の上にキエリをそっとおいて、畑仕事をしているルプスを手伝いに行った。
ラクリマは、街に出た時に売り物にするハンカチに綺麗な花の刺繍をしている。
彼女は、キエリの着るこまごまとした服を全て手作りしているうちにとても器用になり、そのため彼女の作る刺繍は繊細で評判がいい。
「お母さん、今日はなんのお花の刺繍?」
ラクリマは、キエリと出会った時よりも歳は重ねたが美人で明るい笑顔は変わらない。
「今日はキエリと初めて出会った時のお花を思い出して作ってみたの」
ラクリマが見せてくれたハンカチには幾重にも花びらを持つ白い花の刺繍がされている。
キエリはじっとその刺繍の花を見つめると、どうにも言い表せない寂しさを感じて、キエリの心をちくりと刺した。
しかし、その寂しさの原因はわからず、心の奥底にしまった。
「やっぱりお母さんの刺繍はとっても綺麗だね。わたしもこんな風にできたらなぁ」
「あら? キエリの刺繍もとっても綺麗よ。でも、もっと練習したら、もっと綺麗にできるわよ」
「本当? じゃあわたしもっと頑張る! お母さんみたいになりたいもの」
そういうとキエリは、花のような笑顔を咲かせた。
キエリも針仕事はかなり時間はかかるものの細かい作業は大きな人間よりもできるので、この仕事なら手伝える。
刺繍に励むために刺繍針を取り出して、針仕事をし始めた。
(少しでも、自分のできることを増やしたい‥‥わたしにできることは少ないもの‥‥)
このオレオール王国を統べる王と王妃は、王都ウルブスで国民のために日夜国務に励み、国民からの信頼も厚い。
オレオール国は様々な国と交流し商業を盛り上げ、豊かな国として発展をとげている。
しかし、何もかも順調であるかと思われたが、ひとつだけ王と王妃には大きな悩みがあった。
「今回も駄目か‥‥」
「はい‥‥殿下は舞踏会の初めこそ姿を現されましたが、途中から目的にお気づきになったようで、騎士の包囲網をかいくぐり脱出されました‥‥」
申し訳なさそうにする執事長の報告を聞いて、王と王妃が深いため息をついた。
王も顔をしかめて腕を組む。
「このままではなぁ‥‥さすがに心配になってきたな。いや、諦めるわけにはいかない、次の舞踏会の手配を頼むぞ、アリアス」
「かしこまりました」
執事長アリアスは、一礼をして次の舞踏会の準備をするために立ち去った。
王妃が頬に手をついて、困ったように眉を寄せる。
「はぁ‥‥あの子がそういうことを苦手としているとはわかっているけど、でも出会いは必要なのに‥‥」
王が王妃の肩を引き寄せる。
「大丈夫さ、きっといい出会いがあの子にもあるさ」
「そうね‥‥」
マーガレットが息を切らして走ってきて、キエリたちの家の扉を叩いた。
「大変大変、大変だよ! キエリ! リアン!」
リアンがキエリを肩にのせて扉を開いた。
「どうしたの、マーガレット?」
「マーガレット、何が大変なの?」
マーガレットは目をきらきらと輝かせながら息荒く早口になる。
「王都から使者が来たんだってさ! しかも、お城の舞踏会にあたしたちみたいな平民の娘たちを招待してくれるんだって!」
「舞踏会‥‥!」
キエリは未知な世界への好奇心から胸の鼓動が早くなり、目が輝いた。
一方、リアンは顔は険しくなり、嬉しくはなさそうだ。
「舞踏会って‥‥なんでまたそんなのが開かれるのさ? それに、なんで女性だけ?」
マーガレットはリアンに指摘されてきょとんとした。
マーガレットは王都に行けるということだけに気持ちがいっていたらしく、そこまでは考えていなかったらしい。
「んー‥‥平民の人と仲良くしたいからとか? あ、でもそしたらなんで娘だけ? ん?」
「まっいいじゃん!」
マーガレットは考えるのを諦めたのか、ぱっと弾ける笑顔を見せた。
リアンは、はぁーと呆れたため息をつく。
「あたしは行くつもり! だって、お城に行けば聖騎士が見られるんだよ! 絶対行く!」
「キエリはどうする?」
「え? わたし?」
キエリは、尋ねられて初めて自分も行く資格は一応あるのだと気づいた。
だが、キエリには行ってみたいという気持ちと行ったらまた誰かに迷惑をかけるのだろうという気持ちが拮抗する。
「わたし‥‥は‥‥村から出たことないし行ってみたいけど‥‥‥」
「でも‥‥」
気持ちがごちゃごちゃになってしまって言葉が詰まり、手をもじもじさせながら俯く。
マーガレットがしょうがないなというように苦笑した。
「キエリは行きたい? 行きたくない? ちなみに、そこに遠慮は考えないものとする!」
マーガレットの影のない声はいつもキエリを元気づけてくれて、キエリはぱっと顔を上げた。
「‥‥行きたい!」
「うん! いこ!」
マーガレットはにこっと太陽のような笑顔を見せた。
「姉さんがいくなら僕も行く‥‥ガサツなマーガレットだけに姉さんを任せておけないし」
ずっと黙り込んで顔をしかめていたリアンがぽつりと呟いた。
マーガレットがリアンにさらっと悪口を言われて口をとがらせる。
「なっ!? だ、大丈夫だよ! それに、招待されてないリアンがどうやって行くんだよ?」
「姉さんの付き添いで説得するか、馬を借りて後ろからついていく」
「そこまでするか? やめやめ! たまにはリアンもキエリと離れてみなよ!」
マーガレットがリアンの地雷を踏んだのかリアンが冷たく睨みつけてきたが、マーガレットはリアンの冷たい眼差しなどものともしない。
「わるいことじゃないだろ? 生まれてからずーっと一緒なんだから、いい機会じゃないか?」
「そんなこと言って、姉さんに何かあったらどうするんだ?」
「まってリアン、一度はいいかもしれない」
リアンは、キエリの言葉に驚いて思わず振り返りそうになった。
「ね、姉さん本気?」
「うん‥‥リアンにはずっとわたしのお世話させているし、本当にリアンには感謝してもしきれないけれど、わたし、一人でも頑張ってみたい。といっても、マーガレットに今度は迷惑をかけてしまうのだけど‥‥」
「あたしへの遠慮はないものとする!!」
マーガレットは念を押すと、キエリはマーガレットの気持ちが嬉しくて笑顔がこぼれた。
一方、リアンはずっと表情が深く暗く沈んでいった。
(「お世話させてる」なんて‥‥僕は、姉さんと居たくているのに‥‥)
「わかった‥‥マーガレット、くれぐれも姉さんのこと頼んだよ。姉さんは何かと注目されるだろうから‥‥」
「うん! 頼まれた!」
マーガレットとキエリは舞踏会への想いを馳せて嬉しそうに話しているが、リアンだけは拭いきれない不安が積もっていくばかりだった。




